古都小話綴り 前編
寒椿
不吉な花と嫌われても わたしは椿が好き
昨日まで赤い命を燃やしていても
今日には跡形もなく消える
その清いまでの いさぎよさ が好き
すべてのものに 一太刀の鋏を入れるようなその終わり方が好き
あなたの指で触れた椿が
あなたの手のひらに コトリと落ちる
赤い椿はあなたの手のひらで
最後の息をするように くらり と揺れた
あなたなら・・ きっとそうする
あなたの揺るぎなく確かで美しい
決心 のかたちを 見たような気がして
その時僕は言葉をなくした
椿咲く寺
薄日の射す寒曇りの園庭
二人影
秋明菊
小雨降る古びて苔むした石段を
あなたはゆっくりと登る
その両脇に乱れ咲く 紅色の秋明菊
雨風に流され 右へ・・右へ・・ と傾ぎながら
細い細い茎が 弓なりに重なり揺れる
石段を登りきると あなたはひとつ溜息をついた
雨に溶けるような 淡い溜息きだった
どんなものも 終わるときは音を消すように終わるのがいい
筆に薄墨を含ませて
一筋の線を引き終えた後の
消え入るような筆跡のように
霞んでおぼろになってゆくように
何一つまわりを乱すことなく終わるのがいい
あなたの俯きかげんの声と 雨音だけが響く
色も姿も消えた景色の中で あなたのさす紅色の傘と てんてんと咲く秋明菊の紅が
際立ち 匂い立つ
ここは北山・・ 宗蓮寺
言葉いらずの寺
山茶花
あなたは少し寒そうにして
肩をすぼめて座っている
常緑樹と枯れゆく黄葉の円曲が織なす庭の縁側で
あなたの肩先が
僕の肩先にわずかに触れた時
まるで風邪の引き始めの あの芯熱のような
けだるい熱が 僕の体を走り抜けた
山茶花の花が 静かに 散る
地面に向けて 真っ直ぐに 散る
昔・・母と歩いた記憶があるの
山茶花の垣根のある道
母は何故だか笑わずに
黙ってわたしの手をきつく握って
その手が痛くて
離そうとするとそれ以上の強さで母が握り返して・・
その時の母の手の熱さと 白い横顔と
山茶花の白い花と
それだけが記憶の底に残っているの・・
そう言った あなたの横顔も 白く冷たく
地蔵院
暮れゆく遠くの空に 冬鳥が飛ぶ
冬幻
三条大橋右詰め。
橋を渡って細い路地を抜けたところにそっとそれはあった。
足の先から冷たさが沁み込むような寒さだった。
あなたが教えてくれた、ある染織家の個展。
「一枚の布の命の息吹を感じて頂くために、あえて空調を切っております。ご容赦下さい。」
渡された作品の栞にそう書かれていた。
一枚の作品の前で足を止めた。
「 冬 幻 」
竹林を吹き抜ける雪吹雪。
それは時には飛散し、時には白く固まり、滲み、一方向へと風の流れをつくり舞い踊っていた。
その中に凛として立ち登る青竹の群れ。
銀鼠を薄めたような地色の上で、青と白が絡まり捩れて、けれども跳ねつける互いの強さが、互いの色を際立たせて、どこからか流れてくる隙間風に、かすかに揺れる一枚の布の上で冷たい息を吐いていた。
遠くに薄墨色の人影、それは冷たさの中で優しい輪郭で立っている。
いつのまにか傍に来て立っていた人が独り言のように話し始めた。
「絵の具には 白 という色がありますが、染料にはないのです。
染色には 白 という色は存在しないのです。白は色を置いてゆくものではなく 残してゆくものなのです。
一枚の布の上にどれだけ残してゆくか、どんな形に残すか、それでその布の命が消えてしまうのか、燃え立つのか、想いを遂げるのかが決まります。
その時の自分のこころ模様によっては、その布の命を痛く傷つけてしまうこともあるのです。
ここにこうして並べていても、これでよかったのかと落ち着かないのですよ。」
音のない静かな空気のようなその人は、いつくしんで抱きしめるような目で、一枚の布の前に佇んでいた。
「たぶん・・ 白はすべてを青に染められることを拒んだのでしょうね。
命のぎりぎりまで自分の白だけは消せなかった。譲れなかった。
でも・・想いだけは、静かに沁みてゆくのを自分に許したのでしょう。
抗いながら、それでも燃える命で・・。」
わたしの言葉を聞きながら、その人はわたしをじっと見つめてぽつりと言った。
「やはりそうでしたか。あなたですか。彼の話していた人は・・。」
穏やかな微笑みを浮かべて、ゆっくりと会釈をしてその人は背を向けた。
指先が冷たい。
糺の森
小さなせせらぎの森をあなたと歩く。 森は赤く染まっている。
連なるもみじの赤。 どこまでも赤。
あなたはせせらぎにもみじの葉を一枚浮かべて 「ほら、あなたも」 と僕の手のひらにも、もみじの葉を一枚のせた。
「この二枚の葉が、あの向こうにある流れ止めの石の段差をうまく越えられたら、きっと何でもうまくいくわ。」 とあなたが言う。
流れなどないように見えたせせらぎは、思ったより早く流れて、二枚のもみじの葉は近寄り離れて流れてゆく。
あなたはそれを目で追いながら早足で追いかける。
流れ止めの石に絡まり、止まり、何度かの回転の後に、二枚の葉はふわりと段差を越えた。
あなたは僕のセーターの袖を掴んで、にっこりと笑う。
「ね、これでうまくいくわ。」
あなたの言葉に僕が聞く。
「でも・・何がうまくいくの?」
あなたは大きな目をいっそう大きく見開いて、僕の目をじっと見て
それから、チロッと小さく舌を出して
「そうね、それが何なのか考えてなかった。」 とやっぱりにっこり笑う。
白いマフラーをひらひらさせて、あなたはスキップをするように、ブーツで枯葉を蹴散らしてどんどん歩く。
僕はちょっと遅れてそんなあなたを眺めながら歩いた。
せせらぎは何処までも続き、森は深く細く何処までも続き、もみじの赤があなたを照らす。
そう・・うまくいくよ・・きっと・・何でも・・。
緋色に燃える 糺の森
時間よ 止まれ 僕の胸が小さく叫ぶ。
回帰
似ている。 決して同じではないのに。
色の置き方も、筆使いも違うのに。
伝わる響きが、流れ込む気配の感触が、どこか同じだ。
唯ひとつ違うのは、斜めに横切る白と黒の激しいひとすじ。
それはは反駆し、突き上げて全てを打ち消そうともがいている。
けれどそれは決して外には向かわず、内面へと回帰している。
まさしくそれは 「内なる衝動」 だった。
「僕はあの人を越せなかった。あの人の経てきた時間や手にした栄誉を、今僕がすべて持っていたとしても、僕はあの人を越せないんだ。
あなたの中に、あなたを見つめるあの人を感じてしまうから。
あなたが僕を見るとき、あなたが僕の後ろのあの人を見ていることに、気付いてしまうから。」
あの人の存在。
それは彼の中で、憧憬と重圧の狭間で押し寄せる巨大な壁。
突きぬけようとすればするりとひるがえり、飛び越えようとすれば立ち塞がる。
柔らか過ぎる冬の陽が今日を包む。
西京極通りから茶屋町通りへと。
笑いさざめく若者達が鮮やかな色を放って通り過ぎて行く。
もう来てはいけないのかも知れない・・。
地下の駅に続く入り口で、そう口を開きかけたわたしに彼は言った。
「いつか・・必ず・・。その日まで、僕を見ていてくれますね。」
返す言葉を失ったわたしは、動き始めた電車のシートで静かに目を閉じた。
----後編へ
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