見出し画像

人生の棚卸し① 幼少期

なんとなく今変わり目というか、

これまでよりも
ちょっと違う方向に
一歩踏み出していきたい…
という気持ちが沸いてきてて、

新たな方向に進む前に

その為にも過去の自分と
向き合ってみようかなと
思うようになってきました。

ここでちょっと書き出して、
自分の気持ちを整理してみようと思います。

まず幼少期。

畑と田んぼと栗林に囲まれた
田舎の自然豊かな平地で生まれ育ちました。

植物に触れたり、
季節毎に変化する空気を
感じながら過ごす日々。

私にとっては理想的な環境でした。

両親はともに、私が生まれ育った
同じ町内の出身です。

2人とも大家族。
祖父母と親戚が身近にたくさんいて、
従兄弟達の間でも
年が下のほうだった私と弟は
皆に可愛がってもらいながら育ちました。

私が長女にもかかわらず
どこか末っ子気質なのは
このような環境で育ったからかもしれません。

私には、両親に抱っこを
してもらった記憶がありません。

2歳下の弟がいたからかもしれませんが、
スキンシップがあまり無い中で育ち、
自分から抱っこを
おねだりした記憶もありません。

家で内職をしながら、子育てしていた母。
関わりはたくさんあったわけではないけど
母とは常に一緒にいたような気がします。

この頃、父とは、
スキンシップはもちろん
一緒に何かをしたという記憶がありません。

父は仕事や趣味、
商工会青年部、消防団などで
忙しく過ごしていて
家にあまりいませんでした。

父との心を通わせるような
やりとりが無かった事、
触れ合いが無かったことは、

今の私の男性との関わりに関する
コンプレックスに表れている気がします。

男性に甘えたい。守ってほしい。
でも男性は自分自身の事で精一杯で
女性を大切にはしてくれないんだ。

そんな思い込みが
私の中には根強くあります。

私は、好きな事になんでも挑戦し
だけどあまり嫁と子供達の相手をしない
そんな父のような生き方がしたいと
思っていました。

人生を楽しんでいるように見えたからです。

逆に、ひたすら朝から晩まで内職をし
家事や子育てに勤しんでいた
母のようにはなりたくないと思っていました。

楽しそうに見えなかったからです。

私は今、当時の母と
同じような生活をしています。

父のような生き方に憧れつつも、私には、母が選んだ道を理解したい、なぞりたいという思いがあったように思います。

近所に歳の近い子がたくさんいたので、
子供達だけで何時間も過ごし、
みんなで外遊びをするのが常でした。

年下なのに、年上の子を従えて
威張っていましたね😅

小学校低学年まではそんな感じで、
今思えばガキ大将でした。
人一倍小さい体で、
人一倍威張っていました。

幼稚園には、
年長の1年間だけ通っていました。
1年保育しか無い幼稚園だったんです。
ここでも威張り散らかしてました。

約1キロの距離を、
5歳児3人だけ、大人無しで
歩いて通園してました😅

今じゃありえない‼️😂
まあ、その当時の我が家、
マイカーすら無かったですし。

でも、そのおかげなのか
移動は歩くのが当たり前と思うようになり、
それなりの距離を
苦もなく歩けるように育ちました😁

今もお散歩は大好きです♥

まあ、今日はこの辺で🌟

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?