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古都小話綴り 後編


うめもどき

あなたは僕の目をそらさずに言う。

「あなたの中に、たえず何かを吐き出さずにはいられない欲求のようなものがあって、それがいくかの鋭い線や対立する色に、こころが交差しているのが伝わる。あなたは今、吐き出さずにはいられない沢山のものを、ここに引き摺り出す季節なのよ。
幾つもの季節を越えたら、きっと薄紙を剥がすように、ひとつひとつが剥がれて、どれひとつ不必要でないものだけが、有るべき処に有るようになる。

全ての記憶を、風の泣き声を、雨の叫びを、唯ここにいて、目を閉じたまま受けてきた・・。そんなところね。ここは。」

嵯峨野 落柿舎

冬枯れの古寺に一本の うめもどき。
あなたは細い指で、その木にそっと触れた。

「花なき季節の うめもどき 我 梅にあらず・・ そう言いたげに実をつけているのね。」

僕を見つめる あなたの目がまぶしくて。



坂道

清水の坂をあなたと登る。
あなたは賑やかなみやげ物屋を素通りして
ひなびた誰も覗かない陶具屋で足を止めた。
人影もなく、粗末な木の棚に無造作に並べられた、少し埃の被った陶器をあなたは懐かしげに見る。

「ほら。」 あなたは僕に手のひらを向けた。
あなたの手のひらに小さな魚のかたちをした箸置き。土の色そのままに焼かれて、背鰭にひと刷毛青磁色が走っている。
なにげない箸置きだった。

「昔、これと同じものを買ったの。二人別々に。」

あなたの言葉に僕の胸の酸素が一瞬薄くなる。僕は思わずあなたの言葉を飲み込んで、言葉を変えた。

「並べてあるだけ・・のような店だね。何のためだろうか。」

あなたは箸置きを見つめたまま静かに言った。

「かたちない自分を見つけるためね。きっと。
明日を紡ぐ自分じゃなく、誰かに見られる自分でもなく、かたちない自分をかたちづける、そのためにここに置いてあるのよ。」

あなたはいつでもそうして、かたちないものに目を向けているのでしょう。
僕には見えない、おぼろげな何かに。

あなたの手のひらの熱で、土色の魚の背鰭が、一瞬青く光ったような、そんな気がして。その時僕は、そんなあなたを嬉しく感じ、少しだけ寂しくも感じたのです。

あなたの言葉は僕の胸を、いつでも淡く縁取り、僕を囲む。



つわぶき

木屋町通りのしもた屋のような喫茶店。
カフェでもコーヒーショップでもない。
そう、喫茶店・・と呼ぶのが似合う簡素な店。
少し剥げたテーブルに真っ白い清潔なクロス。その上の清水焼の一輪挿しに黄色い素朴な花が一本。

遊び指で戯れに花びらに触れている僕を見ながらあなたがつぶやく。

「それは・・つわぶき。」

「よく知っているんだね。花、好きなんだ。」

あなたはいつものように、少しだけ皮肉そうな微笑を浮かべた。

「嫌いではないけれど、そんなに花に愛想良くはないかな。何故だかね、うちの庭には花が育たないの。
育つのは何もしないで、放っぽり出していても、枝を伸ばして、葉をひろげて伸びてゆく木ばかり。きっと、植物もそこに住む人間に似るのかもね。
そのつわぶき・・どこにでも咲く花よ。
あんなに苛酷で生存競争の激しいうちの庭で、唯一堂々と花を咲かせたしたたかな花よ。そういう花となら少しは向合ってみようか・・って思うじゃない?」

つわぶき。

あなたと真正面から向合った花。
そういえばどこかあなたに似ている。
真っ直ぐに伸びた茎からピンと指を広げたようなはなびらは、あなたの強い瞳の輝きのようで。

時の流れに逆らうようなこの店と、すっくと伸びたつわぶきと、誰にも何にも迎合しないあなたが、僕は好きだ。

その時瞬間にそう思った。

木屋町通りに沿って流れる 高瀬川。
小さな橋を渡る時、あなたが見つけた。

ほら・・ そこにも つわぶき。
あなたの髪が、さらり と揺れた。



針葉樹

あなたを横に乗せて バンドルを握る
ただ ひたすらに 走る

落柿舎から祇王寺まで

あなたはシートに深く座って
小さなあくびを ひとつする

そんなあなたを乗せて
ただ ひたすらに 走る

それだけの 僕達の時間

陽はまだ高く 迫りくる 針葉樹



ピラカンサ

洛西の仁和寺。
その参道の脇に真っ赤な小さなピラカンサの実が、塊になってたわわに実っている。
あなたはそれをたくさんもぎ取って両手に包むと、僕の耳元で振って見せた。カラカラと乾いた音がした。

「中学校の傍にね、このピラカンサがいっぱいあったの。わたし、数学はまるっきしだめで、英語も今ひとつで、でも国語だけは得意で、いつもトップだったのよ。
3年の時、転校生で何にでもトップを取る男の子が来たの。定期テストの時、彼に始めて国語のトップを奪われた。その時彼がわたしに言ったのよ。お前なんかが俺に勝てる訳がない・・って。
悔しくてね。帰り道にこの実をたくさん取って投げつけながら帰った。
だからこれは くやし玉。」

あなたは あはは と笑いながらその実をひとつ投げた。その時のあなたの姿が、僕には見える気がした。

口をぎゅっと固く結んで、真っ直ぐな視線で、おかっぱの髪を揺らしながら、赤い実を投げている勝気そうな少女の姿。
どんな時にも下を向かないところは、たぶん今も昔も変わらないあなただ。

「今度は絶対に勝ってやる、そう思った。
だから猛烈に勉強した。かつてないくらいに懸命に。でもさすがに彼も負けてない。わたしが勝つと次ぎは彼が抜いて。
1点2点の差でトップを争ってた。
でもどちらも満点で勝ったことは一度もなかったの。卒業前の最後の定期テストの時、わたしが始めて満点取って彼に勝った。
その日の帰り道、彼がわたしを呼び止めたの。ちょうど一年前のあのピラカンサの前で。そして彼が言ったの。

お前なかなかやるじゃない。俺さ、勉強嫌いじゃないけど、一度も楽しいと思ってやったことないんだ。でもお前と競い合ってる時は
何故だか楽しかったんだ。結構いい勝負だったよな。サンキュ。
だけどお前、国語だけじゃなくて数学もやれよ。このままじゃ志望校危ないだろ、って。

思わずわたし彼に向かって投げてた。
くやし玉 なのか うれし玉 なのかよく分からない赤いピラカンサの実。

大人になるともうあんなふうに、相手と真正面からぶつかることって、しなくなるんだね。投げられた玉を避けることしかしなくなる。負けたり、負かしたり、傷つけたり、傷つけられたりするのが嫌で目をそらしてばかりいる。同じ目の高さで向き合って、何かをぶつけ合うこともしないで、人を後ろや斜めからしか見なくなる。

まるでそれが優しさで、それが大人をうまく生きるコツみたいに。」

あなたは僕に向けて、赤い実をひとつ投げた。僕はそれを片手で取った。 

ナイスキャッチ!! あなたは笑いながら言う。

僕もひとつあなたに投げる。
あなたは きゃは と声を上げてそれを両手で取った。

冬の陽射しがまぶしい午後。
僕の手の中にあなたの くやし玉 ひとつ。
あなたの手の中に僕の うれし玉 ひとつ。
どこまでも空は青く冴えわたって。

仁和寺を出て少し歩けば、そこはざわめく人の街。



秋桜

ここはもう冬の真中のようで 吹き来る風が頬を刺す
まわりは枯れ色に染まりつつある
見上げる山並みに霞みが広がる 
冷たい息を吐くように
薄茶に広がる寒田から 野焼きの煙が細く登った

遅咲きの残り花・・ あなたがつぶやく
あなたが見つめるところに秋桜の小群れ
ひとときの勢いは薄れて まばらに咲く秋桜
こころなしか花も小さく 消え入りそうな薄紅は 閉じたあなたの唇に似て・・

過ぎ行きた日々に想いをめぐらすような 
残り花

見つめるあなたの背中が 震えているようで
何処を 何を 見るでもなく 
遠い目をしたあなたが 
また僕のこころを俯かせる

大原の里 どこまでも細くうねった道は続く
薄く霜が降り立った 朝

あなたの吐く息が 白く柔らかく 
溜息のように                                               


=古都こぼれ話 完=


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