他力本願
他力本願・・・
《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
本来の意味はこうである。自分は努力せず、他人に任せて他人に期待していくこと。この意味だけではあまり良い意味では使われない。
だけど、僕の解釈は他力本願はとても良い意味で捉えている。
というか僕はめちゃめちゃ他力本願で生きている。僕のSNSの使わせてもらってる写真はほとんどと言っていいほど、皆さんが撮って頂いた写真。みんな僕の素のところや構えてないところをステキに撮ってもらい活かされてます。ありがとうございます。
他人に任せる所はとことん甘えて、やってもらう。プライドもそんなにないので、頂いたものは基本頂きます。
さらに見えないチカラの他力も使わせて頂き、神様、仏様のもと、口では説明出来ない事や科学的にも説明出来ない体験などもさせてもらってる。
僕は『誰か』がいなければ生きていけない。それをダメ人間と言えばそうだし、ポンコツと言えばそうだ。
僕の中で自立とは1人で生きて行くことではない。人に甘えてることだ。
そんな生き方が良いわけあるか!と突っ込まれるかもしれないけど、他人に甘えるというのは、箸の上げ下ろしまで全部やってもらうという訳ではない。
出来ない事を頼れるか。
人に頼れるかという事。全部出来てしまう人もいるかもしれないが、人間はおそらくパーフェクトなんて人はいない。どこかに欠点や弱点があり、それが人間くささかもしれない。
僕の分け御霊は手力雄尊(タヂカラオ)。分け御霊は僕の友達の音葉さんに教えて頂きました。
興味のある方は是非ご覧ください。noteもやってます。良ければフォローして頂けたらと思います。
タヂカラオは天岩戸でアマテラスの隠れた岩を退けた神様として有名だが、僕は『他力を』という訳し方で捉えている。
他力は他人のチカラを信じる。他力に委ねる。と捉えていて、他人様や目に見えないチカラに委ねる。簡単そうと思われるかもしれないが、中々難しい。他人を完全に信じるって自分を信じきれてないと難しいから。
人に甘えるというのは、頼る事が出来ることだから、自分が出来ないと認めることにもなる。
断崖絶壁を登るのは写真のようにロープやチェーンがないと登り辛い。そしてそれを設置してくれた『誰か』のおかげ様で登れるのだ。決して1人だけで登れる訳ではない。
つい1人で生きていると思いやすいけど、そういう見えない誰かのチカラで生かされている。
そしてその他力を使わせて頂くのも、その方達の想いを活かす事になると思うから。ありがたく使わせて頂きます。
そんなお互い様の精神で、僕も誰かの他力になっているかもしれない。どんどん使ってください。
何ができるかは分からないけど、お役に立てるなら光栄です。
他力本願で、自分の望みを叶える。いや自分だけでなく、他人の願いも一緒に。そんな相互関係が素敵だなと思ってしまう。
ソフトクリームをシェアするのも自分も相手も叶えたい望みを叶えることになるなら、他力本願かもしれないよw
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