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自分らしく生きることは愛を取り戻すこと

感情が湧き起こる前提として観念があります。
観念というのは簡単にいうと思い込みのことです。

「人に迷惑をかけるのは恥だ」
という観念があると、
人に迷惑をかけたときに恥ずかしさを感じます。

「時間に遅れてはいけない」
という観念があると、
遅刻したときに不快な感情を感じます。

観念というのは
ネガティブなものばかりではありません。

「人には親切にするべきだ」
という観念があると、
人に親切にしたときに喜びを感じます。

では、もし観念がなかったら
感情は湧き起こらないのか?

よくわからないけど、
理屈ではそうなるはずです。
きっと。多分。

じゃあその場合赤ちゃんはどうなるのか?
赤ちゃんには観念はないはずです。

「両親はちゃんと私の世話をするべきだ」
とは思っていないはず(笑)

だけど赤ちゃんも笑ったり泣いたりします。
むしろ大人よりも感情豊かです。

赤ちゃんに観念がないとしたら、
この泣いたり笑ったりは
どこから湧き上がってくるのでしょうか。

生存本能から来るのかもしれないけれど、
人というのは余計な観念を取り除いたら
愛だけが残るのかなぁとも思います。

赤ちゃんというのは人間本来の姿です。
生まれたまんまの真ん丸の状態です。

その真ん丸の状態というのが
愛そのものなのかなぁと思います。

赤ちゃんの笑顔に癒されない人は
いないと思います。

どんなに機嫌が悪い人だって、
赤ちゃんの笑顔を見れば愛を感じるはずです。

それどころか泣いていたって、
かわいく見えるものです。

なので、人は本来、
存在そのものが愛なんだと思います。

そこからいろんな人生経験によって、
形が変形していき歪んでいきます。

親からの愛情をもらうために、
本来の自分を切り離し
自分を変形させて親の形に合わせます。

そうこうしていくうちに、
愛がだんだんと失われていきます。

ある意味、歪んだ状態からが人生の
スタートなのかもしれません。

自分らしく生きたい。
そういう言葉が出てくるのは、
自分らしく生きられていないからです。

自分らしく生きるというのは、
本来の真ん丸の自分を取り戻すことです。
愛を取り戻すことです。

どんなに家庭に恵まれた人でも、
大なり小なり変形して歪んでいると思います。

そこから愛を取り戻すプロセスが
人生なんだと思います。

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