団地の花子さんと死にたい死神くんの人生実況解説動画 第16話
「はあ⁉ 何を馬鹿なこと言ってんだいっ!」
だけど、おばあちゃんの家で正座させられた私は、すぐに後悔。別に、老人にタカリに来たことではない。現に机の上には、お持ち帰り用のサバ缶三パックが置かれている。
おばあちゃんがちゃぶ台をバンッと叩くと、積まれたサバ缶が倒れます。だけど奥歯をガタガタ言わせている花子には、それを直す勇気がありません。
「もう一回だけ聞いてやる! どこで、それを知ったんだい! アイツとアタシが知り合いだって!」
私が言ったことは、『あのずっと桜通りに座っているおじいちゃん、おばあちゃんのこと今も待ってるよ。早く会いに行ってあげなよ』だけ。ほんとその二言だけ。そしたら、おばあちゃんは顔を真っ赤にして『そこに座りなっ!』と。
怖いよー。なんやかんや、おばあちゃんはいつも怒らないんだよー。いや、怒ってるっちゃ怒ってるんだけど、それが通常モードだから面倒なだけでそんなに怖くないんだよー。でもガチ怒りモードのおばあちゃんは、もう本当に怖い。私の代わりに怒られているちゃぶ台が可哀想なくらい。
そんなおばあちゃんに追求されても……言えないよね。
死神パワーで過去を盗み見しました、なんてどの口が言えるのか。
「……ちょっと小耳に挟みまして」
「だから、どこで挟んだのか聞いてるんだ! あの頃のことはねぇ、あの女はもちろん、バカ息子にも話したことはないんだよっ! それをどうしてアンタが⁉」
おばあちゃんの言う『あの女』は、お母さんのこと。バカ息子は言わずもがな、亡くなったお父さんのこと。お父さんは自分よりも早死したから『バカ』で、お母さんは再婚してから『あの女』呼ばわりになりました。未亡人時代はおばあちゃんともそれなりに交流あった。だけど再婚してからは、こんな近くに住んでいるのに、一回も会ってないらしいよ。お互い気まずいみたい。私はわからないフリをしているんだけどね。デリケートな問題だろうし。
とにかく、今はそれどころではない。
激昂しているおばあちゃんは、「あ――――っ」と机を叩き続ける。
そして、
「出てけ!」
短い一言に、私はようやく顔を上げます。
「え?」
「だから、出てけ! いいかい、アイツの話は二度とするな! アンタが何を聞いたか知らないけど……あの頃にはねぇ、二度と戻れない。戻っちゃいけないんだよっ!」
「ごめんね……」
オレンジ色に染まる桜通りをとぼとぼ歩きながら、私は鞄を覗き込んで謝罪する。
眼球くんと耳惠ちゃんは、サバ缶の片隅でお互い肩を寄せ合って震えていた。うん、わかるよ……怖かったよね。涙をポロポロ流す眼球くんの頭(?)を撫でる耳惠ちゃん。耳惠ちゃんはお姉さんなのかな? カッコいいね。花子の頭を撫でて欲しいよ。
だけど、お外で二人を出すわけにはいかない。鞄をそっと閉じて、視線を上げれば……まだいるんですか、おじいちゃん。
ごめんね、おじいちゃん。冥土の土産……は失礼か。とにかく素敵なラブストーリーを贈りたかったんだけど、しがない派遣社員には無理でした。
涙を呑んで、私がその場を通り過ぎようとする。だけど、そうは問屋がおろさなかった。
「ヨネ子さん」
よよよ。ごめんなさい、その名で私を呼ばないで。
「ヨネ子さん……」
よよよよ。私、ヨネ子じゃないの。花子なの。どっちも渋い名前だけど、カタカナじゃない分、ちょっとだけイマドキなのが私なの。
「ヨネ子さん……の、娘さんかい?」
よよよよよ。うん、惜しいね。
「孫の花子です」
思わず立ち止まり、私は真顔で正解を告げる。
すると、おじいちゃんはにっこりと微笑んでくれた。
「そうかい、お孫さんかい……自分も、年を取るわけだ」
おでこや口周りにしわをたくたん寄せて笑う顔は、とにかく優しそうで。背中を丸めて座るおじいちゃんは、とても小さく見えた。あの甲子園の凛々しい姿と同じ人物には見えない。
だけど人好きそうな温かい笑みをじっと見返していると、おじいちゃんは「ごめんね」と肩を竦めた。
「呼び止めてごめんね。つい、若い頃のヨネ子さんに似ていたから。あとさっき転んでたし。大丈夫だったかい?」
「あ、いえ……あ、はい。大丈夫、です」
恥ずかしいいいい! 見られてた! ばっちり大惨事を目撃されてた! まぁ、そりゃそーですよね。目の前であれだけ派手にすっ転んだら、顔だって覚えられちゃいますよね⁉ まあ、転んだ原因はいきなり『ヨネ子さん』言われたからなんですけどね⁉ 恨んでない、恨んでないぞー花子は。でも、あのド派手なおばあちゃんに似てるかなぁ?
私も真っ赤なぴっちりドレスを着るとたちまち夜の蝶に――ううん、やめとこ。なんか津田さんにププププ笑われる未来が見えた。化粧映えはするらしいけど……そもそも派遣先の上司に『もう少し喋れるようになろうね』と言われて根に持つ二十四歳に、夜の世界は無理である。
「ヨネ子さんは、元気かい?」
尋ねられて、我に返る。私がコクコク頷くと、「そうかい」と再びおじいちゃんは朗らかに笑った。
「自分は、ヨネ子さんの古い友人なのだけど。ヨネ子さんに伝えておいてもらえるかい――僕は怒っていないよ、と」
私にそう言った後、視線を落としたおじいちゃんは呟いた。
――あの頃は良かった、と。
ハッ、と笑い飛ばしてしまえ。
家に帰って、古い歌謡曲が爆音で流れていると、そう思う。
二人して『あの頃は』だなんて。あのおじいちゃんも動画からしたら独り身だろうし、おばあちゃんもおじいちゃんに先立たれて結構経つ。別に再婚しろだとか、一緒に暮らせと言うわけではない。ただお互い素直になれば、余生楽しく過ごせるだろうに。
やるせない気持ちを抱えながら「ただいま」と声を掛ければ、一人でお茶を啜る死神くんがこちらを向いた。
「おかえりなさい。サバ缶は手に入りましたか?」
「あ、うん」
私が鞄から取り出せば、死神くんがすっと細腰を上げる。
「じゃあ、手早く作っちゃいますね」
そう言って横切ろうとする死神くんを腕を、私はぐっと掴んだ。
「……どうしました?」
そう訊いてくる死神くんの声は、いつも通りで。
ふと思いがけない言葉が口から飛び出していく。
「こ、この生活も、いつか終わっちゃうのかな⁉」
ななな、何を言っているのかなこの口は⁉
そりゃあ、ちょっとセンチメンタルな気分だったし? 私もいつか死神くんとの生活を思い出して『あの頃は』とか言っちゃうのかなぁ、なんて考えないでもなかったけど。
だってね? ずっと男女二人の共同生活とか? ほら……けけけ、結婚とかしない限り、いつか終わっちゃうもんだしさ。もっと複雑な男女関係とか、ほら、この初心な花子には想像すらできないし? バカでもわかるずっと一緒に生活する男女関係とか、夫婦くらいしか思いつかないのですよ。
私があたふたしていると、死神くんは小さく笑った。
「そうですね……まぁ、花子氏は生者で、僕は死神ですから」
「そう、だよね……」
うん、そうですよね。結婚って、生きている者同士の契約ですもんね。死神くん、死んでた。そういや、足や影がないんだった。いつも顔しか見てないから忘れてたよ。だってめっちゃ好みなんだもん、その顔。南無南無。
「それよりも、何か僕に謝ることはありませんか?」
その問いに、私は目をパチクリ。なんだろう? 私は……色々余計なことをしてきたものの、基本的にはサバ缶をゲットしてきただけだしな。
その時、私の鞄がガタガタ震える。この振動はスマホではない。覗き込めば、グロッキーな眼球くんの背中(?)を、それに寄り添う耳惠ちゃんが擦っている。
私がおそるおそる顔を上げると、死神くんがミハエル様顔負けのこわ~い笑みを浮かべていた。
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