【読書感想文】技術評論社『上手な教え方の教科書 入門インストラクショナルデザイン』向後千春

「はじめに」を読んだ時点ですぐに思ったのは、行動分析学なんだということ、方向性やその手法はどうあれ、既に自分で取り入れていたということだ。

子どもの自転車の練習はまさにこうしてデザインしながら付き合っていた。そしてそんな話を養成講座の授業でしてきていた。
これまでも講座の中でインストラクショナルデザインの話をしていたことになる。

なんとこの新書は本書の参考文献に入っていた。

教え手がリソースの一つであるということは塾講師をしていた時から強く感じていた。授業がうまければすべての学習者の成績が上がるわけではない。

大事なことはどれだけやる気を起こすかということで、授業のよしあしなど直接的には大した影響力を持たないと思っている。
授業のよしあしは、その人の授業中の姿勢が前向きにできるか、教室外でのやる気につなげられるか、それに尽きる。

自分は成功的教育観をとっているが、それが実習というものに意味を見出せないところなのかもしれないと気が付いた。結果として学習が起こったのかが考えられずに、授業がうまく成立させられたかどうかに注目が集まってしまうことに否定的なのだ。
「教えた」という行為をしただけではいけない。意図的教育観にあって教案通りに授業が進められたことで満足感を得るというのは、自己満足でしかない。

読解ができないという時に、とにかく読むという行為をして、文法を解説していくだけではいけない。
それが何によるかを考えなければならないし、スキーマが獲得されていないからということもあろう。

表現が使えないということは、表現自体が理解できていないということではなく転移していないからということもあろう。
この場でこれを使ってもいいのだというインプットを与えて、転移を促進していかないといけない。
転移を促さずに転移できていないことを学習者の責にする教師は多い。

今回新しく考えることができたこととして「コミュニティという背景なしに態度を教えることはできない」がある。
個人レッスンをしていた時に強く感じたことであり、当時は個人レッスンをしている数人をどう関係をもたせるかと考えていた。

自分の一番の関心事項がここなのだが、インストラクションできない態度とはいえコミュニティとの関連が強いということなら、周囲の学習を促進させることである一人の態度を変えることができるかもしれない。

今は新しいコース設計をしている最中だ。
どんなコミュニティを作るのか、これが自分の課題であったが、これからも中心の課題であるということがはっきりした。

実際の教師の授業内容、教育成果がラポールの形成につながらない例を見てきた。
リソースに注意がいきがちになるが、まずはラポール形成を意識せねばならない。

まったく別の話だが、死人テストは意志性を考える時に使えるのではないだろうか。8年前に行動分析学の本を読んだ時には思わなかったが、今では何でもそういうことに結びつく。

2020.4.26

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