【エッセイ】若い頃の飛蚊症と向き合い方
飛蚊症(ひぶんしょう)
視界にゴミのようなものが浮いて見える。
あらゆる年齢層に起こり、高齢者、特に近視の人ほど多く見られる症状。
その多くの場合、心配ありません。
と検索すると出てきます。
私は十代の頃から飛蚊症を自覚していました。
少年だった私は、同じようにネットで調べ、
飛蚊症は生理的なものであり自然に完治するようなものではないと知り
深く絶望したのを覚えています。
今では体にちょっとでも不調があればすぐに病院に行きますが、
当時の私は病院に怯えていたため、自分で調べた情報を鵜呑みにし眼科に行きませんでした。
しかし数年前、歯医者や皮膚科に行くことが増え、
私が気軽に病院に行けるようになった頃、
今の自分なら眼科に行けるなと思い立ち、早速予約して診てもらいに行ったのですが、
結論、現在の医療技術でもあの頃と変わらず、
あまり気にしないようにするほかないという結果に終わりました。
非常に残念ではありましたが、散々飛蚊症と向き合い続けたあとに、
いちるの望みで記念受診したということもあり、
若い頃のように人生に絶望するということはありません。
眼科では念入りに調べてもらい、他の目の病気が原因ではないことが分かっただけでも受診した価値はありました。
瞳孔を広げる特殊な目薬をさして、眼の中を調べてもらうのですが、この目薬をさすとしばらくピントが合わなくなり、視力が下がるとこんな感じかもしれないと、擬似体験できました。
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空を見れば、視界全体にゴミのような残像が飛び、
私の場合は、空でなくとも周りが明るく
背景が白ければゴミが見えてしまうという具合でした。
臭いものをついつい嗅ぎたくなってしまうように、
見たくないのについ見えるか眼球を動かして確認してしまう、
それを何度も何度も繰り返してしまいます。
登下校、勉学に部活、学生は常に明るい場所にいるし、ノートも教科書も白いので苦痛でした。
特に縦書きの文章を読むときは上に下にと眼球を動かすので気になってしまいます。
明るさと白さがとにかく嫌なのですが、
往々にして明るさと白さを強調したお洒落空間は至る所に存在します。
飛蚊症の私にとって世界は明るすぎました。
明るいのが苦手なんて、
まるでヴァンパイアのようだと、中二病のようなことをよく考えたものです。
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そんな私が飛蚊症とどう向き合ったのかと言うと、単純ですが
眼球を動かし過ぎないようにする。
そして、極力薄暗い世界で生きる。という根本的解決からは程遠い方法でした。
しかし根本的解決は出来ないわけですからしょうがありません。
単純なようですがストレスなく生きるためにはとても大切です。
自分から視界のゴミを探さないように眼球を押さえ込むのは難しく、
しかしある程度身につけることができれば、
そこそこ明るい場所にいても最小限のストレスで生活できます。
そもそも家の中は外に比べて飛蚊症が見えにくいので、
照明を少しだけ小さくすればより快適です。
この空間なら読書もギリギリ許容範囲です。
漫画は問題なく読めます。
やはり飛蚊症にとって眼球を上下に動かし続ける読書は
薄暗い空間でも少し苦手意識があります。
もう一つ、付け加えるなら、見えていて当たり前、
モニターに映るカーソルみたいなものだと思う意識が大切かもしれません。
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当時の絶望感はもう薄れていますが、
こんなにストレスになるものが、
治療不可能な、ありふれたものであることが驚きです。
勿論人によって程度は違いますが。
私の対処法は少し症状が酷くなった人向けだとは思います。
恥ずかしくなければサングラスも有効かもしれません。
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