1. 無自覚な「親切の押し売り」〜メサイアコンプレックス~
メサイアコンプレックス
メサイアコンプレックスという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
メサイアとは「メシア(救世主)」のことです。メサイアコンプレックスとは、自分に価値が無いと思い、それを埋め合わせるために自分が救世主(ヒーロー)でありたいと心のどこかで願ってしまっている状態のことです。
この無意識のコンプレックスにより、人は知らず知らずのうちに”自分自身の願望のために”人を救おうとしてしまうことがあるとされています。いわゆる「親切の押し売り」です。
善意に見えて、以下のような問題が起こります。
自己満足のために場当たり的に助け続ける。
実は困っている人を見下し相手を不愉快にさせている。
悩みを根本的に解決せず、逆に更なる不幸へと追い込む。
この現象が起きることは自己肯定感の低さに起因すると言われています。自己肯定感が低く、自分には価値が無いと無意識に信じているとき、人は他者を助けるときに自分が一時的に優位な立場に立つことを快感として感じることがあるのです。
一般に人助けには、潜在的に「メサイアコンプレックス」が発生する余地があると考えられます。なぜなら我々が人を助けるとき、基本的には助ける人がその場では一時的に高い地位(ランク)となり、支援される側が一時的に低い地位(ランク)となります。支援される側は実は自分の「できなさ」への直面を迫られており、一時的にでも精神が繊細な状態になります。もし支援を行う側が、その時の地位(ランク)の差に優越感を覚えてしまい、人を助けることそのものではなく、その優越感を味わうために支援を行い出すと本末転倒です。こうした関係性は、支援の関係ではなく、虐待に近い関係(心理的な 奴隷関係)であると言えるでしょう。
特にヒーロー(英雄)としての立場に人が立つことは、それがどんなに健全でも、相手に「あの人はすごい人だ!」と思わせます。すなわち助けられる側の人は潜在的に「あの人は私に無いものを持っている。」という感情や、さらにその奥に「私には何かが欠けている。私は1人で自分の問題に対処できない。非力な存在である。」という感覚も味わうことになります。つまりメサイアコンプレックスにのまれた状態で人を支援することは、相手に「できない」という烙印を無意識に押し、実際に相手の成長機会を奪うことで力をつけさせないこともあるということです。
ここまでの話をまとめると、メサイアコンプレックスはいわゆる「デキるヤツ」でありたい感情に起因し、「親切の押し売り」をしてしまうことです。「押し売られた親切」は、人に「私は非力な人間だ」と無意識に思わせる効果もあります。
「サービス(貢献)」が実は「親切の押し売り」になっている危険
さて、このメサイアコンプレックスに関連してですが、ビジネスの世界で一般に行われる「サービス(貢献)」は、常に「親切の押し売り」となる危険をはらんでいるのではないか?と考えられます。
次回はそのことについて詳しく見ていきます。
次の記事↓
今後以下のトピックについて扱っていきます。
・サービス(貢献)が相手の力を奪うとき
・倫理的に見ても"良い"サービス(貢献)とは?
・リーダー(起業家 / 活動家)とメサイアコンプレックス = 英雄的リーダーシップの罠
・我々の中に巣くうメサイアコンプレックスにどう対処すべきか?