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②"奥行き"の世界

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人がどう現実を認識しているか?が、現実を形づくる。おそらく、逆も然り。

前提・過程・物語などにより物理的に目に見える外面世界が著しく秩序化されていることを考えると、外面世界には、目に見えない"奥行き"として"客観的な"内面が存在する、と捉えられる気がした。

人々が現実をどう認識しているか?(前提・過程・物語)は、現実世界に実際に現れる物理的な作用に反映される。そして、物理的な外面世界の中で、人は現実の認識を新たにしていく。日々更新する。この相互作用そのものが『現実』であると認めるような姿勢が必要なように思う。


つまり前提や過程や物語は、『現実』を構成する”客観的な”人の内面と言えます。これを、「文脈」と呼んだり、「意味の流れ」と読んだりしています。


「過去・未来・現在」ではなく「むかし・これから・いま」

また目に見える範囲の物理的な"現実"しか捉えないことを「幅」の世界観と呼ぶのに対して、目に見えない範囲(可能性の世界)の"現実"まで捉える「奥行き」の世界観は、我々が日常で使う「時間を表す言葉」で容易にイメージできそうです。

それは、時間にまつわる認識を「過去・未来・現在」で捉えるのではなく「むかし・これから・いま」という言葉づかいで捉えることです。

「過去・未来・現在」は積分的で年表的・線形的であり、外から眺める視点です。
「むかし・これから・いま」は、微分的で物語的であり、内から見渡す視点のように感じませんか?微細な、境界線の無い(または薄い)感覚。

"むかし"と"これから"と"いま"には明確な線引きは無く、
"むかし"と"これから"を内包する"いま"を見ることで、奥行きまでもを捉えた本当の『現実』を見れる。それが本当の意味で世界を捉えることなのだと思います。

むかし・いま・これから
には明確な切れ目が無く、世界を外から見て区切っているのではなく、カオスであり、様々なものが(感情すらも。)渦巻いている世界を内側見ていることがポイントです。

多様な視点を人々が持つこと、目の前の人が独自の視点を持っていること、自分自身が唯一無二の”視点”を持っていること。自分の視点に一時的でも意図的に”埋没する”ことができるくらい超主観的になれること。


 

 物語の尊重が外面世界をうまく規定しそうな一例

また、話は少し脇にそれますが、以下の文章に出てくる「はじまりの物語を語ろう」とは、まさに"むかし"的な話で、誰が本質的な責任 (Responsibility=リスクと引き換えの現実に対して働きかける能力とエネルギー)を持っているか?という「目に見えないが外面世界を規定している秩序」を捉えようという話にとれます。

「責任者の意思決定権とその代償として背負っているリスク」が、明確に理解されそして共感されることは、
・責任者によるトップダウンの議論で、プロジェクトの一貫性を担保
・人同士の強固な信頼関係を元にしたボトムアップの(自律分散的な)柔軟な対応
の2つを両立させるための重要なコツなのではないか。
 
そういう意味で、Source Principle(ソース原理)の、
「イニシアティブ(そのプロセス)を始めた人の、"リスクを背負ってでも最初の一歩を踏み出した"はじまりのストーリーを語ることが重要。始まりの物語を語ろう。」
という意味が理解できる
 


つづき


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