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好意と善意の裏側

スピリチュアル、宗教、ビジネス、、、


私は若い時、色々と勘違いしてきました。
結婚したばかりの時
お友達が欲しいと
思い料理教室に
通いました。

そこにとても
感じの良い女性がいました。


教室で話すようになり、
親しくなりました。
私は単純に親しい人ができたことが
嬉しかったのです。


何度目かの料理教室の時です。
保険の事を聞いてきました。
彼女は保険の外交員だったのです。


私は「ああ そういうことね!」
と腑に落ちました。

そしてちょっと
悲しくなりました。


でも彼女はとても
誠実な方だったし、ちょうど
保険の見直しを考えていたので、

話を聞いて
彼女から紹介された
保険に入りました。

その後も真摯に対応して
もらいました。

引っ越す時までは
プライベートでも
お付き合いはありました。




またその頃は
カメラモニターのない
賃貸マンションに住んで
いたので、

日中は度々、
セールスや宗教や団体の
勧誘の方が訪ねて来ました。


まだ世間知らずの所が
あった私は つい
人恋しさもあって
話を聞いてしまっていました。



断ってもなかなか帰ってくれない
時もありました。
そのうちに居留守を使うように
しました。




話は変わって、
息子が不登校に
なっていた時の事です。


なぜか疎遠にしていた
友達から連絡が来るように
なりました。


私もちょうど化粧部員の
仕事を始めたこともあり、
モニターをお願いしました。


とても協力的でエステにも
来てくれました。


ご飯に誘ってくれたり、
一人暮らしの自宅に
招待してくれたりしました。


また交流が復活したと
私は嬉しかったのです。


ある時ご飯を一緒に
食べていて、ふと私が
息子の事を漏らしたのです。



とても親身になって
聞いてくれました。

思わず涙ぐんだほどです。


そして彼女は
私の先祖の事、
夫の先祖の事を
色々と聞いてきました。


私が流産したことが
あるか?水子の供養をしているか?
とも聞いてきました。



そしてそれは
きっと水子の霊が
嫉妬しているからだと
言い出したのです。



そして供養のためのお札や
毎日唱える経典を勧めてきました。



私はあの時の
「ああ そういうことね!」

が蘇りました。


そして
気持ちがどんどん
冷めていくのを感じました。



でもお化粧の事もあるので
断れませんでした。
それに、、、


彼女に悪気は全くなく、
心底こうしたら良くなると
思ってのことなのです。
多分ですが、、、



それだけにやっかいなのです。

でも私も全く否定している
わけではありません。

「信じるものは救われる」

そういう強く信じられる物、人が
あるということ、

生きていく上での心の拠り所
になりますから、
辛いことがあっても耐えられる
でしょう。
少し羨ましいな、とも
思っているくらいです。


なのでよほど多額のお金を払わないと
いけないとか、何か高額なモノを
買わないといけないとか

それだったら止めておきますが、
そうではなかったので
試してみることにしました。


しばらく彼女の言うとおりに
毎日お経を唱えました。
でも特には気持ちの変化は
感じられません。


その頃、
息子はだんだんと元気に
なっていきました。
それを彼女に言うと
 
ほらね!信仰のおかげだよ。
と言います。


う~ん
でも私はそのおかげだからとは
思えなかったのです。

なぜなら私は最初だけで、
真面目には取り組んで
いなかったからです。



お経は唱えなくなり、お札も
置いたままになってしまいました。

時々お経をあげにおいで
と言われますが、


正直宗教抜きで彼女との
親交を続けていきたい、
それはできないものなのか???


答えは否(続けられない)でしょう。
でもそういう私だってお化粧品を
勧めているのですから、
彼女と同じなんですよね。


私はやっぱり
あまり信仰心は持てない
のでしょう。



彼女はこの信仰のおかげで救われた
と言います。コロナも災害も
信じていれば、まのがれるよ
ともいいます。


うーん、
私はその考えには
賛同できないのです。


彼女の方も最初は
善意から始まったことでも

やはり入信者を増やさないと
いけなくなるのでしょう。



先日めっきり連絡のなくなった
彼女に連絡してお札を返したい旨
伝えました。

置いたままというのも
どうしても気になってしまうので・・・


新しいお札をお願いすれば
彼女との親交は続き、
お化粧も買ってくれたのかも
しれませんが、


そういう付き合いはお互いに
有益ではないと思うのです。




他にも悩みを打ち明けたら
別の宗教ですが
勧めてきた近しい親戚がいます。

付き合いがあるから
むげに断れません。


そこからは時折
山のような教材が送られてきます。
1度その創設者の話は聞きましたが
私には全く話が入ってきません。
申し訳ないけど全て処分しています。



ただ修行を積んだあるお寺の
住職さんの説法はいつも心に
響いていました。
キチンと意味が理解できました。
もっとお話を聞きたいと思いました。



霊感のある方からは
「あなたには強力な守護霊が
付いているから大丈夫」と
言われましたが・・・

それも 「へ~そうなんだ~」
と思うくらいです。




宗教だけでは問題は解決しません。
これだけははっきりと言えます。

気分を害した方がいらっしゃったら
申し訳ありません。

苦しい時期、辛い時期に 
心の拠り所として
手を合わせる、唱える、
祈ることで大丈夫だと思える。


お釈迦様とか仏様は本来そういう
存在なのではないでしょうか?

人に勧誘されなくても
自ら信仰心は芽生えるもの
なのではないでしょうか?


私は自らの問題をそういう
曖昧なもので
解決してもらおうとは
思ってはいないのです。

話に耳を傾けてもらう、
それだけで私は良かったのです。


もう誰かれと悩みを
持ちかけることは
止めようと思いました。

化粧部員の仕事も
それだけが理由では
ありませんが、辞めました。


占いやスピリチュアルも
好きですけど、その場だけの
楽しみとして、取り入れたり

アドバイスを聞くように
してしています。













































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