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マイノリティなファンは人と話ができない

自分が好きになるものは、大抵人目につかないものだった。


アンパンマンによる価値観の変化

幼少期、アンパンマンを見ているときに、兄が聞いてきた。

「誰を応援しているの?」

自分はもちろん「アンパンマン」と答えた。
実際は彼を特別応援しているわけでもなく、ただ何の気なしに見ているだけだったので、正直に言うとこれは適当だ。
無理に理由をつけるとするならば、主人公だから

「バイキンマンを応援してあげたら?」

と兄は言う。なぜかと聞くと、

「だって、バイキンマンって誰も応援してくれないじゃん」

別にアンパンマンの熱狂的なファンだったわけでもないので、自分はその日からなんとなくバイキンマンを応援するようになった。どんなに心の声援を浴びせても、結局最後はアンパンマンの逆転勝ち。毎週わかりきった結果が待っている。

それでも自分はあきらめずに何度もバイキンマンを見つめつづけていた。

バイキンマンはバイキンマンなりに考えがあり、苦労があり、策略を練って絶対に勝てない存在であるアンパンマンに勝とうとする。
そこだけ見れば、この人ってそんなに悪い人ではないのではないか。子ども心にそんなことを思わせられるのは、この製作者によるストーリー作りのうまさ足るものだ。

結局悪が勝つところを見ることはなかったが、その時から、一般的ではないものの側に立つことを覚えた。

マイナーなジャンルを好きになるということ

今の自分は、ほとんどの人と話が合わない。

その要因のひとつは、マイナーなものを好きになる傾向にあるからなのではないかと睨んでいる。

たとえば、昔Vジャンプを購読していて、特にすごく好きだった石塚裕子先生の漫画『犬マユゲでいこう』は単行本全巻持ってるし、えのきどいちろう先生のエッセイ『我輩はゲームである』も広井王子先生と海童博行先生の小説『フジヤマ・ステーション』も好きだった。「DQKIDS ドラゴラ村の子どもたち」や「FFコロシアム」、「ぴこぴこずばうん」、「ハガキ屋善兵衛」、「静かにゲームをやりたいの」、「あやしい○○ゾーン」なんかのコーナーも大好きで、やろうと思えば1時間以上は一人でしゃべれる。


……そんな話、誰がついてこれる?


みんなTVゲームの『大神』や『デビルメイクライ』は知ってるのに、『ゴッドハンド』は誰も知らない。

当時『moon』や『ufo』や『エンドネシア』の話についてこれる人は稀だったので、思い出話も謎解きの情報交換もできない。

音楽だって小説やエッセイや漫画だってTVの話(当時番組よりCMが好きだった)だって、すべて人と話が合わない。

自分が好きなものは全部、日陰者だった。


自分が学生時代によく聞いていたラジオ局、FM-PORT。ナビゲータと番組内容の質が高く、めちゃくちゃ面白かった。聞き流すだけで心地よかった。ラジオで声を出して笑えたのはここが初めてだった。

しかし地方局な上に特別有名なわけでもないから、どこかで話題に出すことはできない。


誰とも話すことができないから、自分の心の中にかかしを立てて、そこに向かって、

ああだねこうだね、って

ここが面白かった、
ここはどうかと思った、
この人はこういう人なんじゃないか、
この部分大好きなんだけどわかる?、
この話もっとこうだったらよかったのに、
そしたらきっと結末はこうなって、
この人が話してたことってこんなだったっけ、もう一回聞きたいよね、
あの時のレスポンスは鳥肌もんだった、
すごく楽しかった、
元気が湧いた……

って、延々と語り続けるのだ。

かかしはいつもほほえんで聞いてくれる。


もちろん、一般的なものを好きになることもあった。

たとえば、ポケモン。
発売日当日に買ってプレイし、学校の図工でやらされた張り絵にはピカチュウの絵を描いた。
まったく同じ絵を描いた人はクラスで一人だけ。

その数か月後、そろそろ飽きたころに、地元・北海道の小さな小学校にも流行の波がやってきた。こちらとしては今更感がぬぐえなかった。

もちろん、飽きたものを周りの人と同じ熱量で話すことはできない。

結局、自分の立場はマイノリティから動かなかった。

マイノリティってデメリットが多いよね

自分が行動を起こすときは、「みんなやっているから」ではなく、「楽しそうだから」という理由が多い。人とは違うものを好きになりがちだ。
これってすごく大変なことなのだ。

誰とも話が合わないし、分かり合えない。

特におしゃべりを中心に回す接客業や営業だとこれはかなり厳しい事態になる。せっかくの知識を仕事に活かせないのは残念でしかない。


そしてさらに辛いことは、
自分が好きになったものが、誰の目にも触れないまま消えていく可能性が高いということ。

この世って、人目につかないものはすぐに消えてしまう運命にある。

自分にとって大切なもの、もっと見たい、もっと知りたい。
それもあっという間に、泡のように気がついた時には消えてしまうのだ。

小さな宝物、大事にしてあげて

でもね、だからこそ自分は、そんな壊れそうな儚いもの、自分が好きになったものを、大切にしていきたいなって、思った。

だって、自分が見ていなきゃ、覚えてなきゃ、ほかにだれが消費してくれるのだろう。
いやもちろんマイナーなものとは言えど自分以外にもファンがついているはずでこれはさすがに極端かもしれないけど。

でもそう思うと大切な宝物のように思えてくるじゃないですか。
かけがえのないもののような、貴重なもののような気がね、してくるじゃないですか。


だから、マニアックな趣味趣向を持つ人たち。
あなたたちはその想いをどうか、大事にしてあげてください。

それだけ

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