地獄の十王 その3.宋帝王
創作のために創作する。
十王をキャラクター化しておもろい作品に昇華できると思えた。
さてさて地獄の裁判も三回目。
死後21日目である。
本記事で取り扱うのはその名も“宋帝王(そうていおう)”。
今回は、今までと異なり“地獄の閻魔らしい=怖い”王である。
...はたしてどんなお裁きをされるのかな?死ぬのかな?
そのメモである。
1.業関をくぐった先でギッタギタ
さて、三途の川を渡ってから数えて7日目。
命日から数えると21日目。営業日とおなじくらい地獄を堪能したところで、亡者は新たなスポットへやってくる。
その名は“業関(ごうかん)”
地獄の大関所である。
ここにはめっちゃ怖い鬼が番人をしていらっしゃる。
鬼「ここを通りたければ入場料として持ち物を差し出せ!!」
しかし亡者は、三途の川を渡るに際して、脱衣婆に身ぐるみ剥がされて文無しだ。
亡者「...申し訳ありません。わたくしはこれまでの道中で、持っていたもの全て奪われております。通行料として払えるものは何も...」
「ふむ。そうか」と了解した鬼は困っている亡者に告げる。
「ならば......
お前の手足をもって通行料としてやろう。」
亡者はここでとうとう、ギッタギタに切り刻まれてしまう...
ちなみに地獄では様々な責め苦が亡者を襲い、
体は何度もズタズタのギッチョンギッチョンになってしまう。
ところが!
どんなに傷ついても、ひとたび地獄の風に吹かれると亡者の体はふたたび元通りになってしまう。
地獄においては、身体以上の苦痛を味わっても、責め苦は終わらないのだ....
2.与える裁き
さぁ~て、なんとか業関を抜けたあと、宋帝王のお裁きである。
このお裁きの目的はズバリ!!
自身の罪や悪行を目の当たりにさせる
である。
前回のお裁き(=初江王)では、壇茶幢によって亡者が生前に行った「善行」と「悪行」を問いただした。
特に、「善行」が重要視された。
今回は「生前に犯した罪=悪行」に注目する
宋帝王の御前に到達する者というのは、殺生や盗み、強奪、嘘、悪意など何かしらの罪を犯している。
この殺生は、小さな虫や生きものの命も含まれている。
...ので、ほぼ全員が到達するだろうね。
こうした悪行に対して、業関もそうだが「苦痛」という実にハッキリした形で亡者に罪を自覚させる。
これでもか!これでもか!!これでもなのか!!!って。
ところで ↓
われわれは、普段の生活の中でそのことを常に軽んじている。
「その程度で~?!」「罪重すぎるよ~~エーン(汗」
身体を切り刻まれる苦しみを味わう程の罪なのだろうかね?
理不尽だよ、地獄!!って思うよね~
そんなことを思う亡者に、宋帝王はただ一言。
「それ、お前らがアホだっただけじゃん」
命を奪うことは悪いこと。人の物を盗ってはいけないこと。他人をだまくらかそうとか思うのは良くないこと。
これらの倫理・道徳は「知っていたはず」だ。
知っていながらにして、それを軽んじる。気にしないで何度もしてしまう。
これは宋帝王にしてみれば、「物覚えの悪い・大事なことをすぐ忘れるアホ」なのだ。
なので宋帝王は、自身の前にやって来るまでに墜ちた亡者に情けや慈悲はない。アホに構うほど優しくはない...ヒエ~!!
慈悲を向ける対象があるとすれば「(亡者の)子ども」だ。
※初江王は現世に残っている「身内」だったね
その子どもが、どんな「善行」を積んでいるか、しっかりしているか。
つまり、子どもへの教育成果によって亡者の軽罰化を判断する。
自分がたとえアホだったとしても、誰かをキチンと育てられれば免除対象となるのだ。
宋帝王の前には、善親あるのみだ!!
3.信仰対象としては「文殊菩薩」
宋帝王の本地は「文殊菩薩」
知恵を象徴する仏様だ。
三人寄れば文殊の知恵
という諺にも登場している。きっと偏差値のお高い仏様なのだ。
※ちなみにインドで一番頭の良い大学は「インド工科大学(IIT)」で、合格率0.5%=倍率200!!? を誇る。まぁ、ITに強い大学なので仏様の時代にはもちろんございません。
実在したという話もあり、釈迦十大弟子とも親しかったという。
そのうちの一人に、維摩居士(ゆいまこじ)という商人がいる。彼のお見舞いでのエピソードが有名だ。
維摩居士はとても頭が切れ、数々の言論で他の弟子を言いくるめることが得意だった。
いわば、マウントをめっちゃとる言論プロレスラーってところだ。
ん?
※既視感....
なので彼が病床に伏したときに誰もお見舞いに行きたがらなかった。そこで文殊菩薩が訪れるのだ。
そこでこんなやりとりがある。
文殊「どうすれば仏道を成す(悟りに到達する)ことができますか?」
維摩「非道を常に行えばいいんだよ」
非道......貪(欲望)・瞋(怒りと憎しみ)・痴(無知な妄想)から発する仏道に背くこと
えっと、、釈迦十大弟子の方からもらうアドバイスがこれって💧
「顔面ぶん殴られたら、お金もらえますよwww」みたいな ↑あの人 みたいな返しに思える。
ところがドスコイ。
文殊菩薩はその真意をきちんとわかっているのだ。
つまり、「非道を常に行う」とは「非道を常に意識する」ということ。
“非道を忘れることなく、仏の道を励む”
が真意なわけだ。
一見した文字面や表象ではなく、その真意をくみ取ることに長けた仏様だったんだね。スゴイ!!!
こうしたところにも、宋帝王が「アホ」「子への教育」など
“知恵・知識”による裁きの態度
をとっていることが見て取れる。
また、非道を行わないために非道を心がける。など、反証さえも正しさのために用いる態度も、
忘れたりするアホには
「痛み」をもって知らしめる。
という暴力性につながるだろう。
地獄もどんどん深くなる。
優しいだけの十王は、そろそろ減ってくるのかな...?
4.〈参考文献など〉
『地獄の経典』山本 健治(2018)株式会社サンガ
『地獄巡り』加須屋 誠(2019)講談社現代新書
『十王讃歎鈔』系諸本と六道十王図 鷹巣 純(1997) 純東海仏教 (42), 1-17.東海印度学仏教学会
死後の十王(全13回)2020.10.10
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