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嘘と道徳は、きっと、別の話。

時間が経っちゃいましたが、都知事選は、小池さんの圧勝でしたね。
当確後の夜、テレビ番組に生出演(中継)されていたのですが、
「4年間の任期を全うされるおつもりですよね?」
という趣旨の質問に、
「健康に気をつけます」
みたいなお返事をされていました。たしか。
(↑この言葉通りのやり取りがされたわけではないのですが、ようは明言を避けていました)

良い悪いは別として、
ビジネスの現場でも、後から「あのときああいったじゃないか!」という事態は、避けたいですよね。
まさにそんな方なんだなぁと思いました。
後から責められないように、いつも予防線を張っている。
任期を全うされるおつもりはないのかもしれないですね。


…と、そんな話は置いておいて。
今日は、私の【嘘】に関するお話を1つ。
先日の記事の続き?のようなものです。


常に嘘をついていた彼と、それを受け入れ続けた私。

私は高校卒業後、19歳から2年間だけ、学校の事務員をやっていました。
電話に出たり書類にハンコ押したり、卒業証明書を作ったりしていました。
その高校は全日制だけでなく、定時制もありました。
その定時制に通っていたのが、「彼」でした。

定時制には、わりと大人(30代以上)が多く通っていましたが、彼はたしか10代だったと思います。
目がくりっとしていて、茶色いくせっ毛もくりっとしていて、敬語ってなんですか?とばかりに、いつもタメ口で話しかけてきた。
子犬みたいな可愛い子でした。

当時の私は19歳。歳も近かったし人懐っこかったので、メールアドレスを交換して(あのころはLINEなんてなかったなぁ…)やりとりをしていました。
今日は何をしたとか、そんな他愛のないお話。

そこでよく彼が話していたのが、付き合っている年上の彼女のことでした。
彼女には連れ子がいて、その子どもも可愛くて、自分は彼女のことが大好きで…もう記憶も曖昧だけど、そんな感じだったと思う。
そしてある日、彼にお願いをされたのです。

「彼女が、れいちゃんとお話したみたいと言っている。彼女とメールをしてくれない? 僕のこのアドレスから、彼女がメールを送るから、やりとりしてほしいな」

私としては全く問題がなかったので快諾しました。すると、彼のメールアドレスから、彼女の名前でメールが届くようになりました。
アドレスは同じなので、メールの差出人が彼か彼女かの判別は、文章の感じと、文章の最後に記された名前でしていました。
彼女とも、他愛のない話をしていたと思う。
彼が大好きだとか、年下だから悩むこともあるとか、れいちゃんに会ってみたいなとか、そんなお話。

彼と彼女と、そんな関係が1年くらい(たしか)続いたあと、私は進学のために上京しました。
まぁ、みなさん普通は怪しいと思いますよね。
そう。「彼女」なんていなくて、彼は彼女を演じながら、私とやりとりをしたのです。
彼は私に、嘘をついていました。

突然、彼が東京にやってきた。

彼と彼女とやりとりをしながら、薄々、嘘だろうなと思っていました。
でも、別にそれを明らかにする気はなかった。
明確にして、真実を突き止めて、何になるだろう?
特別私は困っていないし、彼も別に私を困らせたい様子ではない。
突き止めなくていいこと、聞かなくていいことは、あると思っていたので、ぼんやりしたままにして彼と付き合い続けていました。

そして上京してからは、ほとんど連絡をとっていませんでした。

すると彼が、突然、東京にやってきました。

なんで私に会いに来たのか? 理由は今でもわかりません。
でも突然東京にやってきて、泊まるところがないから助けてほしいといわれました。
さすがに男性を自宅にとめるわけにはいかないので、カプセルホテルに泊まったら?とすすめたけど、怖くて泊まれないといい、結局私は1万円を貸して、新宿かそこらのビジネスホテルに泊まらせました。

その後、連絡先を知っていた地元の学校の先生に連絡。翌日には迎えに来てくれて、お金も返してもらって、彼は帰っていきました。

どうして、そこまでしてくれるの?

その後は、どうなったんだっけなぁ…(記憶曖昧)
なんとなく覚えているのは、
彼に虚言癖があるということ、
学校の先生とのやり取りの中にも嘘が多いということ、
親御さんとうまくいっていないだろうということ、
おそらく”彼女”は存在しないだろうということ…
を、先生から聞かされました。

お金の準備をして、ホテルの手配をしているときに、
「どうして、そこまでしてくれるの?」と、
彼に言われたことを、いま、書きながら思い出しました。

なんでだろう?

自分でもよくわからないけれど、私は彼に恋愛感情を抱いていたわけではなく、ただ、単に放っておけなかった。

それに尽きます。

嘘と道徳は、きっと、別の話。

この嘘エピソードは結構根深く私の中に残っていて、
ふとした瞬間に、彼のことを思い出しては(もう顔も曖昧だけど)、元気に生きてるかなぁ〜と思ったりしています。
(そういう出来事は人生の中でいくつかありますよね)
そして、彼を思い出すとき、いつも浮かんでくる感情は曖昧でモヤモヤとしたもので…

大丈夫かな、ちゃんと生きてるんかいな。
何が彼を嘘つきにさせたんかなぁ。
嘘をつきながら生きるってどんな感じやろう。

みたいなものがループします。
でもこの話で何が一番言いたいかというと、それは、私は彼に対して怒ったり憎んだりしていないし、嫌いにもなっていないということ。
むしろ好き。
なんていうか、ちょっと心配で、かなり少しだけ少しだけ愛おしい。
どこかで幸せに生きていてほしいと心から思っています。

だから、「嘘をついたら相手が傷つく」から「嘘をついちゃだめ」というのは、成立しないと思っています。
要は、「嘘をつく」ということと「道徳的な視点」というのは、たぶん、全く関係ないと思うのです。


ではなぜ、人は嘘をついてはいけないか?
ていうかそもそも、嘘をついてはいけないのか?

…実は、私の中ではある仮説が出来上がっていて、でもそれがうまく言語化できるようになるまでにはもう少し時間がかかりそうなので、それはまたの機会にさせていただきます。笑

結論だけ言うと、私はやっぱり、人は嘘をついちゃいけないんだろう、と思っています。
私はさっき、自分に嘘をついていた彼に対して、怒ったり憎んだりしていないと言ったけれど、でも、心のなかにずーっと残ってる。
指に刺さって抜けないすいばり(木の欠片みたいなやつです)のように、
ずっと心の中に残っている。
痛くないし悲しくない(と思う)けど、嘘をつくほうにも、つかれるほうにも、何かが、心の中に残る。
ということは、人間にとって「嘘」にはやっぱり何かしら意味があるし、「嘘をついちゃいけない」というのが、私の仮説です。

まだ言語化できていないけど言葉で言うとするならば、
嘘をつくということは、
「植物が太陽に向かって葉を伸ばすことを辞めてしまう行為」
に似ている。
そんな気がしています。

…こんなまとまらない文章を読んでくださった方、
ありがとうございました^^
いつか仮説の検証記事を…!笑


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