見出し画像

人と人は結局わかり合えないのか

このnoteのテーマは「人と組織の“わかり合えない”を乗り越える」ですが、あえて「わかり合おう」とせずに、「乗り越える」という言い方にしたには理由があります。

というもの、世の中にはあまりにも色々な人がおり、価値観や信念が真っ向から対立する人もいるため、安易に「話し合えばわかり合えるよ」とは言えません。

また、「わかり合う」のは相手があっての話なので、自分がいくら頑張っても相手が歩み寄らなければわかり合えません。(他人の価値観や信念は変えられない)

もちろん様々な考え方もあるので、「人と人はわかり合えるはずだ!」という人もいれば、「いやいや、人と人は永遠にわかり合えないよ」という人だっていると思いますが、私自身は人と人が本当の意味でわかり合うのは絶対に不可能ではないが、かなり難しいことであると考えています。
それこそガンダムの世界のように全員がニュータイプに進化するか、あるいは皆がブッダのように悟りの境地に至らないと、互いにわかり合うのは無理だと思います。

別にわかり合えなくても生きていける

世の中全体で見れば、自分とは価値観や信念が違う人とは距離を取れば互いにわかり合えなくても生きていけます。オリンピックの開会式を見て「ショボい」と感じた人は「感動した」という人と白黒をつける必要はありません。自分とは違う意見を持つ人に遭遇しても「何だこいつ!」と不快に感じることはあっても争わなければそれ以上の害はありません。

一方で会社単位で見ると、互いの価値観や信念のギャップがあまりにも大きいと様々な弊害を生んでしまいます。

例えば、
・必要なコミュニケーションが取れないので、仕事が進まない
・協力すべきところで協力し合えないので、目標が達成できない
・無用な争いを引き起こしてしまい、互いに足を引っ張り合う
という具合に、わかり合えないがゆえに様々な問題が発生し、結局誰も幸せにならないということになってしまいます。

「乗り越える」とは不幸な事態を回避すること

職場で重要なことはあくまで仕事を前に進める、チームの目標を達成することなので、互いに相手の価値観や信念が許せなくても、必要なコミュニケーションが取れて協力すべきところは協力できれば問題はありません。

そのため、「乗り越える」とは互いにわかり合えないままでも、互いにとって望ましい結果に向けて行動するという意味であり、上記のような「不幸な事態」を回避すること目的になります。

同じ職場で働く以上必ず共有しているもの(例:仕事の目的、理念、目標)はあるので、個人的には職場内でなら「わかり合えないを乗り越える」ことは可能だと思います。

イメージとして、どうしてもウマが合わない人とは「アイツのことは大嫌いで絶対にプライベートで友達になりたくないけど、私の仕事を進めるためにはアイツの力が必要だ」と思える関係が築けると良いかもしれません。(もちろん、プライベートでも友達になりたいと思えるなら最高ですが)

他人は変えられないので、「自分はどうするか」考える

「わかり合えない」を乗り越えるうえで、他人の行動が変わることを期待するといつまでも前に進みません。結局のところ他人は他人で自分には変えられないので、「こういう人に出会ったら自分はどうするか」を考えた方がはるかに建設的です。

他人を自分の思い通りに変えることはできませんが、自分ができることを見つけて他人に働きかけることで状況を変えることが可能です。

以前の記事で「教育」について書きましたが、「教育」とは相手に「こうしなさい」と押しつけるものではなく、相手に「こういうこともあるよ」と提示して相手の選択肢を拡げることであり、選択肢が拡がることによって相手の行動が変わる可能性があります。

https://note.com/reigukou/n/ncc30ae57eb46

もし相手の行動が変わらなければ、また違うことを見せて選択肢を増やしてあげればいいと思います。(選ぶのはあくまで相手)

そのためには、自分自身の中で「引き出し」を増やしていくことが重要であり、「引き出し」が多くなれば相手に対して様々な働きかけができるようになります。

そういう意味で、職場でわかり合えない相手に出会ったときは実は自分の世界が拡がる貴重な機会でもあると思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?