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不思議な母・・そして父

 私の母は不思議な女性でした。見えない世界を大事にしていました。日本の田舎の田舎に住んでいましたが常に世界平和を祈っていました。朝、東の空に向かってお祈りをして天照大御神の祭壇でお祈りをして夜もお祈りをしていました。亡くなる二年前まで五十年以上世界平和を祈り続けたのです。自分のことよりも子供たちの幸せを願っていました。人が困ったら母に皆相談するのです。急に偉いさんが来られ、その家にはたまたま食べるものが無く母に助けを求めて来たとき、家族が食べようとしていた料理を母は鍋ごと相手に渡し助けことがあります。母が病気になり私が介護をしていたときその方は両手に抱えきれないほどの果物を持ってきて、母に助けられた話をするのでした。お金に困った人には都合をして請求をしなかったそうです。
 父も道理を大事にする人でした。猟で山に入るとき、ちゃんと儀式をします。山には神様がおられて、これ以上は神様の領域だと直感で解り決して領域に入らなかったそうです。海の漁でも海に失礼なふるまいをしなかったそうです。山には山の神様、海には海の神様がおられるということを知っていたからです。人の道も大事にする人でした。曲がったことが大嫌いで常に正直に生きてきました。父が晩年、寝たきりにになり寝ながら誰かが父の世話をすると両手を合わせお礼をするのでした。人間らしく最後まで生きた人でした。両親の姿を見てますます、姿勢を正しく生きようと思いました。
 母は美しい世界をみていたのだと思います。詩や短歌を創作していました。大概が自然の素晴らしさを表現していました。手芸も得意でした。とっても可愛いお花のモチーフでいろいろな物を作っていました。
 私が若いころ仕事に満足しなくて、まるで仕事に飢えているようにコロコロと仕事を変えていました。そんな私に母が言った言葉が忘れられません。「あなたは仕事に恵まれているのね、そんなにたくさん仕事に出会えているのだから」と、目から鱗でした。叱られるとばかり思っていたからです。母は違う見方をしていたのです。たくさんの言葉を母から頂きました。「人に道を聞かれる人になりなさい」と。「人は一瞬で相手を見抜けるから、人に道を聞かれたときは、自分が進んでいる道が間違いないということだからね」といわれました。「辛いときは辛さを抱きしめなさい、胸の鼓動が聞こえてくるでしょう、人は前に向かうようにしか出来てないのよ、その辛さにも飽きがくるからね」と。「一日の内、あなたの心が喜ぶことをしなさいよ、一番心が喜ぶのはね、他人があなたのおかげで笑顔になることよ、やってごらん」その言葉を大事に私にできることをしました。ホームレスの人が販売している本(ビッグイシュー)を買い続けました。そのことを販売員に話をしたらその販売員もするということでした。一年後にその販売員に尋ねられました、あなたまだ続けているの?もちろんよといい、その販売員もず~っと続けているそうです。すごく嬉しいできごとでした。
 母の言葉は私の宝物です。
 次回は私に起きた目に見えない出来事の数々です。
続く

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