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シン・ゴジラ vs 君の名は。

話題の2作品を鑑賞してきました。
どちらもバズり始めたぐらいだったと思います。
*以下、ネタバレを含みますので注意して閲覧ください。

「シン・ゴジラ」、日本以外では認められていないとかニュースになっていたり、アレは庵野だから評価されているとかいろいろ言われております。一方、「君の名は。」は興行収益も好調で、評価も高い。勢いも今日現在でまだまだ余韻が残りそうでモンスター映画としての仲間入り。

でも、私は「シン・ゴジラ」の方が圧倒的に感動しました。

何に感動したのかといえば、この日本中(東京中)を巻き込んだ撮影に、こんな作品が日本で作れるんだと。いろいろなしがらみがあるこの世の中で、
「よくぞこの映画を撮ってくれた!」
そう言わざるを得ない作品だったからです。

巷では「庵野テイスト」やら「エヴァっぽい」など言われているようですが、仮に庵野の名前が無かったとしても近代ゴジラとしての話題性はあるように思えます。それぐらい、設定やシナリオ、映像や演出など様々なところの完成度は高かったように思います。

「君の名は。」の感想は、一言でいえば【よくできたアニメ】という感じ。この作品のアニメーション技術は素晴らしいし勉強にもなる。
終始カッコイイ映像と演出と音楽、テンポの良い展開。すごい、良いアニメであることには変わりはないです。

ですが、1点だけ納得がどうしてもいかないのが「脚本」

正直言います。脚本が薄っぺらい。

「体が入れ替わる」という基本システム以外の要素がほとんど意味をなさない。伏線と回収などとかそういう問題以前のお話しだなと感じます。

お互いの時間を入れ替わることで世界を共有していいるのに、入れ替わったり時空を超えて出会ったりとお互いを共有されるのは神のみぞ知るチカラによるという何でもアリな設定かつ、元に戻ると記憶が消えていくという全てを無かったことにしてしまう設定。

何よりも劇中のシナリオで気に入らないのは、

【二人の間で唯一現実であった三葉が東京に来た電車のシーン】において、入れ替わりの記憶が消えるのは良いとして、現実で起きたあのシーンすら、瀧の記憶からあやふやになっている(または説明がない)。
三葉がリボンを瀧に渡し、瀧はそれをリストバンドとして利用していたというくだりがそれにあたる。

現実にかわいい子から声かけられてリボンを渡され、名前を教えられ・・・って、あんなことがあったら普通は忘れないだろうと。なんで、リストバンドしてるのかすらあやふやな瀧の発言。重要そうなアイテムに見せかけておいて、その世界(要素)のつながりを表す以外になんの影響力も持たない。

せっかく様々の要素が盛り込まれているのに、その点と点を簡単に結びつけてはその影響の範囲が想像の枠を超えてこない。そのため、鑑賞しながらシナリオの先読みがしやすいのは残念だった。

また、最終的な落としどころが記憶も何もかもが消えて普通の生活に戻るのに、最後のシーンで互いを認識できたのかという謎。

結局のところ、なんだかわからないけれど、お互いに心に何かが残っていてそれが出会った瞬間に反応したという結末になっている。シナリオで語られる体験・体感は全く無にし、出てきた要素において理屈理論があまり語られずに放置されるのです。

そして、最終的に二人を結びつけてしまったことで、結局このシナリオはいろいろなことをなかったことにして。。。。

【体が入れ替わった二人が時を超えて出会えた】

というだけの結果だけが伝えられるのです。
よって【薄っぺらい】という感想になるわけです。

と、いろいろ書きましたが、何はともあれ、この映像美と音楽は映画館で体感した方が良いと思いますし、たぶん私はブルーレイも買います。

ただ、いろいろな人から意見をもらうと結局のところ何を基準にして映画を見ているのかということになりますし、最終的には単なる好みの世界かもしれませんが、個人的には映画作品はシナリオの筋はしっかり通してほしいなと感じるのと、新海監督の次回作に期待しつつ、ここに気持ちを書き記しておこうと思います。


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