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GRIDMAN UNIVERSE(3作品)感想まとめ

面白かったし思うところあったので長文連打になった「GRIDMAN UNIVERSE」3作品の感想まとめ。初見後に呟いたのをそのままコピペしてちょっと足したり整理しただけ。
ネタバレしてるし、話筋のことが中心。
映像も良かったけど脚本とか上手すぎて舌を巻いた。近年見た中では取り敢えず万人に勧められるっていうくらいに円谷関係何も知らなくてもこのシリーズとして面白かった。


SSSS.GRIDMAN

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24年4月5日:~3話

3話まで見たけどなにこれ面白いな!!!!!(今更)
主人公達とアカネちゃんの対比╱比較でくっきり見せてるものが多い。
2話でそれ自体は明確に映してないけど「人の死」とその重さを描いて、ユウタに戦って欲しい(けどあなたも死んでしまうかもしれない)の気持ち見せたりは印象に残る。
「自分にしかできないこと」なんだけど「自分にはできないこと」も見せてるので適材適所の方なんだなあとか。

話筋だけじゃなくて映像も良いし。大きなものが着地するときの重量感とか動きの特撮っぽさとか。
あとここは決めて欲しいできっちり決めてくれるのは地味なことながらとても良い。

しかしこれ素直に考えたらアカネちゃんが最終的にはあの一人きりの世界から踏み出して誰かの手を取れるだろうかって話だろうけど、どうなるんかなあ。
アンチ君が可哀想すぎるので救われて欲しいというか、自分の存在意義はそこに見なくて良いんだって気付いてくれるといいなあ……。

そいやOPが疾走感ある爽やかな勢いある曲で「これは訓練でもリハーサルでもない」とかちょいちょいサクッと刺してくるフレーズあるのも良いなー

地味にすごいなと思ったこと→ぶっちゃけ元凶となるアカネちゃんの思考がこれ以上ないほどわかりやすく、彼女は何が問題なのか、何が足りてないのかっていう解法まで見えてるんだけどそれはそれとして面白い。
王道やテンプレ、あらすじを知っている事、予想できる事が面白さ(の減少)に直結しない。

4月13日:~6話

週に一度3話ずつ見ようね!ということで今日は6話まで。
おおおお、なんだいきなり哲学的なというか、「セカイ系」を客観的に見たらどうなるかみたいな。
一緒に見てた子にも「私が認識しているものがセカイ」という考え方があってなという説明をしたのだけど。

本当の意味で「なにも知らない」アンチくんが徐々に自分で考え始めて変わりつつあるのが示されるのに、アカネちゃんはひたすら他人との隔絶が細々と描写されていて、しかもそれが「他人を人形に近いものと認識していて自分の思い通りにならない」って苛立ちであるのも見えるからうわあああああって。

気持ちが全く理解できないとは言わん。私にもそういうとこはある。けどあまりにも閉じきっている世界だし、それは悪い意味で誰かに囲まれていてもひとりぼっちの世界で見ているこちらも息苦しい。どうにかなんのかなあこれ……。

主人公サイドの謎は地味に滞積したままなのだけど、彼らの変化は3話までで丁寧に描いていたし、その延長として描写があるのわかるから心理としては受け取りやすい。
ただ、結局武装になる彼らはなにとかグリッドマンも記憶喪失なのはなんでとか色々わからんままなんだよな。まあこれからか。
しかしスピーディーに話が進んで無駄をあんまり感じないのがストレスフリーでいいな。残り半分だけど今んとこホント面白い。

4月20日:~9話

週一グリッドマン、今日は7話~9話まで。
「あなたが私に好意を持っているのはそう設定されているから」=それは自分の意思なのか? そう決められているものに従っているだけではないのか? 意味はあるのか?
って真正面からぶつけてくるのえっっっぐいな!!って吃驚した。
確かにそれ私はオメガバ設定における「運命の番」や「本能」、ゲッターロボでの「運命」とかで複数回「それがあって当然のものなら、自分で選んだ意思が無いなら、無意味なんじゃないのか」って思って答えを出そうとしたことではあったので、私の答えはあるけどさ。あるけどもさ。

だからこの話はやっぱり「自分の意思と選択」とか「協調性ってなにか」をわかってない、知らないアカネちゃんを軸にして描いてるよねとか。主人公はユウタくんだけど物語の軸はアカネちゃんにあって対比させてるみたいなこう……。

正直見ててうわああああってなるほど話が良くできてる。ブレが見当たらないし、やりたいことはよくわかるし、元ネタ拾おうとしたんだろうなってアクションとかだけでわかるし。
そして私はアンチくんに自分は意思ある生き物であるという結論に辿り着いて欲しい……存在意義を求めなくて良いんだよ……。

他だと
・フルパワーずるいな、カッコいいな!? OPをここでかけるとか本当に盛り上がるとこはずさないな!?
・と思ったらグリッドマンいなくても合体ロボできるのずるいな!? ってなったし、あの回だけ夢であるのもあってか演出が特撮じゃなくてロボアニメとか寄りだったので細かいなと思った

4月27日:~12話

さ、最後まで見た……な、なるほどーーーーーースマートにまとめたなあ。

えええええ最終話から綺麗に繋がってる! PVずるいなこれ!

世界観自体は案の定の「デジタルワールド」「インナー(心的)世界」「世界5分前仮説」的なあれで正直そんな驚きはなかったのだけど、その見せ方と、何より「自分の世界だけどままならない」「自らの創造物すらも他者である」の見せ方とその乗り越え方がさー。

怪獣として生まれ生き物として肯定されたアンチくんが人間として生まれ怪獣になってしまったアカネに「お前は怪獣じゃない」っていうのとか、序盤から感じてはいたけど最後まで対比の綺麗な話だなと思った。

思春期の自己の揺らぎと世界への対峙みたいな話で、きちんとアカネの反省とごめんなさいも描けていたし、「ここは自分の作った世界だからこそいてはいけない」と扉を開けて踏み出せたならその後はフレームの外の話であって、私には彼らが幸いであるように願うことくらいしかできないなとか。

どうしてアカネの作ったものなのにアカネの制御から外れたって、自分の子供ですらも自分のクローンではないって言えば簡単なのかな。
そう思い込んでいるだけで本当はそこに他人がきちんと存在していて、それは他人だと自分が認識できていなかっただけだよって書くとなかなかえぐい。
自分の分身でしかなかったから、信頼が持てず、友人だと信じられていなかった。
だからそういう意味でもアカネはあの世界に居続けてはならなかった。
もしもの世界を経て、皆は「自分の意思」で誰と友人であるかを自分達で選んだ。一度突き放し、それでもと、彼ら自身の意思で。
故に、本当に友人であるから、それは自分ではないから、別の存在であると分離しなければならなかった。

えぐいったらリセットされなくなった世界で「日常が壊されて終わりではない」って怪我人で一杯の病院や学校に避難する人々とかを見せた上で内海くんに「自分はグリッドマンと怪獣の戦いを楽しんでいたんじゃないか」って自問させるのはうわぁああああああとなった。
私は元より「これちゃんと避難できてるか」とかツッコミ入れてしまうタイプで、本当はこれ現実であったらなにも楽しくはない風景とはある程度わかった上でフィクションって見てるから「そこ言っちゃう!?」くらいでダメージ少ないけど、人によっては痛いなんてもんじゃなかろう……。
なにもできない、見ているだけ、の、怪獣に容易く踏み潰される一般市民。
彼は先の自責からも視聴者に一番近くて、それでもそこにいて触れ合っていたから友人であったし、友人であることに利益とかいらなくて信頼関係であって「いて欲しい」っていうただそれだけで成立する。

滅茶苦茶上手すぎてぐうの音も出ねえ……。

……しかしグリッドマン、これをまとめた直後に見始めたら、最後の方で長々まとめた自他分離と自他境界の部分をさらっと映像で出してきたような感じで驚いてしまったな。

SSSS.DYNAZENON

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5月5日:~3話

え、3話まで見たけどこれもなんか普通に面白いな。個人的にはガウマさんがぶっきらぼう無愛想ながらありがとうもごめんなさいも人にお願いして頭下げることもできる人で好感度高い。
世間ずれしてるところはあるけどこれ一緒に見てたしろさんが「人としてできてる」みたいなこと言ってて本当にそうだなって。

前作は問題があかねちゃん周りに集束してたけど、今作は主人公周りに分散しているというかなんと言うか……敵(暫定)も何がしたいんだかわからんしなあ。

相変わらず戦闘シーンとか盛り上げ方がめちゃ上手い。曲もいい。かっこいい。1話(特撮よりロボットものよりだった?)の宇宙に出てってのシーンとかちょっと鳥肌ものだった。

話の詰め込み方と展開の仕方も無駄が今のところ見当たらなくて本当に上手い……。

「今君が必要なんだよ」の話かなあ。
これでタイトルが「インパーフェクト」な時点で完全な、完璧なものを求めてはいないし、だからこそ「君が」必要なんだよって聞こえるけどどうなのかなあ。
しかしこの曲もいいなあ、好きだわー。(このシリーズの曲全部聞いた後でもやっぱこれが一番好きでした)

5月11日:~6話

6話まで。
予想してはいたけどこの話は主人公側に問題が薄く広く横たわってて、見ててこの微妙なバランスがいつ崩れるのかと何となく落ち着かなくなる。
敵側が正しい意味でのアナキスト過激派(なので社会の枠とかから壊そうとする)のはわかるんだが、それと怪獣がどう繋がるのかわからぬ。

人間って完全に個人で生きていけるほど強くは無いし、社会に依存してその恩恵を受けることで生きてられてる側面がある。
色々便利だしその背後には他人の繋がりがある現代の社会生活はただ不自由なだけかい? 君達既にその恩恵受けているよね? とは思うのでこの辺どうするのかしらね。

そういえば怪獣優生思想の人々、わかりやすい個人主義者でもあった(無闇に片端から喧嘩売る訳じゃなく、社会生活も普通に送れるっぽい)ので、他者╱社会への攻撃性が折り合いつけば共存は不可能な話ではないとは思うんだけど、そもそも5000年前とかどんな生活してたんじゃろな……?

そんでいきなりグリッドナイト出てきたんで、これもまた別のコンピューターワールドの話なのかなんなのかで吃驚したし大混乱したので来週が楽しみですね。

5月18日:~9話

ガウマさん両手合わせていただきますしたり普通に好感が持てるし距離感保ちつつまとめ役できてるのに荒っぽい感じとかどこか現代からはズレてる感じもあるとか本当にさりげなく描写が上手い。
というかこの話全体がみんなが抱えてるもの的にもっと重くなりそうなものを軽くなりすぎず重くなりすぎず、演出とか含めて総合的な描写が多分上手いんだと思う。

6話最後はやっぱりナイトだったし君達だったのか何年たったのどうしたの何があったのねえ待って!?ww
2代目ちゃんが7話だったか笑ったときに昔の笑い方してたの本人なんだなと思ったし可愛かった。

怪獣優生思想チーム、どんどん現代社会満喫してるし協調も覚えられそうなんだよなあ……楽しそうだな君たちw

「協調性をテーマにしたロボットもの」だと始祖たるゲッターロボ(特に石川漫画版)はオマージュ入るのはお約束なのか。ナイトの腕組と三体合体とマントでいやまあどれもお約束だしかっこいいけど偶然の一致にしてはちょおま

「全員がバラバラになれるからこそ」=それぞれが個であることに改めて気付いて、だからこその「お前たちがいる」になる流れとか、由芽ちゃんの「関係無い」に「関係ある」と返す対象が優芽ちゃん本人だけじゃなくその亡くなったお姉さんに広がっていくのとか本当に上手いな……なんだこれ……。

暦先輩の「嫌いなやつを助けました」へのガウマさんの返しとか、チセちゃんの叫びとか、色々全体が向かってる方向性は綺麗に見えていて情報量の多さと密度の割にすんなりと見ることができる。よくここまで……。
来週で最終回までになるのでどうまとめるやらガウマさんの会いたい人はどうなるやら。

5月24日:~12話

今11話まで見たんだけどがががガウマさんんんんnしんじゃやだあああああああ(まるで小学生の心境)

ガウマさんんんnびえええええええ(全部見た)(生きてるって思いたい)

怪獣優生思想の人たちは変わることを選ばなかった、故にこの世界とは共存できなかった(目的が排他的であるのでどっちかしか残れない:寛容のパラドックス、多様性を否定する思想は否定されなければならない)のはわかるけどそれもまた寂しいというか……なんというか良くできてたけどうわあああんん

スーツ似合わない、制服似合わないじゃんの会話とか「かけがえのない不自由を」の会話とか、自由ってなんだろうねって話だし、不自由はただ不自由なだけだろうかって話でもあるよなあとか。
人間関係はしがらみであり絆でもあって、巻き込んですまないと会えてよかったありがとうは両立するとかさ。
(このポストの前にRPした)「自由は責任を伴う」と直結するんだけど、「自分で選んだ不自由」だから自由なんだよっていう。

「自由ってなにか」って究極的には「自分で選択する」ことにある。
自由だから自己決定ができる、自己決定をするから自己責任が生まれる。
これが他者決定であると全部生じない。

自分はどういう世界を望むかの結果として対立し、しかしその思想ゆえに共存はできず、怪獣優生思想の人たちは消えたのだけど、彼らが可哀想なのかっていうと私にはわからない。多分彼らは自分達は可哀想とは思っていないし、そうであるなら私から見ればそういう結末しかなかった。ただ、寂しくはある。

怪獣優生思想の人たち、どうしてああなるしかなかったって、確かに「国に裏切られて殺されそうになって抵抗した」までは正当防衛になるだろうけど、その後「だから人間も信用できない皆滅ぼすべき」になった時点でお仕置きなんっすよ。それはダメなんすよ、散々違うのとかで言ってるけど。
対象の拡大化とゼロイチ思考で、自分達に危害を加えなかった人たちと世界まで(なんならその社会の恩恵を享受までしてたのに)滅ぼそうとした、それを最後の最後まで悪いと思わなかった。「できた変わる選択をせずに自分の意思を貫いた」以上あれはもう必然で、彼らはこの世界を存続させるならどうしようもなく相容れなかった。それだけと言えばそう。

*これは後々劇場版まで見た後にスペースで話したんだけど、多分彼ら怪獣と繋がることでアカネちゃんが怪獣で世界を作り直していたのの一部適用で擬似的な不死性を得ていて、だからオニジャの爆発落ちは本当に死んでいたのだろうし、ご飯とかの描写が極端に少なく、最初から世界の枠外にいた(ので彼らはあの世界が壊れようとどうなろうと問題がなかった╱世界を壊そうとすることに筋は通っている)んだろうとも思う。
(同時に怪獣との繋がりが絶たれていたガウマさんは食べる必要があったし、作中徐々に弱って元の死の状態に近づいていった)

*結局彼らは最後まで「協調性」=「互いの意思を尊重し、そこにいる全員が主体性をもって譲り合い協力すること」ができなかったのだけど、それは最後の彼らを「同化」した怪獣にも出てて、ダイナゼノン側は「分離」ができるのに、食って同化するだけ。
「同調性」=「片方とか誰かにしか主体性がなく、他はそこに依託╱依存する」を基本としていたから主体となる誰かの主張を押し付けるだけだった。
(この辺の「協調性と同調性の違い」とか「寛容のパラドックス」とか「個人主義」の意味とか基礎部分となる諸々は一作目感想の最後においた記事参照。元々このためにまとめたんじゃないのだけどこのシリーズでなにやりたかったのか、私がなに言ってるのかはあの辺頭にあると分かりやすいと思う)

だから私は同情するかったらしないんだな。可哀想とかも思わない。だって色々わかってて自分の意思でそうして後悔もしていない。わかってて選んだ道なんだから私がなんか言うことじゃない。
ただ「あなた方はそうだったんだね」「嫌いではなかったから少し寂しいよ」ってそれだけ。

そういえばあの子達何がダメだったって最後の最後まで「他人のせい」にしていたのよな。
ジュウガはガウマに依存してて、ムジナは他者を拒絶してて、オニジャは他者に攻撃的で、シズムは色んなものの枠を理解してなかったし理解できるような存在でもなかった。理解しようとしなかったのかもしれない。
そして皆が皆、それらを「自分に問題がある」とか「相手に歩み寄る努力をする」ではなく「誰かのせい」にしていた。
こう書くなら前作のアカネちゃんのあれな部分の分割っぽいかもしれない。
同時に先に書いた「自由とは自分で決定しその責任を自分で負うことにある」と考えるなら、彼等は実は自由ではなかったのかもしれない。自由というものがよくわかっていなかったから闇雲に求めたのかもしれない。

前作も今作も敵側と主人公側を中心に対比の構図になっていて、「他人との関係性」とかそういう「自分の選択と責任」とかだったなとか。
いじめとか色々問題あったけど結局誰のせいで死んだのではなく不幸な事故だったユメのお姉さんと、特にこれと言って日常生活の表面上他人と問題起こしてる訳じゃないのに内実は他人に依存して拒絶して攻撃的で理解の断絶があって正しくテロリストだった怪獣優生思想の人たちとで対比だったんかなって。

怪獣優生思想の人達はガウマさんとの対比でもあるよね。
あの人は現代社会何もわからんかったけど、わからんなりに他人に迷惑をかけず生きようとしてお礼も謝罪もきちんと最初から言えたし、自分で食い扶持稼いでた。表面上荒っぽいのに中身真面目なんだよな、きちんと大人でもあったし。

なんかこういう人最近愛でてるデジャブと思ったら原作竜馬だわ、核の部分は隼人っぽいけど……やめろそんなん好きに決まってんだろ……。
原作竜馬みたいな「愛するものがいる限りそのためにだけでも戦い続け」る最終段階で人間できてる男前タフガイ主人公には物心ついた頃から弱いんだよな、多分。推しになりがちなのは残される方(隼人)のタイプなのでガウマさんが両属性持っててしんどい。好き。

そうな、すごく上手な話だったし、皆前に歩き始めたんだなと思って良い終わりだったんじゃないかと思うけど、同時にいなくなってしまった人たちに向けて寂しいんかもな。私は。ガウマさん……ガウマさん好きだったから寂しい……うっ……。

いつも思うがお前はもう少し戦闘シーンとかビジュアルの話をしろ。はいサーセン……いやかっこいいーーー!!!!!とは思うしなるんだけど……最終話の戦闘とか段々最初に戻っていってたよね、あの辺象徴的で皆変わってまた別々の道を歩くんだな、でも今度は一人じゃないんだな感でもう泣けてた。

グリッドマン ユニバース

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なお一週違うの挟んで見る予定でしたがガウマさんが本当に亡くなってしまったのか気になりすぎのために予定変更して来週見ます。

5月31日

見終わったんだけどちょ、これ、いいなあああああああうらやましいいいいいいいいい!!!!!!いいなあああああああああああああ!!!!!!!!

言えなかったこと、心残りだったことに蹴りつけて区切りをつけて、これから先に「また会おうね」っていう話だし、
中身が同じなら変化することを肯定する話でしょ、これ。それは派生作品の肯定だし、これから先の肯定でもあるし、
なによりこのシリーズは中身を大事にしたのが本当にうらやま……。

・ガウマさんいき……いや生きてはいないんだろうなこれ、ダイナレックスに魂が残ってるみたいなあれなんだろうなとは言え、また会えたことが本当に嬉しかったし、ひめさん(予想外になんか元気な人だった)と会えたのも良かった……愛と約束と賞味期限だったのは笑っちゃったけど、あれの意味もな……

・アカネちゃんが神としての義務や責務ではなく、「友達だから助けたい」ってなってて、現実世界にも友人がいるのは本当に良かった
・アレクシスの感覚は人間の範疇にはないもの(無限の生命を持つ)だけど「借りを返す」とかで動いていたのは納得。「限りある生命は面白い」に最後なってたの面白い

・戦闘シーンが映画のスクリーンを意識してだろう一般人の下からの目線で進んでいて怖かったのとか、後の方になるとカメラ位置上がってるのとかTVの時から地味に演出とか見せ方から上手い

・インパーフェクト→union→ユニヴァースの流れはずるい

作中の脚本の話とこの話自体が同期していて、じゃあなにが言いたかったのってそういうことでしょとも思う。グリッドマンユニヴァースの話とか正直私も「よくわかんないけど何となくわかる!」レベルの話だけどやりたかったこととかわかるし、この混沌すら多様性であって。

・ボラーくんが内海くんの足蹴ってたのはある種の親愛表現だったっぽいのわかるの可愛い
(けど痛がってないな?の違和感も解消されたし細かい)
・ご飯ごちそうになったりお風呂もらったりして真っ先にお礼を言ってるのはガウマさんとマックスさんとかも可愛い

最後の方の展開とかTVシリーズで撒いてた色々をここで全部回収しますくらいの勢いで凄かった

そういえばすごい細かいことだろうけど「俺に合わせろ」みたいなこと終始言わなくて「息を合わせるぞ」っていう双方の更に外に集中点があるみたいな言い方使ってるの、これ協調性の話なんだなあってそういうところから良くできてた。

グリッドマンシリーズは3作通して
1.自他分離と個の確立、自他の尊重(必然みんな尊重すると多様性が発生する)
2.(多様性を前提に協調性を含む)社会と個人の関わり、寛容のパラドックス
3.ここまでを前提に相互作用による変化=進化の肯定
って綺麗な流れにもなっている話は難しいし長くなるので……

これで見ると2のダイナゼノンは結構重要で、あそこで明確に協調性をもう一度描くのと同時に、寛容のパラドックス=多様性を否定する思想は否定しなければ多様性を維持できない→「なぜ(いわゆる)悪は悪なのか、共存が不可能なのか」って割りと根本の話をやってんのね。
1最後は「自他分離のための離別」でこれじゃないんだけど。

ダイナゼノンっていうかガウマさんには正直ピンポイントでダイナミックっぽさを感じた(なんか本質隼人で外見竜馬、ひめさんが逆みたいな)けど、ゲッターロボの正統分化先(進化先)は孫に近い存在まで出てきてる(最近のだと石川ゲッターロボサーガへのお返事がグレンラガンだろうけど、そのグレンラガンの影響を受けたのがキングオージャーって小耳に挟んだ。真偽は知らぬが確かに1話からそれっぽさは感じた)っぽく最早ここまで来るとどこまで意識してるのかはわからぬ。影響無いとは言えんだろとは思うが。

私がダイナゼノンでいきなりダイナミックプロ臭を感じた(意図的かどうかは知らない)のも流れはあって
・有人搭乗型の「スーパーロボット」の始祖はマジンガーZ
・スーパーロボットで「協調性」を明確なテーマにしたのがゲッターロボ(ダイナミックプロ未監修の派生作品は協調性をきちんと描けてない。漫画版と東映版だけでいいよくらい根本的に言ってること違う)
・東映繋がりでゲッターロボが戦隊もの(ゴレンジャー)のベースのひとつになった
・を双方取り入れてコンバトラーとかにいってるはず
・その後巨大ロボットが戦隊ものに取り入れられる
っていう原作ゲッターロボからの流れが基本的にはどれも「協調性」を着地点にする話(それゆえ、その始祖のイメージをテーマ性強化のために取り込み続けた)って頭にあるから結び付きやすいのはあると思う。

*私には当然すぎて書いてなかったんだけど、怪獣は基本的に同化しかしなくて同調性のイメージだって前述したけど、それと同じようにそもそもにして「合体分離変形して多種の組み合わせの形態を持つロボット」「色の三原色+黒白=全ての色の生成╱カラフル、レインボー」「お洋服が全員バラバラ」ってゲッターロボからそうなんだけど、これらは全部「多様性」を前提にした「協調性」に繋がるイメージでもある。
だからダイナゼノンでもガウマ隊は全員お洋服バラバラだし色もカラフルだし作中で「分離=個」に注目する台詞が出てくるし組み合わせを変える。

まあ、このシリーズ三作品の流れも、あのグリッドマンユニバースの全体像もよくわからんが言いたいことはわかるの雰囲気含めて石川ゲッターっぽいっちゃそうだし……。(石川先生とウルトラマンなら繋がりはあって、タロウのコミカライズを担当していた。シン・ウルトラマンとかは多分それの影響がある)

グリッドマンシリーズ本当に良くできていた、面白かった、めっちゃ普通に良くできていて面白い話だった……感想聞かれて中身大事にしてもらえたのいいなー素直に羨ましいって話したら瞬間的に爆笑されてしまったが。あまりにも切実な声色をしていたらしい。

後日これを編集してる間に見つけた

ここここれ全部終わった後のアンサーソングじゃん!!!!!
アフターフォローまで完璧かよ!!
「僕ら何度だって手を取ろう」のところでぶわっと涙出たじゃんかず、ずずずズルい……!!
と思って調べたら、中止になってしまった舞台版用の曲? っぽい?
うう、ありがとう、ありがとう、めっちゃよかった……!

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