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学校に行くなら風俗で働けって自分に言い聞かせてた大学時代。【Vlog.2】

書きたいことは山の数あるけれど
イマイチ言葉にできなくて悩んでいる。

今の学校生活は波瀾万丈。
毎日電車の遅延で頭悩ませています。


今日は大学生活を振り返る回。
いろいろ言葉足らず、掻い摘んでいます。





世の中には

どうにもならない
〜せざるを得ない

という【諦め】が存在することを
私は風俗を通じて、身に染みて実感しました。



例えば

学校ではずーっとひとりぼっちでね
誰とも喋らず声を出す時間が一言もなくて

それでも授業では発表しなければならない。
そこで初めて声を出すから、上手く言葉にならなくて
しゃがれた声で恥をかくのは自分。

新年度のクラス替えで冷や汗をかく。

図書室の本は読み潰したし、昼休みはやることがない。
それでも窓際社員のように、何かしてる風を装うんだ。

遠足は友達じゃなくて、せめて親と行きたかった。
体育祭も文化祭も、ずっと誰かの指示でやらされていた。


それでも家に帰れば
ゲームができる。
それが唯一の楽しみだった。

何とも情けない話だ。


家に帰れば
親から成績のことで叩かれて怒られて、謝る。

「次こそは良い点取ります」が毎回続いて、早くも卒業生になってしまった。

高校の入試前に「もう良いよ 頑張らなくて」と言われ、中学生にしてとうとう死んでしまいたくなった。




思考を張り巡らせるのは得意だったから
深く深く、冷静に考えて
自分が置かれた状況がいかに危険なことを分かっていた。


私は不登校になるべきだ。



何故なら、通常学級ではストレスが蓄積される。

実際、髪の毛を抜きまくって円形脱毛ができ、担任の先生がそれを察して、私は頭を優しく撫でられた。

中学生で生理が2ヶ月こない月があった。

家に帰って過食して顔が膨れ上がった。


でも、それだけ。


リストカットも痣も無い。


だから、そんなことを自分で言うのは恥ずかしい。


普通、体の不調は誰かに見つけてもらうものでしょ。

学校の屋上で自殺しそうな子を先生が見つけて、初めていじめが発覚するんでしょ。

体育館で倒れて、友達に大丈夫?と抱えられながら保健室で痣があって、初めて虐待の事実を知るんでしょ。


私には誰もいなかった。


クラスのあの子に言われた陰口も
親から受けた期待も嫌味も
一部の先生の見て見ぬふりも


全部無かったことになっている。




そして現在。

自分の言葉でこのように書くには遅すぎる。
私はもう立派な大人だ。

もはや言い訳、弱音、被害者意識。
他人はこれをメンヘラと呼ぶか、もしくは悲劇のヒロイン症候群と呼ぶ。


なんだか、自分の弁護士は自分みたい。


この生き辛さを発達障害と呼ぶのなら
それで自分を正しく理解してもらおうと、精神科で診断書なんか書いてもらっちゃって

恥ずかしいよ。
何自分が自分にせっせこ慈善行動しているんだろうって。


それでも私、自分なりに助けを求めたつもりだった。




10代の私が精一杯できるのは
弁護士や警察や医者に自ら助けを求めることではなくて
身近な大人にSOSを出すことだ。

相手が違うんだよ。


当時は嫌でも毎日登校した。
保健室登校も不登校も知らなかったから。

泣いても強い私は
義務教育を卒業するといなくなってしまいました。


もう大人に助けてもらおうと思わない。
学校の先生なんて意味がない。



そんなボロボロな女の子に

誰が手を差し伸べてくれるんだって

でも、ずっと進級するたびに期待していたよ。

友達も、勉強も、学校行事も。


そんな毎日を過ごし、早くも成人になりました。
18歳も20歳も25歳もまだまだ子供だ。
だけど世間に出れば、都合よく大人に大変身。


大人になってからじゃなおさらタチが悪い。


大学の帰り道だから、嫌でも夜の繁華街を歩くようになり
変な男の人に声をかけられる。

でも思うよ。

可愛いとか綺麗だねって言われると
そりゃコロッとそっち側に行っちゃうよ。
そんなの。


大丈夫だからこっちおいでよってさ
怪しい男の人に上手く言われて、騙されてさ

水商売の世界に手招きされてるのかもしれないけど
向こうにとっては人材というか商品集めだけど

容姿を見て品定めなんかしたりして
適当に店に放り込んでいるんだろうけど


こんな私に声をかけてくれてありがとう


変な話だけど私はスカウトの男の人にそう思った。
ついていけばよかったけど
その頃は水商売は危険な仕事という認識があったから、走って逃げ帰った。


きっと、あのときお兄さんについて行ったら

もっと早くこの業界で働いていただろう。




就活が上手くいかなくて
卒業してからお金の稼ぎ道が無いと、マジでヤバいって本気で焦っていた頃です。


人生、楽観視できなくて
就活に落ち続ける私は、そろそろ戦意喪失。

見た目も特に派手では無いが
当時から服が好きだったので
何とかして毎月服を買っていた。

お金が無いくせに、一丁前にブランドものが好きで
ユニクロとかGUとか、選択肢に無かった。

そもそも今の生活が危ないので、新たなアルバイトに手を出そうとしていると先生は思ったのだろうか。



就職課で私は先生に


「あなたにはお水の仕事はして欲しくない」

って言われました。

私が風俗で働いていないときです。
受付のアルバイトをしていたときです。


ふざけんじゃねぇよ。


風俗なんてやるもんじゃない
と言う人が大勢いるのは理解できるんだけど

普段、生徒の小さなSOSを見て見ぬふりをしておきながら


キャバクラや風俗はやっちゃいけません

って綺麗事を言うんです。


お金の援助なんかしてくれないくせに。



私はその頃から大学に居場所を求めることを諦めた


だから大学に行くくらいなら


風俗で働け。


無我夢中で働け。
必死に金を稼げ。
あと1年で自立しろ。


大丈夫、ひとりでも生きていける。

...と言い聞かせていた。


大学よりも風俗を選ぶ


お金好き
ホスト狂い
多重債務者



そう思われても仕方がない。



でも、そうしなければ
きっと私には何も残らなくなるでしょう。



お金も、心の余裕も、過去の努力も。


虐めと同じ。

やられた方はずっと覚えていても
その事実は余程のことがない限り無かったことにされる。



だからね
風俗という業界のアルバイトで
自分の持っている全部を無駄にしちゃいけないんだよ。

無かったことにしちゃいけないんだよ。

だからどうか、せめて、お金を残しましょう。
お金というのは
生きる術で、心の余裕で、将来の可能性を広げるもの。



そう言い聞かせて働いていた。



そんな大学生活でした。



とは言うものの

私は
風俗を知り、働き始めた時期がラッキーだったのです。

大学の単位が全部取れていたのです。

風俗を始めた頃には
とっくに就活の最終面接を終えていて
結果待ちの状態だったのです。


だからこれ以上、大学に行く必要は無かったのです。




大学卒業後、
身内のお葬式の前。

叔父さんに「何の業界に就職したの」と尋ねられ

「IT業界だよ。◯◯◯(企業名)」とこたえたとき
「えっ!凄いじゃん。大企業じゃん」

と凄く喜ばれたのを今でも忘れません。



そのとき、私は就職と風俗との間で心が揺れていた。
多分、就職しても人間関係でしくじるから。

贅沢な悩みだな。

身内にごめんなさいと心で謝った。

今もアルバイトで風俗業界で働いているんです。
多分、私は就職してもこれを辞められないと思う。




だが納得はしている。後悔はない。

風俗を無事に辞めて就職して、会社で働き続けていたら、私は多分上京なんてしていない。

憧れの大学生になれて、それも現役で卒業できた。
風俗に力を貸してもらって。


今は心身に無理のない範囲で働いているよ。
むしろ、それ(風俗)以上の目標を見つけました。



私は声優になりたいです。

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