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赤子を、はいどうぞ

ナマステー!
タイトルが意味わからないと思いますが、後ほど解明されます。

またまた、ネパールネタになります。
ネパール七不思議どころか百不思議くらいあるのだが、その中でも特にほっこりするお話を。

僕は今大都会東京の下北沢という街に住んでいる。電車で渋谷なら5分、新宿なら8分ほどで行ける超立地のいい場所だ。お分かりの通り、東京では必然的に電車移動が増える。その中でもよく赤ちゃんを抱っこしたり、ベビーカーを押すお母さん、お父さん、家族に遭遇する。

そんな子どもを持つ親は皆人並みに尊敬する。と同時にその心苦しさがたまに垣間見える。というのも、電車での赤ん坊を連れた親たちはいつも申し訳なさそうな顔をしている。

僕は子どもはおろか結婚もしていない。だからその苦しみは多分10分の1も理解できていないかもしれないが、とにかく申し訳なさ全開の顔をしているのだ。

特に電車の中で赤ちゃんが泣き出した時は、まるで閻魔大王の最終審判で地獄行きが決まったかのような顔をしている。個人的にはよく泣いていて元気だなあ、立派に育つんやで。くらいの気持ちでほっこりしているが全員が全員そうではないらしい。もちろん迷惑そうにしている人もいる。

僕は日本とネパールしか行ったことがないので他の国との比較はできないが、日本に限って言えばちょっと生きづらいなあと感じる。迷惑そうにしている人を見かける度に心の中で「お前も泣いとったやろがい!」と暴言を吐きまくる。まあ僕の感じる日本はこんな感じ。

対してネパールはというと、まず電車がない。超車社会である。移動は基本バスかタクシー。ちなみにバスの時刻表はない。いつ目的地に辿り着くかは運次第。そしてここでおろして!というと停留地以外でも余裕で降ろしてくれるくらい寛容でアバウトな国だ。

ある日、いつも通りバスに乗った。その時僕は座席の一番後ろに座っていた。時間帯もちょうど混む時だったので、バスは満員。座席は全て埋まっていたので、後から乗ってきた人はみんな立っていた。

そんな中、最後に乗ってきたのは赤子を抱き抱えたお母さん。席を譲るにも一番後ろでどうすることも出来なかったので諦めた。そんな矢先、とんでもない光景を目の当たりにした。

なんと、そのお母さんはバスに乗るや否や、突然赤子をヒョイっと座っているにいちゃんに差し出したのだ。まずその時点で僕の価値観は音を立てて崩れ出した。それだけでもびっくりなのだが、そのにいちゃんは差し出された赤子を抱え全力であやしだしたのだ。もう僕の価値観は崩れるどころか粉々になってしまった。そして突然何故だか涙が溢れそうになった。

そう、これがネパールなのだ。日本なら一歩外を出ればみんな他人。なんならマンションの隣人さえ挨拶したことがないということもザラにある。その価値観で生きてきた僕にはあまりにもその光景が眩しく見えた。

これだからネパールは嫌いになれない。「当たり前を当たり前と思わない。」僕がネパールで学んだ教訓だ。おわり。

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