[実録]神仏との対峙 - エピソードイレヴン 神の本質
前回の続きです。
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[ご留意いただきたい点]
今回は笑いを挟みつつ、神の恐ろしい姿について書きます。神社にも少し触れています。これらはあくまで私が自身の目で見聞きし、体験し、また師匠の言葉の助けを借りて構成した文章です。実体験を忠実に書いていますが、宗教関係者の皆々様におかれましては、民間で降霊を行う者たちの間では、このような解釈の仕方もあるんだ?くらいに捉えていただけたら嬉しいです。
とんでもない長編になっちゃったので、久々に目次をつけます。
以下、前回の続きです。
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1.神の恐ろしさ
師匠に気をドーピングしてもらった私は、霊媒能力がずいぶん安定するようになっていました。どんなに口寄せしても眠くなったり、貧血のような状態になることはなくて、体が楽な状態になっていました。
今回はその後に訪れた更なる試練を書こうと思ったのですが、その前に神の本質について、もう少し書こうという思うに至りました。
私はこの「妙見」と呼ばれるおじいちゃんと接するうちに、神とはこういうものだということをなんとなく学習し始めていました。
師匠があまりに適当に扱うので、だんだん私も特に神だろうがなんだろうが気に留めなくなっていました。
いつもおじいちゃんが降霊時に出てくると「わしじゃ、わし」というのですが、師匠はわざと「わしって誰だよ、どのわしだよ。」と聞きます。
「わしじゃ、わし!」
「だからわからん。わしにだって色々あるだろうが白頭鷲とか、尾白鷲とか」
「だから、わしぃぃぃぃぃーーーーーーーーー!!!!」
降霊のたびに、こんなどうしようもない会話が毎回のように繰り広げています・・・私はこの会話を聞いてひたすら笑うのみ。
降霊ってこういう感じなんだっけ・・・?イメージとは違う。もっと厳かな気がしていましたが。
こんなコメディアンの片割れみたいなおじいちゃんの姿しか知らないので、おじいちゃんの怖い姿などは想像もできませんでした。
しかし、師匠は言います。
「神というのは日頃は人間を対等にみてるが、人間が一線を越えると容赦しない。自分たちが作った人間が神を見下すなどしたら、一気に導火線に着火して噴火する。それが神。」
「仏の顔は一度もない。一度でも一線を越えたらどんなに謝ろうが何しようが許されない。何度もやり直しがきくと思ってるのは人間だけ。」
「時々、神に無礼を働く奴がいる。調子に乗った人間は、霊体、幽体が八つ裂きにされる。それだけからまだしも肉体の霊的器官が破壊されたり、一生分の気を保管している容器を破壊されたりする。霊体や幽体がなくても肉体は自律して動くから生きていけるけど、そこまでやられると早くて半年くらいから徐々に気力がでなくなり、体を壊し始める。身体はどこも悪くなくても寝たきりの状態になる。霊界の管理権限を持っている神は、人間の人生の計画書を破棄できるしいくらでも書き換えられる。
さらに悪ければ「連座制」と言って、先祖や霊的に関係する縁者全てが霊界から引き摺り出されてめちゃくちゃにされる。だから人間(肉体)が増長して一線を越えると、霊体や幽体や先祖も縁を切って逃げる場合が多い。先祖はおろか、自分の霊体や幽体に見限られることになる。」
2.一線を超えた人間
実はこれをやられた人をSNSで見かけたことがありました。ネット上で神を愚弄し、師匠の忠告も聞かず暴言を吐く。そして容赦なく神の鉄槌がくだる・・・という流れ。
神に玉砕された霊体幽体はあまりに無残です。
あるものは口に汚物を詰められ、あるものは顔の皮を剥がれ、あるものは手足を引きちぎられる。最後に大量の汚物や岩を上から落とされて身動き取れなくなる。酷いと完全に霊体が消滅させられる。当たり前ですが、もう霊界での暮らしも来世もありません。
ネット上で、師匠に向けて書き込みをして謝っている人を見かけたこともあります。
とにかく具合が悪いから許してほしいと。
師匠は「やったのは私じゃないから私に言われてもね、私は忠告はしたよ。」と返していました。
「霊的な物事は全てが真剣。一歩でも間違えたら取り返しがつかない。神ですら消滅させられることもある。霊的な領域では、一瞬一瞬が真剣なものであることを神は理解している。」
「この三千世界は私有地なんだから、所有者に存在を認められないものは存在することが許されない。そこは神も人間も一緒なんだよ。」
このコメディアンたちにそんな真剣な一面があったとは知りませんでした。
さらに師匠は続けます。
「神の存在を否定するのは構わない。でも行き過ぎると始末される。」
「神の存在を否定するものは、人間中心に物事を考えすぎるんだよ。人間は何も特別なもんじゃない。霊的にみれば一番質が悪い。」
「ただ難しいのは、逆に神は、神を特別視するような人間も相手にしない。なんの見返りも求めず信仰するような者はたまに目をかけることもあるが、神に何かの見返りを求めるために崇めるような奴はほとんど相手にされない。そういう奴は魂がダメになっている。」
なるほど。
3.神々との宴会
「神と話せる自分すごいって思ってるような奴も、自分を特別なものと勘違いして高確率で魂を腐らせる。」
「ただ魂が古い奴らは神と話せて当然と思ってるから、特別だとは思ってない。そういう奴は神と対等に渡り合える。」
これはわかる気がしました。私はこのおじいちゃんは只者ではないとは思うけど、特別な存在だとは思えない。だから自分を取り繕うことなく本心で話せる。本心で話しているからこそ、対峙していて心地がいい。
「神というのは霊的な物事を全て見通す能力を持ってる。だから言葉なんていくらでも取り繕えることを知ってる。神は魂を一瞥くれただけで、その人間が全ての前世にわたってどのような生き方をしてきたかがわかる。昨日今日善行を積んだからってそんなものは意味がない。」
「もっと言ってしまうと、魂が良い者は神と飲み友達だったりする。霊界と神界の間に宴会場がある。そこに天界からもいろんな奴らが降りてきて、気が合う奴らが毎晩のように宴会してたりする。霊体が飲み友達や遊び仲間だったら、天界の者でもその人間に手を貸すこともある。その場所は生きてる人間の霊体でも出入り自由だから。」
宴会・・・
でも、それはなんとなく気がついていました。時々、霊体が宴会をやっていることを。
しょっちゅう夢で見ていました。
一番よく覚えている夢は、宴会で七福神みたいなおじいちゃんたち集まって、ベロンベロンに酔っ払ったところで、誰かがガラスのコップにおしっこを並々して、それを私が足でひっかけて飛ばしてしまうという夢でした。コップを蹴った瞬間、場が騒然となったのですが、コップがうまく床をバウンドして、縁側にきれいに飛んで行って地面にストンと着地しました。
それを見ておじいちゃん一同大爆笑!私もつられて大爆笑!
自分の笑い声で目が覚めました(笑)
夢というのは全部が全部そうではありませんが、霊体や幽体の記憶が肉体に降りてくることがあると前に言われていたので、この夢を見た後、師匠に報告しました。小学生みたいなノリの宴会でした、と。
「それが天界のノリ。あいつらアホやねん」と。
「人間に、天界の奴らはこんな奴らだって言ったって誰も信じないと思うけどさ、でも信仰している人はお気の毒だよ。」
お気の毒….
3.自然災害と神
「天界の連中は、自然現象に関わってる。ちょっと地団駄踏んだり、暴れたりしたらとんでもない自然災害が起こる。霊的な現象というのは上から下に降りる。だから天界で起こったことが、徐々に降りてきて現世で災害となる。」
禍が降りかかる、というけど、なんで禍が起こるじゃなくて、降りかかるんだろ?と思っていましたが、本当に上から降りてくるのか?
「昔の人はそれをよく知ってた。昔の人の魂は古い仕様だったから、神が普通に見えた。古事記に名前が残ってるのは天界の奴らだよ。親子関係はめちゃくちゃだけど、名前は本当の名前が残ってたりする。」
「神社というのは本来、天界の奴らに「食べ物を供えるから大人しくしててね」って場所なんだよね。天候不良や災害をそうやって防いでた。本来は開運とかを祈りに行く場所じゃない。」
実は、私が霊媒をする者として「おっしゃやたるわぁー!」って血の気が騒ぐ依頼は、霊障相談ではなく、天候不良から農作物を守ってくれという依頼です(爆)守ると美味しい作物がもれなく届きます。
やり方は簡単で、天候不良の原因となっている神霊を突き止めて降霊し、食べ物で交渉します。この前、台風をなんとかした際の面白エピソードもまたいつか披露したいと思います。
さて、少し話は神社に戻しますが、この前、春日大社の神様のお引っ越しを見ていた時にも思いました。これは神を祀っているんじゃない、どちらかというと神を封じ込めようとしている?ように感じました。封じる=祀るなのかもしれませんが。いずれにしても紙一重だと思いました。
引っ越しは特別なシチュエーションですが、春日大社の若宮様のお祭は、1年に1回模様されています。あれは、私の目には、じっとしててくれた神を連れ出して、舞などのエンタメを見せて慰労する、で、また連れ帰って封じ込めているように思えてなりません。食べ物あげますし、エンタメもありますからお願い、みたいな。これは私たちがやってることと変わらないモチベーション・・・神事をゼロから全て見たわけではないので霊的な術としてはちゃんと封じられているのかまでは分かりませんが、そういう意味があるように感じました。
同じ奈良にあるキトラ古墳の石室には、四神の絵が書かれていますが、あれは立派な封印の術を構築していると師匠は言います。あの知識があったんだから、春日大社にも神を封ずるための知恵が伝わっていたとしても不思議てはないのではないかと思いました。しかも、この四神の結界の由来は、天界のある神が別の神の動きを封じるために考えた術が人間に降りたものだと聞きました。元々は神を封ずるための術だったと。
ちょっと横道にそれますが、たまに土地の霊視などをしていると、昔の術者が張った結界などを見かけることがあります。でもその多くは、霊を入れなくするものではなく、霊を閉じ込めているものが多いです。下手すると、祠にとんでもない霊が縛り付けてあったりします。
これは何を意味するのか考えてみました。
昔は結界は「聖域を作る」という意味より、何かを封じこめる意味あいの方が強かったのではないかと。
そう考えると、神社という場所は、特に古代は神のための神域を示すためのものではなく、神を恐れ、なんとか工夫して神々の動きを封じ込めようと思っていた人々の霊的な知恵の現れではなかったかと、私はそのように感じました。
災害が少ないところに古い神社は建てられているというけど、逆かもしれません。神社があるから災害が少ない。
長くなったので、一旦こちらで終わりにします!
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