文化の狭間から見る『ナメられる日本人』

これは文化の狭間で育ち、そこで生まれた心の渦を記載しています。
気分を悪くさせてしまったらごめんなさい。
でも、一般じゃない人の視点から、マイノリティの感じていることを赤裸々に書いていきます。





僕は外国人ではないので日本人として誇りを持っている。
 だから外国人を目の前にしてなめられるような行動をしている日本人には『日本の無意識的な常識を忘れてください。なめられるだけです。』と伝えたくなる。


 
多くの日本人は、日本人に囲まれて、日本の常識の中で生きている。

だから、私から見ると軽い嫌悪感を抱いてしまう時がある。
これはマナーが異なる時と同じような感覚だ。
 例 (外国人から見た)啜って食べる事など

外国人から見て、ナメられるようなことしかしていない人が沢山いるのだ。

海外で、日本人のように へこへこしている人を見たことがない。
            ジェスチャーや相槌を毎回している人も見たことがない。
            簡単に人を信用する人もいない。
            お人好しすぎる人もいない。
            他人に意見を合わせまくっている人もいない。

個人差があるので私には見えていないだけかも知れないけれど、
海外のコミュニティに入ってみれば日本人がどのように見られているのかが分かるだろう。
 例 アメリカの日本人をネタにしたコメディを見るなど



僕は外国人ではないので日本人として誇りを持っている。
 だから外国人を目の前にしてなめられるような行動をしている人には『日本の無意識的な常識を忘れてください。なめられるだけです。』と伝えたくなる。


そもそも、日本人はチョロいから、とナメてかかってくる外国人は嫌いだ。
(特に日本人女性はチョロいと思われがちだから気をつけて)

もちろん日本人に敬意を持って接してくる外国人も沢山いるけど、多くの日本人は外国人と触れ合う機会がないため、舐めている外国人と一緒くたに認識している。

 でも、多くの日本人は私のいうことに耳を傾けない。なぜなら日系フランス人の私の見た目が日本人だから。そこで日本人を救いたかった私の心は日本人ヘイトに向かい、二つの矛盾した気持ちが心の中で渦を巻くのだ。

そして私が忠告したにも関わらず、目の前で『ナメられる日本人』になっているのを見る。
心の底でナメている外国人と、自分から舐められに行っている日本人の両方が嫌いになるのだ。


どちらも分かり合えない。どちらも味方ではない(同じポジションではないということで)。どちらにも同化しきれない。




色々な悩みがあると思うけど、
それは、どんなに足掻いても解決しない、
悩みを同じ境遇の人と共有するまでは。

僕はフォースカルチャーキッズ(?)に分類されると思う。
日系フランス人が(ちょこっとだけ)いるフランスの現地の幼稚園からは、
悩みを共有できる人も、信用できる友達も、誰もいなかった。

でもアメリカ人の友人と出会ってから世界観が共有できて、
優しくて元気のでる言葉をもらってから、人生の考え方が変わった。

一つ言えることは、
↑上記のように感じていた人は色々な人を嫌いになった後に、自分のことが一番嫌いになることが有ると思う。

まず、僕がここにいる。
あなたは一人じゃない。
次に、あなたは間違っていない。
あなたもお人好し。
あなたの優しさを理解できる人が必ず現れる。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?