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まだ愛なんて知らなかった

清恵はいつも学校を休んでばかりいる、ちょっと謎めいた子だった。重い病気を患っているとの噂だったが、本当のことは誰も知らなかった。さらさらの黒髪と端正な顔立ちが、日本人形のように美しかった。

そんな彼女と僕が初めて話したのは、中学3年の夏だった。体操部のマネージャーだった彼女とはなぜか気があって、なんとなく打ち解けた。かといって、好きだったわけでもなければ、付き合ったわけでもない。彼女は最後まで僕を「先輩」としか呼ばなかったし、僕も彼女を、苗字でしか呼ばなかった。

ただ、一緒にいるとどうも気が楽で、部活帰りに彼女の家に寄るようになった。テレビを見ながら他愛のない話をすると、気分が解けるようだった。そしてその時間は、誰も知らない二人だけの秘密だった。秋になって部活を引退すると、その頻度が少しずつ増えていった。

彼女の家にはまだ幼稚園くらいの小さな弟と妹がいて、よく一緒に遊んだ。親はいつも留守だった。家族の食事も、彼女が作っているようだった。

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この頃僕は、いつも親と揉めていた。自営業の父はいつもイライラしていて、何かあるたびに「根性が足りない!」と、僕を殴った。逃げ出したかったが、頼れる友達もいなかった。そして秋になると3年生は部活から引退になり、唯一の楽しみもなくなってしまった。そんなこんなで僕は、頻繁に清恵の家に行くようになった。

ある夜、いつものように些細なことで父親に理不尽に殴られ、思わずやり返した。奮った拳が親父の顔面を直撃すると、親父はよろけて尻餅をついた。 父は立ち上がると何やら叫びながらビール瓶を手にとった。母が泣き叫んで止めに入った。僕は家を飛び出した。

日付が変わる頃、僕は清恵のうちの窓をそっと叩いた。「どうしたの?」と小声で尋ねる彼女に「家出した」と答えると、彼女は黙って、僕を招き入れた。

彼女の家は、小さなアパートの1階だった。弟と妹はもう既に寝ていて、起きているのは彼女だけだった。「お父さんとお母さんは?」と尋ねると、 「帰ってくるのは朝3時か4時ごろだよ」と答えた。

僕らは布団に潜り込んで小声で話し込んだ。

やがて二人は抱きあった。清恵の柔らかい胸が、僕の胸に触れる。そっとキスをした。最初は短く、そして少しずつ長く。キスって一体、どのくらいの長さすればいいのだろう? キスしている最中は、鼻から息をしてもいいのだろうか? そんなことが頭の中を駆け巡った。

「キスって、舌と舌をつけたりするらしいよ」

清恵はそう言って、いたずらっ子のように笑った。僕らは再び唇を合わせ、そしてお互いの舌を絡め合った。不思議と不潔な感じがせず、長い間そうしていた。陰部が勃起するのが悪いことのように思え、清恵に悟られないようにと、腰を引いた。

やがて僕らは、うとうとと少し眠った。目を覚ますともう明け方で、窓の外が明るくなっていた。僕はアパートの裏の窓を静かに開けると、靴を履いて外に出た。自宅に戻ってみると、母が台所にしゃがんで泣きじゃくっていた。僕が近寄ると、「守ってあげられなくてごめんね」と、さらにしゃくりをあげて泣いた。親父は居間でむっつりと黙っていた。

この日から僕は、夜中に彼女の家に入り浸るようになった。そして布団に潜り込んではたくさん話をし、何度も唇を重ねた。

少しずつ清恵の家のことがわかってきた。父親はタクシーの運転手で、家に帰るといつも浴びるほどお酒を飲むこと。母親は水商売で、あまり家にいないこと。清恵は免疫の病気にかかっており、ひどく疲れやすく、髪の毛がごっそりと抜けることがあるなど。

何回目かの夜に、パジャマの上から清恵の胸をそっと触った。その次の夜には、ボタンをはずし、胸に直接触った。清恵の胸は、神々しいまでに美しかった。さらにその次の夜には、パジャマの上をすっかり脱がせ、乳首を舌で転がした。

僕らはいつも、なにか神聖な儀式をしているような気分だった。暗闇の中で声を殺し、厳かな気持ちでお互いの体を弄りあった。もしかすると男女が交わり合うって、本当はそうしたものなのかも知れない。

吐く息がすっかり白くなった年明けの寒い夜に、僕らは初めて全裸で抱き合った。そんなふうに、お互いの体をゆっくりと知っていった。

でも僕らは、なぜかうまく一つになれなかった。僕らはまだ15歳と14歳だったから、体が幼すぎたのかも知れない。僕は肋骨が浮き出るほど痩せていたし、清恵の胸もまだ膨らみ始めたばかりだった。そんな関係は、僕が中学を卒業するまで続いた。

卒業を控えたある日、二人の関係がお互いの両親にバレた。こうして二人の夜の慰め合いは幕を閉じた。

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中学を卒業すると、僕は地元の底辺高校へと進学した。あまりにも勉強していなかったので、行けるところがそこしかなかったのだ。高校では再び体操部に入り、毎日が忙しくなった。そしていつの間にか、僕の足は清恵の家から遠のいた。

そんなある日、清恵のアパートの脇を通ると、お通夜の案内が貼られていた。驚いて読み入ると、どうやら父親がなくなったらしかった。

数日後に夜中に抜け出して清恵のうちの窓の叩くと、彼女が顔を出した。久しぶりに見る彼女は血の気がなく、顔が真っ白だった。上がると、父親が突然亡くなったのだと教えられた。

「だからね、これでちょっと平和になるわ。ずっと大変だったんだ」

彼女はそう呟いた。

二人は久しぶりに唇を重ねた。でも、ほんの数ヶ月前のような親近感が湧いてこなかった。それでも二人はお互いの体を弄り合い、彼女の膝を開いて体を進めた。以前はどうしてもひとつになれなかったのに、なぜかこの夜に限って、すんなりと彼女に包み込まれた。清恵の中はどこまでも暖かかった。目を閉じた彼女の顔は、まるで祈りを捧げる乙女のように気高く見えた。

やがて痙攣が訪れ、脳天が真っ白になった。慌てて引き抜くと、彼女のお腹の上にありたっけのものが放出された。それを拭き取った後、清恵は僕の腕にしがみついて、再び目を閉じた。

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1年後、清恵は高校に進学しなかった。

その後の彼女について、僕が知っていることはそれだけだ。

僕らは、何事もなかったかのようにそれぞれの人生を生きた。バス停で会っても、彼女は僕に気がつかないふりをし、僕もまたそうした。もうお互いの傷を舐め合う必要はないようだった。

それから何年かして、清恵が母親らしき人と笑顔で歩行者天国を歩く姿を目にした。それが、清恵の姿を見た最後になった。やがて彼女が住んでいたアパートは取り壊され、二人で過ごした夜の痕跡は跡形もなく消えた。

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