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アートという名の。

紙やキャンバスを使った画やフォトショとかのデジタル、写真にしてもそうだけど、これらのアートと括られるものは、似たようなものは多くとも、それぞれの個が出るものだと思う。意図的に真似ているのは別としても、やっぱり違うなにか。

多少の話題になればその手法は沢山の人達が「自分もやってみよう」とポジティブに思って始めるものだと思うし、中にはコレだ!と乗っかる人もいるだろう。

前々から思ってたことなんですが、私が今回言いたいのは、緊縛アートのことなんですね。
緊縛って華道みたく最近は流派みたいなのがあるので、分かる人には「ここをこう結ぶのはあの流派だ」とかあるのかもしれないけど、そう言うのを知らない人が見たら、多用した紅いロープで人以外を縛るその手法は、お?鬼のこさん?とやっぱり思ってしまうよね。

縛り手の個性などは知らない人には伝わりにくい、というより知らない人からすると、そもそも緊縛できる人がそんなにいるとも思わないかもしれない。


ロープで作品を作る人は当然ながら結構いる。

作品を見て、それが緊縛から来てるか否かはすぐ分かる。
が、その人たちの作品は皆個性が感じられない。どうしても緊縛からスタートするので逃れられないというか、仕方ないことなのかもしれない。

私が知らないだけで、むしろみんなそういう流派とか意図的作風なのだろうか?(そうならそもそもオリジナル性はなくなる)

こう、笑える感じならまだしも。(クラッシュ側はウケ狙いではないと思うけど)


アートの手法は無数にある。
知られてないだけか、発見が早いか。
誰がやってもほぼ同じになってしまうものを選び、作品と曰う。
それで良いのか?と。
それで良いのか?作品は芸術ではない。
自己表現の類止まりだ。容易く芸術だ、アートだ、と言い過ぎなのではないの?
アートと言いたいならもっと違う個性を出すか他の手法を選べば良いのに。
似たような作品は、第一人者とあと1人くらいいれば良い気がする。

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