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現場をわかりすぎる「偉い人」は却って危ないのかもしれない

ガンダムの名セリフの一つに、ジオングに足がついていないことを尋ねたシャアに対して開発した技術者が放った「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです」という一言があります。
(それまでに出てくるモビルスーツは人型で足がついていたので、ラスボスが足無しというのは子供心にはかなり衝撃的でした)

アニメが最初に放映されたのは40年以上も前のことですが、このセリフのようにいつの世も「現場」と「偉い人」はわかり合えないもので、今でも現場の方向けに研修を行うと次のような不満がよく出てきます。

・上が決めた施策は現場にとってはただの負担だ
・現場ではただでさえ人が足りないのにこれ以上仕事を増やすな
・本部が考えた新商品なんてお客様には全然受けない
・現場が困っているのに全然助けてくれない
‥‥など

一方で部長や役員といった「偉い人」も、現場は目先のことしか見えない、会社の方針を全然守ろうとしない、といった悩みを口にしますので、両者の溝はかなり深いものがあります。
(ガンダムは遠い未来の話なので、この溝は未来永劫埋まらないのかもしれません・・・)

確かに世の中には現場のことを全くわかっていない「偉いだけの人」もおり、的外れな判断を下して現場をめちゃくちゃにしてしまうことはよく聞く話です。

しかし、改革に成功した企業などを見ると、「偉い人」は現場のことをわかったうえで、あえて現場に嫌われる判断を下していることがあります。

そのため、現場の人から見て「わかってくれる偉い人」は必ずしも組織全体にとって良い人ではない可能性があると言えます。

現場と偉い人がわかり合えないのは「見ている光景」が違うから

下図のように現場の人にとっては自分を中心とした半径5メートル程度の範囲が全てであり、そこで起きた問題は現場の人にとっては最優先課題になります。

それに対して、「偉い人」は役割の大きさにもよりますが、現場の人よりもはるかに広い範囲を見ています。それこそ社長ともなるとイメージとしては半径数キロぐらいの範囲を見る必要があります。

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見ている範囲が違うため、現場の人にとっては緊急事態でも「偉い人」から見ると大したことはなく、現場の人にとってはどうでもいいこと(見えていないから気にならない)が「偉い人」にとっては最重要事項になることがあります。

「偉い人」と同じ視座を現場に求めるのは難しい

研修の仕事をしていると、よく「社員の視座を高めてほしい」というご要望をいただくことがあります。

これはこれで重要なことであり、我々も視座を高めるためのプログラムを提供しますが、現実的には全員の視座を高めることは不可能であり、目の前のことしか見ようとしない人は一定数存在します。

ただし、これはその人の意識が低いとか能力が低いといった単純な話ではありません。人によっては向いている役割は異なり、生涯現場で活躍したいという人もいるため、そのような人にとっては「偉い人」の視座は自分には関係ないものになります。

「偉い人」は現場から文句を言われるのが宿命

結局のところ、「偉い人」はどうしても現場から「わかってない」と文句を言われてしまうため、もはや宿命として受け入れるしかないと思います。

もし「偉い人」が現場の人から好かれようとして変に現場に迎合してしまうと、それこそ組織全体を危機に陥れるような事態を招きかねません。

「偉い人」は別に人間として偉いというより、大きな責任範囲を担うという役割に過ぎません。責任が重いからその分権限と高い報酬があるというだけです。

現場を知らないのは論外ですが、現場に寄り添いすぎるのも問題であるため、現場の痛みを理解したうえで現場を痛めつける覚悟が持てる人が「偉い人」にふさわしいと言えるのかもしれません。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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