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私の文章は常に私が未熟であるという1点を避けて綴られている

欲しいものが1つもない。つまらなそうな顔をしている自分に気がついた。「本当は何か欲しいものがある?」と訪ねる。応答はない。「何もいらない」と言い切る。その目は貴方の「凄く生きてる時」と全然違う。慣れているはず。なのに鏡に写った自分と会話するのは未だ難しい。意味不。目を逸らし、終えるのも眼球の位置をずらすだけで可能、誰も引き止めない。何かが定まらないまま、この世の何処にも自分がいない設定に今夜全て書き換わっても、それはそれでいいと考え、春の道を彷徨う。あふれんばかりに咲き誇る花はなんの象徴でもない。ただ何かを祝福するような雰囲気の方が先に訪れる。花を浴びる人々が後からだんだん祝福される。そう、順番で春が来る。私は舗装された道から外れ、土、草の中間地点に腰を下ろす。神かな何かに委ねる勇気はとっくの昔になくす。欲しいものが分からない。本当に恐れていることは何? 散り散りになる川面の光が斜めの角度から聞く、生意気。光はいつも本当のことしか言わない。お前らなんかいなければ丁度よい何かにでも騙されて私は幸せ。私は恵まれている。これから先、何1つ幸せなことが起こらなくても総合値は十分。どうやっても死なない。そう、全て諦めた顔をする。悲しすぎて死なない為、代わりに泣くことも、何かを強請ることも不可能。「嗚呼、私は幸せ」と声に出してしまえばその通り。その声以外のものはなかったことになる。人生簡単。世界中に泣いている人がいる。早く助けに行かなくちゃ。どうしてどことなく、身体が重く、起き上がれなくて眠り、外へ出て歩き回って座り、さぞ考え事が捗る。何も考えられない。今泣いている人がいる。今、助けに行かなくちゃ。何お高くとまっている。誰かが助かればそれでいい。うろうろ彷徨ううち、役立たずになる。さっさと切って加工し、臭みをとって殺菌。最後の1欠片まで売る。何処からもいなくなれたらなんて幸せ。幸せも贅沢。実際、私は綺麗な売り物にもなれず、中途半端に頑張っている雰囲気を出す。中途半端な不良品。頭だけ冴え渡り、その証明も何処にも出来ない。最悪な気分で転がる。私が私を守ったことをいつまでも後悔。人より強く生まれたらその分、精力を分けなければいけない。みんなでちょっとずつ分けたら良い。どうしてその為だけに生きられなかった。よく考える。何度でも巻き戻る思考の螺旋。今日はそれでももう1歩と。生まれる前から何かの呼び声が聞こえる。誰も信じない。見たことも聞いたこともない。全く別の何かをそれと呼ぶ。声を聞くことは眼の前の人の涙を止めることよりも大切。層の私は言う。「凄くそう思う」もう1人の私、1度だけ付き合って。何かと何かを比べるのではなく、私が生まれてきた意味を、私が本当に嗅ぎ取る。多分、何か1つ到達点の為に理由を組み立てることではなく、全てがそもそも1つ。理由を1つも持たない何かのこと。「何処にもない」と言われ続ける。何処にもないとは言い切れない。「何の役にも立たない」と言われ続けるが証明不可能。触れている時のみ全てがわかって、指先が離れるとあったことさえ分からなくなる。どうあがいても信じ抜くことの困難。ずっと存在を知っているのに何時も1人になると聞こえなくなる。本当に正しいことは何。完結する物語の中、正しさに完成はない。私の人生が物語なら、どう続いていく。此処より先、何処にも行けない。私は今からこれまで愛した全てのものに一生残る愛を綴る。綴り終えたらその言葉を汚さぬうちに居なくなる。生きているうちは何かを汚す。みんなが愛してくれた箇所だけ綺麗に切り抜き、リボンを掛け、残りは見えないよう、ちゃんと捨てる。感傷、自己憐憫すらダサい。煩い、いい、、生きる。心より早く声の方で先に言う。「私は面倒くさい。傷つきたくない、傷つくなら何処にもいきたくない。もう私は疲れた」身勝手な友達みたいに返す正しさ。貴方に可能なのは保留。保留以外は全部誰かにとっては正しく、間違い。花吹雪が二子玉川に散り続き、風で重力が希釈。「綺麗?」と思う私。重力位変えようのない何か。重力さえも数多の条件が重なって偶然ありえていることさえも凌駕するものがこの世にある。どんなものなんだ。考える私。無知なふりが得意。見えたものを「見えなかった」と言うことはどうしても不可能。多分、何時か何もかも滅ぼす。何1つこの手には残らない。私以外の誰かが幸せならいい。と全て私の環世界の物語。私が「何処にもない」と言い切ればどこにもない。その場合、認識という最後の手綱を手放された物語。宇宙の本当に誰も見ることも、聞くことも、触ることも不可能な座標に永久に捨て去られる。私、貴方が初めて流した種類の涙がある。1粒、2粒が世界の全ての重さと釣り合う。


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