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もうお気づきですよね。デジタルは新世界ではなかった。

幻想終焉

デジタルが新世界をもたらす革命だという幻想は、平成で終わった。

デジタル世界と認識されていた集合の実態は、それを動作基盤に置いたコンピューターネットワークによって交換し、再加工された情報である。
交換という面では、デジタル情報は質量が無いので、最高速かつ無尽蔵に交換できるようになった。それ以上ではない。
再加工という面では、デジタル情報は劣化せず何度でも繰り返せるので、創造意欲が続く限り無制限に等しくなった。それ以上ではない。

デジタルは、人間の思想を新鮮なまま腐らせないために最適な、道具である。

繰り返す。

デジタルは道具である。

これからのデジタル

平成は奇しくも、デジタルの成長期だった。
デジタル推進陣営は、関心をひいて商売にするために、デジタル世界VS現実世界という二元論を掲げ、デジタルこそ人間社会を新たな世界に導く、勝利の鍵とした。
しかしそれは幻想だった。デジタルが新たな神器あるいは錦の御旗だった時代は、平成までだ。

令和の世代は、スマートフォンを皮切りとするデジタルネットワークが一人一人に結び付いた状態で始まる。
アナログな現実と自然の中に存在する構成要素として、デジタルが溶け込んでゆく。もはや片肺飛行は想定できない。

デジタルは、新世界を作ることなく、現実世界の歯車に組み込まれる。平成生まれの中のエリートがデジタルネイティブと呼ばれたが、それも死語になる。デジタルと現実に優劣をつける意味が消えるのだ。

自然は人工物を迎え入れて、現代へと適応してきた。デジタルもまた自然に迎え入れられるべく進歩し、一つの世界として融和していくだろう。

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