見出し画像

誰だってきっと波乱万丈

note2日目。

今日は自己紹介の意も含めて、私自身について書いてみたいと思います。これまでどんな人生を歩んできたのか、どんなことを考えているのか。
赤裸々に綴ってみます。

では、スタート。

早すぎる人生のピーク(誕生〜小学生)

26年前、九州の超ど田舎に誕生。

地元の田舎度合いは凄まじくて、リアルジブリの世界。市内にはマクドナルドもカラオケもないし一番近い店舗まで車で40分…。かろうじてコンビニはあるってレベルです。
遊ぶところといったらスーパーの一角にあるゲームコーナー。型遅れのプリクラ機が唯一の娯楽でした。めちゃくちゃ健全ですね(笑)

そんな小さな町の開業医の家庭の次女として生まれました。両親が医師だったので子供の頃から医療現場に近い環境で育ちました。
新学期に学校医として健診に来る父、買い物に行くといつも患者さんから声を掛けられる母。当時は、そんな二人の(病院の)娘として見られることがプレッシャーになっていたように感じます。

とはいえ両親のことはめちゃくちゃ尊敬していて、病院で働く姿を見る度にかっこいいな〜すごいな〜と子供ながらに思ってました。

両親は教育に関して本当に熱心で、私は小学4年生から塾に通い始めました。
そんな時、3つ上の姉が通う学校の制服に憧れて中学受験をすることに決めます。隣の県の中高一貫校で、県内屈指の進学校です。

(姉の背中を追いかけてた幼少期)

5年生の終わりから本格的に受験勉強を始めますが、なかなか成績は上がらず合格判定がAになることはありませんでした。
塾の先生に「(落ちたらショックだから)受験するの止めたら…?」と言われるくらいには、見込みがありませんでした(笑)

それでも諦めず、無事に合格。すべり止めの学校にも受かって、3戦全勝でした。


長い長い暗黒期のはじまり

憧れの制服に身を包み、新しい環境のスタート。

入学してすぐの頃、私は生まれて初めて夢を持ちました。当時放送されていた、ドラマ『愛し君へ』(原作は小説・解夏)に影響を受けます。
藤木直人演じるベーチェット病を患うカメラマンと菅野美穂演じる研修医のラブストーリー。

ヒロインに憧れ、小児科医になりたいと思い始めます。

当時通っていた学校は医学部への進学率も高く、まだ中学1年生でしたが私も目指すつもりでした。
もちろん両親への憧れもあったし、将来一緒に働くことももう一つの夢だったからです。

でもそう上手くいかないのが現実なんですよね。

通っていた学校は、中高6年間の内容を高校2年までに終わらせ、残りの1年間はみっちり受験対策に当てるというカリキュラムでした。
つまり授業のスピードは普通の学校より早く、なおかつ難易度も高く、宿題も多い。ギリギリの成績でなんとか合格した私は、だんだんと授業についていけなくなりました。

それまでの人生の中で味わったことのなかった劣等感。

徐々に学校へ行くのが嫌になる中、部活だけが楽しくてそれを糧に何とか通っている、そんな状況でした。

中学2年の夏休み、ホームステイプログラムに参加しアメリカに行き、夏休みの宿題を終わらせることが出来なかった私は、2学期から学校に行かなくなりました。

これが不登校の始まりでした。

家に引きこもって昼夜逆転の日々。先生や友達が会いに来て説得してくれても、私が学校に行くことはありませんでした。今思うと、教室での劣等感が恐怖でしかなかったんだと思います。

2年生が終わる頃には私の出席日数は限界でした。
留年か転校か…。

結局、中学3年の春から女子校に転校します。
前校の先取りカリキュラムのおかげで中学の内容はほぼ終えていたので、授業についていくことが出来ました。転校先の学校も中高一貫だったので、中学を終えてそのまま高校へ。

毎日学校に行けるようになって、不登校の壁を乗り越えられたと思っていた高校1年の半ば。まただんだんと学校へ行けなくなり始めます。

父に「なぜ学校に行かないんだ」と無理矢理引っ張って連れて行こうとされ、抵抗して泣いて。「自分の子育てが良くなかったからだ」と自分を責める母に申し訳なさしかなかったです。

私はなんて出来損ないなんだ、一家の恥だ、そう思ってました。

鬱やパニック症状が出始め、精神科に通い始めたのもこの頃です。

母は私が少しずつでも学校に行けるようになればと、とにかく私に寄り添ってくれて…。何度も一緒に泣いてくれました。


井の中の蛙、大海を知る!

よく晴れたある日のこと、母が気分転換にと海に連れて行ってくれました。
目の前には永遠に続く地平線が広がっていて、「世界は広いんだ…」と感じ、そこで私はある決心をします。

海外に留学しよう!

今とは違う、まだ自分の知らない世界に飛び込んでみようって太平洋の広い海に背中を押されました。
あのときの感覚や景色は今でも鮮明に覚えています。

それにしても不登校のくせに考えることが大胆ですよね(笑)でも少々環境を変えたくらいじゃきっとまたダメになると思い、ぶっ飛んだ発想で単身イギリスに飛ぶことにしました。

東京の某大学の附属高校がロンドン郊外にあって、私は寮生活をしながら通いました。授業は日本語で生徒もみんな日本人。日本の高校卒業の資格が取れるので、ただ場所がロンドンなだけって感じです。

それでも国が違えば文化も全く違うし、さすがに環境はがらりと変わりました。

どうしても学校に行けない日もあったけど、先生が部屋まで起こしに来るもんだからまあ休みづらい!
しかも、学校の決まりで欠席するときは職員室棟の保健室で休まなきゃいけなかったので、職員室まで行くなら教室行きますよね(笑)

でもそれが功を奏して、無事に高校を卒業することが出来たので結果オーライ。一時は最終学歴・中卒になると思っていたので、卒業できたときは本当に嬉しかったなぁ。

そしてAO入試で東京の大学にも合格できたので、卒業と同時に帰国して東京で大学生活を送り始めます。


続きはこちら。

#日記 #自己紹介 #人生 #不登校

この記事が参加している募集

サポートいただいたお金は、自身のスキルを伸ばすために使用させていただきます☺︎!