どんなときも自分に対する誇りだけは失わないこと
人間、追い込まれたときに立ち直れるかどうかは、結局自分で自分をどれだけ「誇りに思っているか」、によるとわたくしは思います。
どんなにダメダメに思えても、それでも自分への「誇り」を失わないように努められる御方なら、どんなに凹んでも、どんなに沈んでも、それでも、いつかまた必ず蘇(よみがえ)ってこられます。
自分を信じる、自分を大切にする、自分を愛する、どれも似たような言葉ですが、結局、「本来あるべき姿としてのわたし」への「誇り」を失わなければ、たとえどんなに遠回りしようが、たとえもう一度最初から全部やり直すことになったとしても、それでも絶対大丈夫だと思うのです。それくらい、「誇り」というものは、とてもとても大事です。
もともと、わたくしは「誇り」などとは程遠い「文化」のもと、育ちました。初めてその言葉を知ったのは、確かあれは小学2年生くらいの頃でしたでしょうか、夕方の再放送で見ていたに違いない、アニメ「ラ・セーヌの星」(1975年、フジテレビさん系列で放映)で、やがては断頭台の露と消えゆくところのマリー・アントワネットが、牢屋に囚われた際に、自らの子ども達に、これからどんなことがあろうが決して王族としての誇りを失うな、ということを言い聞かせている場面でございました。
つねに理想としての自分に対しての「誇り」を失わないよう、出来るだけ努めてゆくこと。これこそが本当の意味での「自律」であり、人間が最後まで決して失ってはいけないものだとわたくしは強く思います。
わたくしも未だに自らの「誇り」とは程遠いような環境下におりまして、ほんと、いつになったらよりよい環境を自らに与えてやれるのか、このことについて考え始めると倒れそうにもなりますが、それでも、そんなときこそ、弱い自分にずるずると負けてしまうのではなく、ぐっと踏ん張って、これ以上気持ちが落ちないよう、懸命に自分を励まし、今出来る最善のことをやり続けてゆく、それを貫ける自分でありたいと思います。
そう、「誇り」こそが運命を切り開くカギであり、自分が自分で居られる、そのための最後の砦だとわたくしは思うのですよね。” 貴女の「誇り」なんか……!" とおひとに笑われようが、それでも、絶対に自らに対する「誇り」だけは失ってはならない。
そして、その「誇り」を堅持出来るよう心がけてゆく、そのことを通じて、自らを更に高め、そして、ヴァージョンアップした自分がよりよい形で社会への貢献を続けてゆけるよう、努めてゆくこと。人生はその繰り返し。
とにかく「誇り」については決して妥協することなく、いつも凛と美しくいられるよう、最善を尽くしてまいりたく存じます。