見出し画像

なぜ、漫才は面白いのか。/パンクブーブーさんの漫才「万引き」から 〜続き。


皆さんこんにちは。たじーです。
前回の記事の続きです。


前回は、社会言語学の概要と実際の漫才のテキストをご紹介し、漫才の面白さを言語学的に分析すると…?という問いを残し、書き終えていました。
今回は、その答え合わせと解説をしていこうと思います。

まず、前回ご紹介した漫才には、一貫してある笑いの″仕掛け″が存在しました。
おそらく、お気付きの方も多いと思います。
それらの例を、いくつか抜粋してみますね。



まず、ここ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

佐藤「よくないでしょ?ひどいでしょ?
だから俺は、「おい!なにやってんだ!!」って思ったんだよ

黒瀬「あ、言ってないんだ!」

佐藤「言ってない言ってない!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


次に、ここ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

佐藤「そそ。そしたらそれに気づいた兄ちゃんがよ、「テメーさっきから何ジロジロ見てんだよ!」…っていう表情を浮かべてきたのね?

黒瀬「言ってないの?」

佐藤「言ってないよ?もちろん」

黒瀬「表情を浮かべてきたんだ!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そして、ここ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

佐藤「浮かべてきた!だから俺もそれで完全にブッチーンって言ったんだよ

黒瀬「あ、言ったんだそれは!?」

佐藤「うん言ったんだよ?これは。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


はい、お分かりいただけたでしょうか。
笑いのエッセンスが、序盤から精巧に織り込まれていますね。

そう、この漫才では、一貫して「常識的な予想を裏切っていく」ことによって、次々と笑いを生み出しているのです。

例えば、最序盤の笑いが起こる場面。「おい、何言ってんだ!」…に続くセリフって、描かれたシチュエーションから考えると、「おい、何言ってんだ!」って口に出して言っていますよね。常識的に考えるならば。でも、そうではなく、ただ″思った″だけ。多分こうなんだろうなーという予想を、見事に裏切られます。その後も畳み掛けるようにして、ことごとく予想が裏切られていく。これが、この漫才の笑いのシステムです。

誰が言ったかは記憶が定かではないですが、「笑いは、予想だにしないところから生まれる」と聞いたことがあります。正にこれが笑いの本質なんでしょう。全てが予想通りだと、笑えないですもんね。単純なことかもしれませんが、この仕組みを上手くシステムに落とし込んでいる、非常に洗練された漫才だと思います。


さて。ここまでが第一ステップです。ここからが、より言語学的な見方をしていく部分となります。

実はこの漫才、日本語の仕組みを非常に上手く利用しているんです。もう少し補足すると、この漫才で起きる笑いは、日本語の構造でないと作れない笑いなのです。

一体どういうことか。次のテキストをご覧ください。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

佐藤「ここで俺がやらなきゃ誰がやるんだ。っていう本を棚に戻して」

黒瀬「あ、本のタイトルか!お前が立ち読みしてたやつ!?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここ、漫才的にすっごく面白い部分なんですが、何故面白いのかというと、「ここで俺がやらなきゃ誰がやるんだ」っていうセリフではなく、そういうタイトルの本だったというオチだからですよね。でもこれ、英語で訳すとどうですか?

″I put the book back in the shelf...″

あれ、最初からもうオチが丸見えですね。どうやったって、「本を棚に戻した」ことを先に触れなければいけないんです。

学校の英語の授業で、言語の語順について勉強した記憶がありませんか?SVOとか、SOVのような。この言語ごとに異なる語順が、この笑いの仕組みに大きく影響を及ぼしているのです。

日本語は、″SOV″言語です。つまり、S(主語)→O(目的語)→V(動詞)の順で文が形成されていて、今回の漫才でいう種明かしの部分、つまり、「話者が何をしたか」という動詞が必ず最後にくるのです。だからこそ、動詞がくるまでに、いろんな情報を付け加えることによって、イメージを作り上げていき、最後に一気に崩す!という言葉遊びができるのです。

一方英語は、″SVO″言語であり、主語の後にはすぐ動詞を持ってこなくてはいけません。したがって、日本語のような言葉遊びは不可能なのです。意味は一緒なのに、言語のしくみの違いだけで、笑いの生み出し方も変わるというわけです。

ちなみに、この言語の違いによって生み出されている笑いが、語順のほかにもう一つあります。ここがこの漫才のすごいところ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

佐藤「兄ちゃんがそんな態度だったら、弟の俺も…」

黒瀬「お前の兄ちゃんかよ!!」

佐藤「俺の兄ちゃんに決まってんだろ、俺兄ちゃんって呼んでんだから〜」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はい、もうお分かりですね。
漫才の終盤で衝撃の事実が判明。実は、回想の中の″兄ちゃん″って、他人ではなく実の兄弟だったのです。びっくりしますよね。この″兄ちゃん″で予想を裏切るやり方も、実は日本語だからできることなのです。

だって、英語だと必ず最初に″My brother″と言わないといけないから。″He″という代名詞でごまかそうとしても、必ずその代名詞が示す元の名詞を存在させる必要があります。でも日本語では、それが誤魔化せちゃうんです。他人の男性、おそらく自分とそんなに年が離れていなさそうな人も″兄ちゃん″だし、自分の実の兄も″兄ちゃん″と呼べますね。これが、日本語独特の″曖昧さ″です。


解説は以上になります。まとめると、この漫才は、日本語だからこそできる仕組みを上手く取り入れた、とてもシステマチックな漫才なのです。と同時に、言語学って、こんなことも研究するんだ!と、新たな知見になれば幸いです。


機会があれば、″ことば″の面白さについて語ってみようと思います。よければまた、お付き合いください。


…あ、ぜひ本物の漫才も動画で見てみてくださいね。笑


それでは、ここで失礼します。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?