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自尊心の低い私が息子に愛を教わった。


#子どもに教えられたこと

私は親に褒められた事が殆どありません。

健康乳幼児でアトピー以外は身体が丈夫でした。
母は自分の兄弟がバラバラになった経験からか、兄に対して気を使い、
超過保護でした。
中学生でPCを与えてラジコンやミニ4駆、スケボー、ローラースケート、
TVゲーム、マウンテンバイク、スキーウエア、板、登山靴。
成人式には紫のスーツ(笑)

私は自転車を1回も買ってもらった事がありません。
PCも。部活の楽器も。
高校生でもインラインスケートを
プロの先輩が何足かあるからと借りていたり、スケートもスキーも好きでしたがもちろんレンタルでした。

車の免許の講習代も兄弟の中で私だけ自腹です。
そして父は趣味が多く、自分のスキーや登山道具、車にお金をかけており
友人と山荘を建ててしまい、単身赴任で不在なことが多かったです。

兄がチック症や成長ホルモンの出すぎで切れたり暴れたりして、
父も切れやすくてDV。
包丁を持って追いかけられた事も。

母は3人の子を育てながらフルタイムで働いており、幼い妹で育児を上手く取り戻そうと英才教育をして、常に兄の病気に気を取られており、
私は放置されておりました。
小学校は100点を取ったり優秀でしたが褒められず、本ばかり読んでいるけれど近所が男の子ばかりで、母が帰らないのをいいことに、夜の19時まで外で元気に駆けずり回っておりました。(妹は週6習い事でした。)
高校受験の際に冬季講習だけで中の上の公立高校に無事合格をして
成人式の着物も3,000人の中から合格して着物ショーにでてタダで振袖を貰い、とにかく要領良く手のかからない子供でした。
生徒会も文化祭の委員もやって充実した学生生活で、
アルバイトしたお金で勝手に遠くに行ったり友人宅や叔母の家に泊まったり
友人のお母さんに庇って貰っておりました。

アルバイトをして自活資金を貯めて、18歳で独立しました。
就職も要領よく出来ましたが
お前のせいで、お前がいなければとやっかまれる事が多く体調を崩して
3ヶ月で退職。

そこから19歳からお水の道へ。

ずーっと競争激しい営業の世界、出来高制です。
でも昼間自由に色々な事が出来て私には好都合でした。

その中でもめきめき地位を築いていって、
お酒が飲めないので売り上げはぼちぼちですが、
いつもナンバー(20位以内には必ずいるレギュラーで)
表彰される事も多数有り、日本で2番目に大きなグループの
第一営業部の14店舗で1位、2位にも何度か輝きました。
お客様とも10年以上指名され続けるような友好な関係を気づき、
女の子の教育係にもなり、確固たる地位を築いておりました。

『これからは俺が親の代わりに沢山褒めて愛すよ』
と言われて、
愛情表現が苦手で口下手ながらずっと想っていてくれた男性を蹴って
口先だけの男性と結婚。

可愛い息子が産まれる。

夫は私に『母親になってしまった。』と言った。
手を貸さないと何もできず、放っておいたら死んでしまう赤ちゃんですよ?

1歳になる前にめちゃくちゃ朝方なのに夜遅くなり、不倫し始めた。
彼は父親になれなかったのだ。
それもそれは義娘の時も0歳で不倫しているから2回目っだった。

子供が欲しくて堪らない既婚で年上の社労士の女性に恋をして
チャイルドシートが付いた外車に乗せて
週に3回も逢っていたが泳がせていた。
義父の墓参りやうちの妹の職場近くや電車で目撃され油断し(馬鹿?)
夫の母親は自分が大好き過ぎて、一緒に住むのに気が付かない(笑)

その時雇われの起業塾の講師だった夫は
塾のメンバーで行く台湾にその女性と行こうとしていたので
彼女と行ったディズニーランドのお土産のハワイ語から彼女の名前を推測し
SNSで発見!
『幸せになりたいなら私のところにおいで~♪』
と書いてあった。
共通の知り合いで気づいている方もいたので、その女性に
『夫が仕事を失うから台湾やめて』と送った。

相手の女性は家の周りをうろつくし、子供が欲しい人だと知っていたので
はっきり言って本当に怖かった。


子供を産む前に酷い事を言うかもしれないよっと言ってあった通り、
産後はホルモンのバランスが崩れて自分じゃないみたいにぼろぼろで
本当に死にたかった。
心療内科で薬も出された。でも捨てた。

自分が蹴った男性に助けを求めようとしたら、結婚して、奥さんが妊娠していて予定日が私の誕生日(笑)何も言えなかった。

2階のベランダの手すりに長座して目を閉じる事が何度もありました。

下はコンクリートだから、頭から落ちたらいけるな。
2月の寒空にじっと目を閉じているとかじかんできて
何もかもどうでも良くなってくる。

産まれた直後、無職でぷらぷらしていた妹が3ヶ月一緒にいて食事を作ってくれていたので、声もにているし、息子が唯一なついていた。
当時夫はもちろん、義母もまだ1日面倒をみるのは難しかった。
何より彼らには渡したくないので、妹に息子の事はお願いします。
と本気で当時は言っておりました。
妹は次の日仕事なのにずーっと長電話や変なメールに付き合ってくれた。

近所に同い年の子が沢山産まれていても保育園ママが話しかけても、
誰とも話したくなかった。
幸せな人たちの足を引っ張るからだ。
特に彼らは妊娠している人が多かったのだ。

うちは2月生まれで自営業だから、借金があっても1歳での保育園も難しかった。

きちんとミルクも飲めて健康で、夜は眠ってくれる息子で、手がかかるわけではないが、いきなり入ってくるプライバシーのない義実家の人と同居も辛かった。
冷蔵庫に何か入っていたりするのだ。
怖くないですか?

ベランダに話しが戻るけれど、
『さよなら』
そう思った矢先、
火が付いたかのように、ぎゃぁ~っと息子が泣き出した。

ベランダの手すりによじ登る度に
義母が起きてきてしまうくらいぎゃんぎゃん泣き出した。

それから
何とか(ホルモンも落ち着いてきたのか)生きようとした際に、
昔からの友人や妹や母や叔母が心配して沢山お金を貸してくれました。
よほど今までと見てくれも変わり果てていたのだろう。
ショックで痩せて、白髪が何十本にもなっていた。

スピの師匠に
『借りるのも才能』
と言われて、1,000万円位借りながら自己投資をしまくった。

風水の師匠に生まれた時間や場所からの私を視て貰ったら
両親に大事にされなかったり、兄弟も助けてくれないし
孤独だと言われた。
でもこの10年は助けてくれたのでは?
と言われた。
この5年は母親と初めて濃密でした。

私はスピリチュアルなお仕事が向いているようで、
他人の人生を掘り下げるのが得意だそうだ。

そして息子は私をヘルプしてくれる存在なんですって。

息子はパパになついていた。
抱っこや肩車してもらうのとか、男性が好きで
だれにでもやってもらっていたが(笑)

夫が家を出た日。
色々知っているよと話して、
よく『俺の事信用していないの?』
とそれはそれは人を小馬鹿にした表情で言ったよね。
と言ったら
『殺すぞ!』
と突然切れた。
息子を前抱っこしてダイニングで話していたので
息子は大層驚いていました。

そのまま帰らなくなった夫の事を思ってか
2歳で目は虚ろ、父親に捨てられた顔をしておりました。
毎週木曜日位から息子は高熱を出して病院通いをしていました。
アデノウイルスでした。
心理の本には『親の不仲』と書いてあるよ。
と夫にも伝えたら申し訳なさそうにしていたが、
義母が大層怒っていて『2度と帰るな!』
と言ったのだ。
多分その時そうするべきじゃなかったのだけれど、
義母はその時に初めて知ったので、
私の為ではなく自分の息子に腹を立てて軽々しく言ったのだ。

最初、パパを庇っていたが
めそめそと泣かれているうちに、
『変なおばちゃんの所へ行ったよ』
『ママのお友達だから行こう』と言われても
付いていかないでね。
と言ったらわかってくれるようになったのか
ピタっとパパと言わなくなった。

5歳になっても

息子は『ママ、大すき!』と毎日何度もはっきり言ってくれる。
『ママはもっともっと大好きだからね。』という。
化粧をしたり、美容院に行くと『ママ、綺麗だね』と言って
目が合うとチュウしてくる(居候の姪が韓国ドラマを観ている影響か)

妹のところに引っ越しを考えて、
おばちゃんのところに住むんだよと言ったら
『おもちゃ持って行っていい?』
と言った。

しばらくお腹を壊していた。

なんだか神妙な顔をしているなと思っていたら
なんとおばちゃんに貰われると思っていたのだ。

息子は現状を誰かのせいにしないで
ママの為ならと
叔母ちゃんの所に行くのを承諾してくれていたのだ。

『ママはやまちゃんとずーっと一緒だからね。
ママは嘘をつかないでしょ?』と言ったら安心したようだった

『ママ、優しそうだからママをやまちゃんが選んだんだ。』
とも言ってくれる。

エレベーターみたいのに乗ってきて、
最後は天使?
みたいのに寄り添ってもらいながら降りてきたんですって。
羽根はないんですって。

不器用な母に育てられたのですが、
息子は人に愛される天才だと思う。

『ママ、大好き』『ママと結婚する』
私が欲しい言葉をいつもくれる。
そして
保育園でも
『トントンして欲しい』とか
『大きい声で怖かった』など
されたら嫌な事も直ぐ口に出して言うのだ。

最近は
『赤ちゃん欲しい』と言う。
お父さんがいないと…と言ったら
『新しいお父さん探しに行こう』
と毎日言われる笑

産まれる際に
息子の脈が落ちて入院し、帝王切開になったが
産まれた息子は元気一杯で、大きな赤ちゃんでした。
後に治療家になって、同期に口を揃えて言われた。
『心臓に異常があるよ。』

出産前に私の不安が伝わって息子の脈が落ちたのではなく、
私の心臓に当時問題があったようです。

そのまま自然分娩だったら、
私が危なかったのかもしれない。

私は産む前から息子に助けられていたのだ。

これを書いて、当時の事を思い出していたら、
ソファで眠っていた息子が泣き出した。

以心伝心。

世の中のママへ。
貴方が悲しそうにしていると、
やはり子供は悲しくて、
貴方の笑顔が見ていたいそうです。
貴方の幸せを1番望んでいます。
子供は貴方を選んできました。
それを忘れないでね。

Rei

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