カナダの現地校であの歌を歌った意味を今更考える
When I get older, I will be stronger.
(僕が歳をとった時、今よりも強くなるだろう)
They'll call me freedom, just like waving flag.
(そして皆が僕のことを、はためく旗のように自由に生きている、と称するだろう)
この曲、どこかで歌詞を耳にしたことがある方もいるのではないだろうか?
そう、これは2010年に南アフリカで開催されたサッカーワールドカップの公式テーマソング、Wavin’ Flag(K'naan)の歌詞の冒頭部分だ。
サッカー好きでも、特段洋楽好きでもない私だが、この曲はつい口ずさんでしまう。そしてApple Music内でもやたらと再生回数の伸びに貢献している。何故か。
それは、小学校3年生の頃、カナダの現地校の音楽の授業内で何度も歌った曲だからだ。
■この曲と出会ったきっかけ
私が3年生の時。ちょうど15年ほど前なので、時期的にはワールドカップの時と重なる。日本人学校のないカナダのバンクーバーの小学校に通っていた当時の私。
日本の小学校とは違い、時間割は基本的に先生の気まぐれで決まる世界線に戸惑いと驚きを抱えつつも学校生活をなんだかんだ乗り越えていた。(午後だと眠くなってしまうから算数は午前中にしましょとか普通にあった)
全く、ではないが少なくとも英語が堪能ではなかった私は、理科や社会などの「英語力+知識」の2点がセットになるタイプの授業が苦手だった。
しかし、音楽の授業は少し違った。世界共通言語であるドレミはもちろん知っていたし、英単語は正直チンプンカンプンだったけれど、結婚式の讃美歌の如く「なんとな~く口ずさんでいれば乗り越えられる」タイプの授業だったし、椅子だけでクラスメイトと輪になれる瞬間は何となく心地が良かった。
そして、音楽の授業もたしか大概先生の好み、というか。その日の気まぐれで歌ったり、歌に合わせて身体を動かした。
そして、そんな先生の気まぐれで進行する授業内で歌ったうちの1曲が「Wavin' Flag」だったという訳だ。
ワールドカップの時期と気まぐれ重なった世界線で3週間くらいはこの曲を取り扱っていた気がする。
■当時は分からなかった歌詞の意味
この曲を授業内で取り扱っていた時、なんだかリズムが良くて元気が出るいい曲だなあ、ぐらいの感想しか抱いていなかった。
そりゃあそうだ。何せ英単語に乏しかった。そして「曲」となると、急に求められる“単語を聞き取るスピード”も私には備わっていなかったのだから。
それでも、冒頭の『When I get older, I'll be stronger』の部分から何となく大人になったら強靭になる人の曲なのかな?とか吞気に考えていた。今はちょっと弱いけれど、大人になるまでに頑張って強くなるぞ!みたいな(なんだそれ)
そんな自己解釈で、口ずさんでいるんだかいないんだか分からないままに過ごしていたあの頃。
時が経ち、ふと思い出して今更歌詞の意味を調べてみようと思い立ったのは本当に最近の事だった。
■小学校の授業で取り扱うには少し重い内容と知った最近
歌詞の中にこんな節がある。
恐らく大人になったら強くなりたいな~と呑気に思う曲ではなさそうな歌詞。
そう、この曲はソマリア出身である歌い手であるK'naanが自身が育ったソマリアの内情と、母国に対する思いをアメリカやカナダへと亡命する中で歌ったラップなのである。1991年からの内戦で多くの犠牲者が出たソマリア。
強靭な支配を前に、それでも屈しない。いつの日か自分は絶対に故郷戻るんだという強い思いが伝わってくる。
これもまた“強さ”を感じるまた別の一節。
冒頭で述べた、大人になったら強靭になる人の曲という過去の私の解釈は半分正解のようで、半分間違っていた。
これはきっと単に成長によって得る身体的な“強さ”を表しているわけではない。身体的な強さというよりは精神的な強さを感じる歌詞である。
どれだけリングの端に追いやられてもまだ諦めない。そんなイメージだろうか。
まだ言葉を覚えていない中、亡命先でひたすら音楽を通じて英語を覚えたというK'naan。あくまで私の解釈だが恐らく心の中で“身体的にも精神的にも、もう少し大人だったら、他にも抵抗する術があるかもしれないのに”そんなやるせない気持ちに陥る瞬間もきっとあったのだと思う。
もどかしい幼き頃の思いを、大人になったらもっと自由に、支配に屈しない心でいたい。そんな気持ちがうかがえる。K'naanにとっての“強さ”は身体的なものである以上に、精神的なものでもあり。
もしかすると相反する“柔らかさ”とか“柔軟さ”という表現にも近しい部分もあるのかもしれない。
■あの時音楽の先生が伝えたかったこと
実はこの曲には、リメイク版が存在する。Coca-Cola mixと呼ばれ、ワールドカップで使用された多くはこのリメイク版なのだ。
冒頭部分のWhen I get olderの部分は元のverと変わらないが、支配や戦争、政治に関わる部分は大きく変更されている。
上記の例のように、おそらくスポーツという場におけるテーマソングに相応しい形。それでいて原曲のリズム感を損なわない、熱狂を巻き起こすに相応しい仕上がりとなっている。
小学校の音楽の授業で取り上げる。ましてや、2010年というワールドカップの年に、となるとこのリメイク版を扱っても良さそうなものである。しかし、何故だかあの時の音楽の先生は原曲を取り上げた。
さて、これは気まぐれの世界線と呼んでしまって良いのだろうか?
現地校とあって、私のように流石に英単語そのものの意味がチンプンカンプンという子はそこまでいなかっただろう。しかし、その英単語が意味する内容。そして、歌詞を通して伝えたいことを理解していた子は果たしてどの程度いたのだろうか。
記憶を遡る限り、世界史をまだ授業で習っていなかった小学生当時。自分の身の周り以外で起きていることを想像する瞬間はきっと今より少なかっただろう。仮にこれが日本だとしても、あの頃に歌詞に単語以上の意味付けをすることはきっとなかったように思う。
あの時の音楽の先生は何を伝えたかったのだろうか。
その答えや、「正解」のようなものについては語られることはなかった。特に歌やその歌詞の意味の理解をしろ、なんてことは言わなかった。それどころか、歌いたいところだけ自由に歌えばいい、と私だけでなくクラス全員に言った。
その先生の肌は黒かった。ソマリア出身かどうかは定かではないが、南アフリカ地域の出身だったと記憶している。
クラスには日本人の私がいたし、韓国から来ている子もいた。(彼女は英語がペラペラだったからチンプンカンプンではきっとなかった)
髪の金色の子もいたし、目が青い子もいた。2学年一緒のクラスだったので年齢が違う子もいた。
クラスの中が1つ世界のような。もはやその空間を「クラス」という言葉で表現してしまうのはあまりにチープだった。
音楽の先生は、何が言いたかった、とか伝えたかったというよりも「こういう曲があるんだよ」「この曲を聞いて、あなたなりに何を感じたかな?」という静かな問いだったのかもしれない。
正直、今でも答えは分かりきれない。けれど、何もかもが“違う”クラスの仲間と先生とあの曲を3週間歌い続けた(口ずさんでいるふりをした)という事実は今もこうして問う姿勢をくれている。
まるでまとまりのない文章になってしまった今回。しかし、それも含めて執筆という形であの時の記憶と今もこうして曲を聞き考え続けていることを残しておきたいと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?