2-5 癒しのプロセス
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「奇跡のコース 心理療法」第二章 心理療法のプロセス 5 癒しのプロセス の要約(訳)です。
ココから…
真理は単純であるとはいえ、果てしない複雑さの迷路の中ですでに迷ってしまった者たちには、やはり教えなければなりません。
幻想の結果として、必然的に生じる信じ込みが「安全であるためには、未知のものを制御しなければならない」というものです。まずはじめに、それは「生きているためには、克服されるべきいくつもの勢力がある」という信じ込みによって招き入れられます。
そして次に、あたかもこの勢力は、肥大した自我によってのみ、遠ざけておくことができるかのように見えます。この自意識は、本当に感じていることを闇の中に隠し、幻想のほうを表に出そうとしています。
助けを求めて私たち(心理療法家)のもとにやって来る人たちは、非常に恐れていると、覚えておきましょう。助けになると彼らが信じているものは害になるだけで、害になると彼らが信じているものだけが助けになります。
患者が世界を見ているねじれたやり方を、つまり自分自身を見ているねじれたやり方を逆転させるよう、説得できるまでは、進歩は不可能です。
私たちは、理想的な教師が長く留まることのできない世界における、理想的な教え方について話しています。そこでは、完璧な心理療法家など、かすかな想念の光にすぎません。
しかし、それでも私たちは、達成可能な範囲内で、狂った認識をもつ人たちを助けるために、今のところ何ができるかについて話しているのです。彼らが病んでいる間、援助することは可能であるし、援助しなければいけません。それ以上のことは、心理療法に求められていません。また、自分がもっていて、与えられるすべてを与えることが、セラピストにふさわしいことです。
癒しは神聖です。この世界において、助けを求める者を助けることほど神聖なことはありません。二人の人間が、癒しのためにつながったところには神がいます。癒しは、神が指揮するプロセスであると、彼らは確信してよいのです。癒しは、神の意志に従っているからです。
兄弟を助けようとするとき、私たちには、導いてくれる神の言葉があります。自分だけでは非力であることを忘れずにいましょう。そして、何を学び、何を教えるかについても、自分たちの小さな範囲を超えた強さを頼みとしましょう。
援助を探し求めている兄弟は、いかなる夢の中で知覚される高みをも超えた贈り物を、私たちにもたらすことができます。彼(患者)は私たちに救済を差し出すのです。というのも、患者はキリストあるいは救済者として、私たちのもとにやって来るからです。患者が求めるものは、彼を通して神が求めるものです。そして、私たちが患者のためにすることは、神への贈り物になります。
神は、ご自身の神聖な言葉を語る声を必要としています。神の子に差し伸べる、心に触れる手を必要としています。この神聖な関わり合いが、神の計画であり、それによって、神の子が救われます。
癒そうとする私たちに求められるのは、自身の完璧さではありません。患者が、原因もなく自分自身を咎めようとして使ってきたすべての罪過について、自分を赦せるように、助けましょう。
患者の癒しは、私たち自身の癒しです。そして、神の子を覆っていた罪悪のヴェール越しに、その無罪性が輝くのが見えるとき、私たちは彼(患者)の中にキリストの顔を見て、それが私たち自身の顔に他ならないことを理解するでしょう。
私たちは無言で神の意志の前に立ち、その意志が、私たちが為すべきだと選んだことを為しましょう。
すべての夢がはじまったところに行き着く方法は、一つしかありません。そこにおいて、私たちはそれらの夢を手放し、平安のうちに、そこを永遠に立ち去ります。
兄弟が助けを求めているのを聞き、答えなさい。あなたが答える相手は神です。なぜなら、あなたが神を呼んだからです。
癒しは聖なるものです。癒しは、神を代弁する声を通して、患者に、すべての罪は赦されていると告げるからです。
以上
参考文献 : 「奇跡講座」中央アート出版社ほか
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