見出し画像

『 I'm home ! /真相 』第3話・足がある幽霊


「だって綴くん……もう死んでるから」

 やっと帰って来た俺に、恋子はそう言った。
「えっ?! ……し、し……死んでる??」
 俺は両手でカップを握りしめ、目を見開いて恋子を見た。
 恋子は俺の言葉に合わせて、拍子を取るように〝うん、うん〟と小さく頷いていたが、『死んでる??』という、最後の言葉には、〝その通り!〟というように調子を合わせて大きく頷いた。

「お、おれが……死んでる?! ば、ばかな……そんな……」

 目眩と痛みに耐えられなくなって、俺はソファの背に倒れ込むと、喘ぎながら小さく繰り返していた。
「そんなばかな……そんなばかな、そんな……」
 恋子は、ソファで悶えている俺に、淡々と話し始めた。
「あの日の事故、あなたを撥ねた相手のトラックはその後、何台もの車を巻き込んで大破したの。運転手の方と、同乗していた娘さんも一緒に亡くなったそうよ」

 俺の驚いた顔を見て、恋子は、『そうよ』と頷くように言った。

「だから、今日まであなたが一緒にいた二人も、もうこの世界の人じゃないの。本当は私、事故の二日後に警察から連絡を受けて、あなたの遺体確認に行ったのよ」

 恋子は涙を流しながらも、その様子はとても冷静だった。 俺の知らない二年の月日が、独りで乗り越えてきた恋子を強くしたのだろうか?
「でも……」
 ぼんやりした頭の中に、微かに浮かんできた問いを捕まえて、俺は口にした。
「じゃ、じゃぁ、何故君は……、さ、最初にそう言わなかったんだ? 出来すぎた話だと……な、何故、疑ってみせたんだ?」
 恋子は、俯いて自分の紅茶をスプーンでゆっくりと掻き混ぜながら、俺の話しを聴いていたが、溜息を一つ吐くと言った。
「怖かったのよ。出来れば、茶化して、この現象を消してしまいたかったの」  
 俺は、恋子が、帰って来た俺とのやりとりを、〝現象〟と呼んだことにショックを受けて、言葉を失った。
「だって、そうでしょ? あなたは死んでいるのに……今私の目の前に現れたのよ、怖くなって当然じゃない? 連れて行かれそうで……」
 そう言って恋子は、一瞬、俺の顔を怖いものでも見るように見てから、急にハッ、と申し訳なさそうな表情を浮かべて俺の方に手を伸ばした。
「ご、ごめんなさい……綴くん」
 俺は反射的に、ソファの上で身体を捻ってその手を逸らした。
「や、止めてくれ。……同情なんて、さ、されたくない……」
 どんどん耳鳴りの酷くなる頭を抱えながら、それでも俺は何とかソファの上で起き上がった。
 恋子が、紅茶を注ぎ足したティーカップを勧めようとする手を止めて、俺は言った。
「い、いや、紅茶はもういい。悪いけど、み、みず。水をくれないか」
 恋子は黙って頷いて、絨毯の上に立ち上がり、台所に向かった。 俺はその背中に言った。
「す、水道の水でいいよ。水道の水をくれ」
 喉の中に絡みつく何かを、痛みと共に洗い流したかった。 恋子は水道の蛇口を捻り、グラスに水を注ぐと、向き直ってそれを持って俺の方に戻って来た。 差し出されたグラスの水を一気に喉に流し込むと、気のせいか、少しずつ痛みと渇きが落ち着いていくのを感じた。
「もう一杯」
 そう言って俺は、もう二杯水を飲んだ。そして立ち上がると、『ありがとう』と言って、恋子にグラスを渡した。 恋子は頷いてそれを受け取ったが、 『じゃっ』と言って玄関に向かって歩く俺に聞いた。
「えっ? 綴くん、何処へいくの?」
「えっ? 何処へ行くのかって?」
 俺はこの後どこへ行くのだろう? 他人事のような質問を自分に投げかけた途端、俺に実家での記憶が蘇ってきた。『父さんみたいに、毎日判で押したような生活を送る奴にはなりたくない』そう言って、大学卒業後も定職に就かず、小説家への道を諦めようとしない俺に激怒して、父親は俺を勘当したのだった。
「もういいじゃないか。俺は自由だ。お迎えが来るまで好きなとこにでも行くさ」
 靴を履きながら、〝幽霊にも足があるんだな?〟 と思って、俺はふと可笑しくなった。
「さよなら。元気でね」
 目を見て俺が恋子にそう言うと、恋子は眉根を寄せ、少し悲しそうな顔で、同じように、
「元気でね」
と言ってから、『あっ?!』と小さく声を上げた。
「無理だよ」
 答えた俺と恋子は一瞬目を合わせ、同時に吹き出して笑った。
 帰還後、俺と恋子が、初めて心を交わして行った共同作業だった。 片手を上げて挨拶をした俺が、ゆっくりと閉まるドアの向こうに見たのは、深く腰を折ってお辞儀をしている恋子の姿だった。

 ガチャン、と音を立ててドアが閉まると同時に、恋子と俺の物語の幕が下りた。
 一気に込み上げてきた恋慕の思いに、暫く動けずにいた俺が、やっとドアノブから手を離しエレベーターへと向かおうとしたその時、初めて目に飛び込んできたのが、ドアの左上に掲げてある表札だった。
 古くて安いマンションだったから、此処にはセキュリティーに特化したオートロックの玄関ドアもなければ、昔ながらの表札を掲げる慣しもまだ生きていた。尤も、掲げていた家はそう多くはなかったけれど。
 そこには、〝相田〟と彫られたプレートが嵌め込まれていた。
「あれ?」
 また少し、ぼうっと広がり始めた靄を振り払うように、俺は二、三度頭を振った。
「アイツ、〝相田〟だったっけ? 表札、変わってる?」
 そう呟いた途端、まるで真相に迫る邪魔をするように、痛みと目眩が戻って来て、俺は又、よろけそうになる身体を支えて、マンションの壁に手をついた。そしてその嵐が去るまで、少しの間待たなければならなかった。

 ようやく痛みと目眩が治まり歩けるようになると、俺はもう何も考えないように努めながら、上がってきたエレベーターに乗り込もうとして、出てきた男とぶつかりそうになった。
「あっ! すいません」
 同時にそう言い合って、身体をずらしながらすれ違った時、俺の中で、初めて感じる直感のようなものが走って、『振り返れ!』と囁いた。
 振り向くと、相手も同じように振り向き、俺たちは目を合わせた。

ぼんやりとした視界の中で、ゆっくりと閉じて行くエレベーターのドア。    
 立ち尽くしている端正な顔立ちの痩せた男。
 そのシャープな顎に収まった唇が、驚いた形に開いてゆくのが見えた。

「あいだ」

俺は、自分でそう呟いて、驚いた。 

第3話・終わり

#創作大賞2024
#ミステリー小説部門



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?