徒然草1「違和感を大切に」

違和感を大切にしたい。僕は常々そう思っている。

「上手く言葉にできないが、何か違う気がする」と言った感覚を持つことがある。そのような感覚があったときにはたいていその感覚は正しい。と今までの人生経験の中で僕は考えている。

例えば、「正しいことを言っているはずだけど、なんだかこの人の言葉が信じられない気がする」とか「皆こうだけど、これって本当に良いのかな?」と言った感覚だ。

思えば、僕は作業療法士になったときの新人時代にリハビリに違和感を持った。「先輩もこんなリハビリをしろと言っている。教科書にもそう書いてある。物品も揃っている。でも僕が思う感じと何か違う気がする」と。具体的に言うと、リハビリ室にある『プラットホーム(リハビリ用ベッド)』が気持ち悪く感じたのだ。

あれから10年以上経つが、新人の時の感じた違和感は間違っていなかったと思っている。家にプラットホームが置いていていある患者様なんて居ない、離床を促さないといけないのにリハ室でまた臥位にさせる意味、プラットホームでなければ出来ないリハビリが思いつかない。。。

結局その後、訪問リハビリに出会って僕は「これだ!」と感じるのだが。またそれについてはいづれ(多分)。

とりあえず、『違和感』を大切に生きていきたい。患者様と接するときもそう。「何かいつもと違う気がする」にアンテナを張っておくと異変に気付きやすい。実際に患者様の脳梗塞の再発を早期発見できたこともあった。

また、これは人間関係にも言えることだ。客観的に正しいことを言っているようで、自分の思う方向に事を進めようとしている人に出会うことは社会ではよくある。そんな人は違和感がある。「心」と「表情」と「言葉」が一致していないのだろう。そんな人とはとっとと距離を置くに限る。サヨウナラだ。

そして何より、自分自身への違和感には敏感になっていたい。健全な自分への違和感は『成長』ともいえるだろう。どんどん成長しているのだから見える景色も変わって違和感はあって然るべきだ。でも、良くない違和感もある、心と体が一致していないことの違和感だ。無理に周りに合わせたり、感情を殺し続けたりするのは苦しい違和感だ。麻痺しないよう自分を大切にしていきたい。

さて、そんなことを書きながら、また明日も仕事に行こうかね。違和感を大切に。

ではまた。


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