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明治政府に利用された『桃太郎』

時代が少し進み、日露戦争の頃になると、鬼をロシアに見立てた『桃太郎』が登場します。「ロスキー(露西鬼)」という鬼を征伐しにいく物語です。敵国を「鬼」とする『桃太郎』が多く書かれたのです。

【#161】20211208


人生は物語。
どうも横山黎です。


作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。


今回は、「明治時代の『桃太郎』」というテーマで話していきます。




☆明治時代に『桃太郎』


僕は今、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作しよう!という企画を進めております。実は本日のテーマと重なるところがありますが、明治時代以降、桃太郎の物語ってほぼ変わっていないんです。もちろん、言葉遣いや多少の変化はあれど、物語に大きな変化はみられません。

時代によって求められる『桃太郎』って違うんだから、新しい『桃太郎』を追求してもいいよねと思い、「共生」をテーマに再構築しようと考えたわけです。


これまで、室町時代の『桃太郎』、江戸時代の『桃太郎』について見ていきました。それぞれの時代で、人々が求めていた物語って全く違うんですね。『桃太郎』という一つの作品を通して、その違いが歴然なんです。


詳しくは、以前の記事をごらんになってほしいんですが、最も大きな変化といえば、明治以降の作品から桃太郎が桃から生まれるんですよね(果生型)。それまでは、「回春型」といって、桃を食べて若返った老夫婦が子作りをして生まれてくるんです。


もちろん、明治以前にも桃から生まれてくる物語がないわけではなかったんですが、「回春型」と「果生型」の割合が一気にひっくり返ったのは間違いありません。


それでは、何故、桃から生まれるようになったのか? 明治時代の『桃太郎』にはどんな物語が求められていたのか? 今回はそういったことについて紐解いていこうと思います。




☆巌谷小波の『桃太郎』


明治27年、近代児童文学史を開いた童話作家、巌谷小波の著した『桃太郎』にはこんな文章があります。

「シテそれは何処へ行く気ぢや?」
「(中略)其鬼心邪にして、我皇神おおかみ皇化みをしへに従はず、却ってこの芦原の国に寇を為し、(以下略)」

漢字ばかりだし読みにくいですが、注目してほしいのは「皇神」「皇化」という言葉。

ここ何を描いているかというと、桃太郎が鬼退治へ行くことを決意したシーンです。この物語の桃太郎は、鬼が皇神=天皇の教えに従わないから征伐しにいこうと言っているのです。


その後も、桃太郎は「皇国の為めに、鬼ヶ島を征伐に参る」と口にしているんですね。



何となく、察しがついたかと思いますが、この桃太郎は、「天皇の治める日本の使者」なんですよね。


ちなみにですが、巌谷小波の『桃太郎』が出版された頃、何が起こっていたかというと、日清戦争です。帝国主義の跫音を高らかに響かせるように綴られたのが、この『桃太郎』だったわけです。


バッキバッキに政治的利用されています(笑)




☆「強い国づくり」のための物語


明治時代といえば、それまでの時代とは打って変わり、異国文化を大いに輸入しました。服装も変わり、食べるものも変わり、新しい時代の夜明けを迎えたのです。日本政府は外国を探訪し、明らかに遅れを取っている日本を強い国にしていかなければいけない、そう考えました。


それからというものの、様々な政策が取られました。日本史の授業で学んだ通りです。特に力を入れた政策の一つに「教育」があります。国民を統制する必要があったので、進むべき道を同じにする必要があったのです。


ちなみに、教科書には『桃太郎』が載っているんですよ。つまり、お国のために鬼ヶ島へ鬼を征伐しに行く物語を子どもたちに教え伝えていたというわけです。それが「正しい」ことなんだと、「正義」なんだと、教育されていたわけですね。


ちなみにですが、桃太郎が桃から生まれるようになったのは、教育上、若返って子作りするシーンが都合が悪かったのではないかとされています。あまり深い意味はないそうです。



それはともかく、強い国づくりを目指していたとはいえ、少なからず恐ろしいものを感じますよね? それが結局、お国のために命を捧げる戦争への参加に繋がっているわけですから。


その片棒を担いでいたのが、『桃太郎』だったのです。




時代が少し進み、日露戦争の頃になると、鬼をロシアに見立てた『桃太郎』が登場します。「ロスキー(露西鬼)」という鬼を征伐しにいく物語です。敵国を「鬼」とする『桃太郎』が多く書かれたのです。



今回の話をまとめると、明治時代には「強い国づくりのための物語」が求められていたため、明治期の『桃太郎』は、とにかく強く、たくましく、忠誠で、純真な青年が主人公であり、お国のために「鬼」を倒すストーリーが追求されていたってことです。


そういった理由から、「鬼退治」=「敵に勝つこと」に一番重きが置かれているため、鬼の視点もないし、桃太郎が絶対的な正義の英雄譚として語られているわけです。


そして、その名残なのか、なぜか、現代の桃太郎でも基本的にその物語が描かれているんです。個人的にはもっと別の物語が求められていると思うので、僕はメスを入れてみることにしました。


僕が考えるに、これからの時代に求められるのは「共生」の物語。


「共生」をテーマに、『桃太郎』を一緒に作り直してみませんか?


興味を持たれた方は、是非、下のマガジンを覗いみてください。


最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。




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