スサノオ~

古事記、神社、大和、阿波、河内、幕末、昭和史、宗教、鉱物、野球、鉄道、鉄道模型、観光、…

スサノオ~

古事記、神社、大和、阿波、河内、幕末、昭和史、宗教、鉱物、野球、鉄道、鉄道模型、観光、釣り、サーフィン、スキー、腕時計、いっぱい興味があります。 なんにでも食いつきます😅

最近の記事

納得した阿波古事記の話し①なぜスサノオは海で泣いているのか?|スサノオ~ #note https://note.com/regal_moraea3050/n/n5b126e7e38b1

    • 奈良県橿原市の忌部町の位置が気になる。

      以前、奈良(大和)から見た忌部と徳島(阿波)から見た忌部について、1つ気がかりなことがあります。奈良県橿原市に忌部町が有ります。忌部って阿波だけではないんです😅 大和三山の位置を結んだ三角形の内側に藤原京があります。今で言う、街中です。今で言う大きなお墓(古墳)は、ヤッパリ郊外にあった方が良いもの。(例外もありますが) そこで上の地図の三角形の内側には、地図を見る限り、大きな(お墓)古墳(青色のピンで示しました)がありません。この三角形は、畝傍山、耳成山、香具山、の大和三山

      • 納得した阿波古事記の話し①なぜスサノオは海で泣いているのか?

        古事記を読んでいて、取って付けたようなお話しでまず思い出すのが、三貴神の誕生。イザナキが御祓で顔洗って生まれたアマテラス、スサノオ、ツクヨミ、が生まれたってところでした。右目左目を洗って生まれたって、鼻洗って生まれたって、唐突で不自然な話しだと思いませんか? それは、津波だからなんだ。何もかも洗い流すんだ。 真剣に言ってます。津波 地震をなめていません。南海トラフ警告、マニュアルなのでしょうか。 それは、この本を読んで納得した部分がありました。 楽しい、読みやすい本で

        • 穏和なお人柄の83代土御門天皇火葬塚と阿波神社。

          徳島県鳴門市の市街地から主要道路沿いに自家用車で西の方に向かっていたら、阿波神社と言う大それた名前の神社があり、立派な石柱が目に入ります。駐車場も止めやすく、お詣りすることにしました。 この神社の前に、大阪や奈良ではたまに見かける御陵があります。 こんなに宮内庁の看板がある御陵は、徳島県では珍しいような気がします。 ここは、土御門天皇火葬塚。 あくまでも火葬塚で、御陵は、京都府長岡京市にあります。 その火葬塚の横に阿波神社はあります。 この阿波神社の御祭神は、第83代

        納得した阿波古事記の話し①なぜスサノオは海で泣いているのか?|スサノオ~ #note https://note.com/regal_moraea3050/n/n5b126e7e38b1

          吉良のエドヒガン桜見たくて御所神社(忌部神社)にお詣り。

          阿波にはまって、忌部にはまって、まだまだ知りたいことが沢山。阿波の神社いろいろ詮索中、ミーハーな私は、神社もこのシーズンなら桜も見たい、と言うことで今回は、徳島県つるぎ町の御所神社(忌部神社)にお詣り。ここの神社は、以前書いていたように本当の忌部神社を主張していた神社の1つです。「していた」と過去形なのは、今は麁服が織られているのは、山崎忌部神社だからなのです。忌部神社の価値は、この麁服の事だけではないのでしょうけど、大きな価値でしょう。 国道から、県道に入り、期待でワクワ

          吉良のエドヒガン桜見たくて御所神社(忌部神社)にお詣り。

          忌部を阿波(徳島)から見るのと大和(奈良)から見るのと比べてみる😅

          忌部ってどうなんでしょう? まず、忌部とは、天皇が行う祭祀を担っていた一族、民部=大和に住んでいた人達。品部=大和意外の地方に住んでいた人達。 当時、天皇は、奈良にいます。 忌部族も近くに居るのが当たり前ですね。 奈良の橿原市神武天皇陵と言われている古墳ミサンザイ古墳近く橿原市忌部町に天太玉神社があり、忌部の先祖と言われている天太玉命が祀られています。 奈良から見た忌部 一方、品部=地方に住んでいた職人集団の忌部族が、阿波、紀州、讃岐、出雲、伊勢、安房、などに住んで

          忌部を阿波(徳島)から見るのと大和(奈良)から見るのと比べてみる😅

          あの有名な京都の松尾大社の元宮?阿波の松尾神社。

          今回は、私個人的にお気に入りの神社のご紹介です。 徳島には、松尾大社の元宮があるそうです。知らんけど😅(大阪弁) 松尾神社。 詳しい根拠は、よく調べていないんですが、 大山咋命がご祭神、 神社の配置が同じ、(拝殿と鳥居の間に 小川)。 他にもあるんでしょうけど、 私にとって物的証拠は、これだけ?です。 それでも、今回取り上げたのは、 何か爽やかな気持ちになれたからなんです。 爽やかと言うか気になったと言うか、、、 自家用車で行ったんですが、 さっきまで晴れてました。 着い

          あの有名な京都の松尾大社の元宮?阿波の松尾神社。

          山崎忌部神社から三木家に❗️麁服に命が吹き込まれます。

          麁服、繪服 = 布には、神が宿るらしいです。 他にも依り代として神が宿る物は、他にもあるそうです、その内の1つですが、他のものより麁服、繪服、は意味深長です。 他には、紙,金銭,器具,神饌、などがありますが、あたりまえの物ですね。 その麁服の調進元 今回は、山崎忌部神社と、三木家に来ました。 それは、ここしか知らなかったからです。いろいろ調べていると、 うちが本当の忌部神社だ!と言いたい神社が他にもあるそうです。 同じ地方にある種穂忌部神社、御所神社、徳島市内にも忌部神

          山崎忌部神社から三木家に❗️麁服に命が吹き込まれます。

          今の阿波の一宮は、大麻比古神社、その前は、上一宮大粟神社。

          神麻注連縄奉納有志の会のページ 神麻注連縄奉納有志の会のページで 麻の注連縄が 日本で一番先に奉納されたのは、 徳島 上一宮大粟神社。 とあります。 ご祭神は、大宜都比売命 ここのご祭神は、大宜都比売命、阿波の国の国神ですねー。大宣都比売命が主祭神の神社は、阿波だけのようです。他、阿波井神社、一宮神社がそうです。 この神様は食べ物の神様。食べ物を作り出した人なんです。古事記特有の擬人化ですね。 大気都比売神の 頭から蚕 目から稲 耳から粟 鼻から小豆 陰部から麦 尻

          今の阿波の一宮は、大麻比古神社、その前は、上一宮大粟神社。

          712年に古事記作成委員会❪仮名❫が日本の古事記発表!😅

          これから、古事記作成委員会を発足します! と太安万侶さんが発表しました。 稗田さんあなたは、記憶力が優れていますので、編集長として仕切って下さい。 って感じですかね? それでは、 中臣さん、、、、忌部さん、、、数種の部族さん、、、が、それぞれで自国の歴史を検討され古事記作成委員会に提出されました。 忌部さんの話し興味深いな~。 忌部さんの話し=古語拾遺? と力を持っている中臣さん(後の強くなった藤原さん)が横取りしました。古語拾遺と言う資料は、藤原さんによって消されました

          712年に古事記作成委員会❪仮名❫が日本の古事記発表!😅

          古事記って、そらその時代の権力者の話しですよね~。

          権力者と言えば、ちょっと力ずくで権力を握った人のようなイメージがわきますが、そう言う意味ではありません。 良い意味で取って下さい。 皆さんの今の会社の権力者=社長が社長になった経緯を想像してみましょう。 同族経営の会社もあれば、 誰か第三者が出世して社長になった会社もあるでしょう、 それぞれの会社の物語がその会社の「古事記」と思います。 だから、古事記は、日本と言う会社の物語ですね。 その時には、同族企業なら兄弟、親族、がいるでしょうし、 出世競争で負けた社員もいるでし

          古事記って、そらその時代の権力者の話しですよね~。

          はじまりは、伊勢神宮について。古事記って何?

          まず二見ケ浦から初日の出。 二見ケ浦→外宮→内宮へ 外宮は、オオゲツヒメ、ウカノミタマ、などが別名の豊受大神が祭神、 これは、阿波にある上一宮大粟神社の祭神であり、阿波の国神でもあります。 豊受大神さまは、 天照大神さまのお世話するために 元伊勢→丹後から豊受大神を呼び寄せ、 外宮に祀られているらしいんです、 丹後の元伊勢の元がここ上一宮大粟神社なんですって。 そして、最後にメインイベント? 内宮へ 小学校の修学旅行、ここで写真撮ったな~👌 赤福餅買って帰りました。

          はじまりは、伊勢神宮について。古事記って何?