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写真とカメラに思うこと。横丁のカメラじいさまの独り言。

1,はじまりは門前の小僧よろしく 

小生、俗に云うアラカン時代のじいさまです。
アラカンでじいさまとは?と思われますね?
現役時代からじいさまと呼ばれていましたのでご勘弁を。
写真とカメラを趣味として早や半世紀以上の月日が流れました。
そんな横丁のじいさまの独り言など。
 
自身が幼い日、祖父の家に遊びに行くと、テーブルの上には 
天秤ハカリといろいろな薬品が入った容器が置いてあります。
祖父はその前に座り、老眼鏡をずらしながら
難しげな顔つきと慎重な手つきで天秤ハカリと格闘をしていました。
 
それは、フィルム現像やプリント時に使用する
薬剤を調合していたんですね。
当時は後世のように調合済みの薬剤が簡単に入手できません。
独自の秘密のレシピを持っていたようです。
写真愛好家はみな、そんな調合をしていた時代のはなし。
 
その調合が終わると、祖父は自分に声をかけてくれます。
わくわくしながら、ともに「暗室」こもれるんです。
秘密基地のような暗室では、フィルム現像は手探りで、
プリントは安全灯のもと祖父のレクチャーを受けた思い出です。


小学校入学のころになると父から当時の大ベストセラー機の発展機。 
“Olympus Pen W”を譲り受けます。
そのカメラは祖父から父へのプレゼントだったのですが
父本人が持てあまし小生の手元に舞い降りました。
 
当時はフィルムがまだ高価で撮影の前には祖父の家に行き
SSクラスの100ft缶から街の写真屋さんで譲り受けた
パトローネに詰め替えて使用することが当たりまえでしたね。
 
100ft缶というのは、36枚撮りのフィルム、
約18本分が一本になっています。
使う分だけ小分けに巻き取れるので
詰め替える手間はありますが市販のフィルムより格安でした。
 
その100ft缶からパトローネへの詰め替えは
ぎりぎりまで巻き込むとライカサイズで40枚弱の撮影が可能です。
“Olympus Pen W” はハーフサイズですから約80枚の写真が撮影できました。
 
余談ですが。
当時の笑い話として、ごく普通の一般家庭のハーフサイズカメラには
お正月からはじまり、桃の節句、入学式、端午の節句
夏休み、お月見、運動会、クリスマス、が並んでいる。
そんなことがまことしやかに。
まあ、火のないところにですね。
 
ではいざ撮影!
しかし手元のカメラは “Olympus Pen W”です。
絞りも、シャッタースピードも、ピントも
自分で決めなければなりません。
祖父はカメラの裏ブタに
「晴れた日は絞りF16でシャッターは1/250、曇りや日陰はF8で1/250」
などと書き込んだメモを張り付けてくれました。
目測のピントは自分の一歩幅が40cmと覚えて参考に。
でも実際には距離環にある赤い数字
2メーターと5メーターが役に立ちました。

2,初めての一眼レフ!カメラ沼への入り口にはまった!!! 
 
祖父は小生が小学校3年生の夏他界しましたが、
カメラ小僧育成役の引き継ぎは祖父の友人。
その後も”Olympus Pen W”は相変わらず大活躍です。
学校の遠足、運動会、学芸会はもちろん、
町内会行事、家族の日常スナップ。
 
転機が訪れます。
それは祖父の死去に伴い、祖父宅の近所に引っ越しました。
ということは、
そうです!暗室使い放題です。
 
祖父の友人の教えもあり、小学校高学年のころには
薬品調合からはじまりDPEも一通りこなせるようになっていました。
 
カメラ小僧は、中学校に入り3年生に進級する際、山岳部へ入部。
学校はいわゆるエスカレーターでしたので高校の山岳部。
写真撮影は相変わらずです。
”Olympus Pen W” は使い続けています。
確かに良いカメラですがハーフサイズの限界も感じました。
 
ちゃんとしたカメラが欲しい。
レンズ交換していろんなものごとを撮影したい。
そこで、貯めてきたお年玉をもとに,祖母に援助を頼みました。
-まあほとんどが彼女のお財布です-。
 
カメラ買うならややっぱり”Nikon”かな。
“Canon”もかっこよさそう?
TVコマーシャルで「ボーエンだよ、ボウエン、ワイドだよ、ワイド」
盛んに流れていた”Pentax”?
 
そんな時TVからコマーシャルが流れてきました。
男兄弟、兄は二段ベッドの上で高いびき。
弟が山登りに出発する深夜の部屋。
兄の机の上には一眼レフが置いてあります。
弟はそのカメラに羨望のまなざしを送っています。
「持って行っていいぞ!」
兄の一声が掛かります。
弟は笑顔でカメラをタオルにくるみ、ヤッケのポケットに入れます。
 
『小型軽量一眼レフ「オリンパスOM-1」』
そんなナレーションが流れました。
 
これだ!このカメラだ!
山に持ってゆく荷物は1グラムでも軽くしたい。
そんな時に山男を題材にしたコマーシャル。
 
自分には決定打となりカメラ屋さんへ走ります。
ちなみに当時は、今のように大型カメラ店はありません。
カメラ購入は、町のカメラ屋さんでした。
一週間ほどして、カメラ屋さんから入荷の連絡。
「御嫁さんきましたよ。」

御嫁入りしてくれたOM-1はどこへ行くにも肌身離さず持ち歩きました。
山行ではコマーシャルと同じようにタオルにくるみ
ヤッケのポケットに入れていましたっけ。
 
そのカメラは、今でも健在です。
オーバーホールを繰り返し、
クロームモデルをブラックへも換装しました。
 
 学生時代にはこずかいを貯めたり
祖母からの援助をたよりにカメラ遍歴は細々と、しぶとく?続きます。
OM-1発売時のキャッチコピー。
「宇宙からバクテリアまで」とはいきませんでしたが
広角、中望遠、望遠、フラッシュなど一通りのシステムも完成です。
ガールフレンドができたときは、彼女を撮影するため
嬉々としてデートした鎌倉へ持ち出したのも淡い思い出ですね。

3,一足飛びに最新カメラへ!! 
 
1985年、日本のカメラ業界に衝撃が走りました。 
もちろん、小生にも!
 
それは当時のミノルタカメラ株式会社から「α-7000」が発売されたのです。
そうです、今は当たり前の本格的オートフォーカスカメラ。
オートフォーカスは当時のコンパクトカメラでは
当たり前の機能になっていました。
しかしα-7000は本格的一眼レフにその機能を組み込み発売されました。
 
Nikonではその2年前、F3のファインダーにAF機能を組み込んだ
F3-AFを発売していましたが、使用可能なレンズも専用の2本のみで
決して実用向きではありません。
しかしF3-AFは、当時のNikonの技術力の結晶です。
 
そこに広角から、望遠、ズームの各種のレンズと
フラッシュ、各種アタッチメントなどをラインナップした
実用機としてのαシステムが発売されたのです。
 
それまでのミノルタカメラはどちらかと言えば地味な存在でした。
プロカメラマンでは篠山紀信さんが愛用していたくらいです。
海外では「ミナマタ」で著名なユージン・スミス氏です。
ミノルタ製カメラをアストロノーツのように何台もさげた取材時の
彼が写るスナップは有名です。
♪今のきみはぁ~ピカピカにひかってェ~♪
宮崎美子さんのコマーシャルも話題にはなりましたが
売れ行きは他のメーカーに比べあまり芳しいとは言えませんでした。
 
そのころには立派なカメラオタクに成長していた小生も、
OMシステムの中からあまり使わない機材を下取りに出し、
(昔は新しいカメラを購入する際は、それまでの愛用品を
下取りに出して購入することが当たり前でした。
カメラがまだ「耐久消費財」としての価値があったからですね)
バイト代をねん出し、(祖母の財布をあてにして)
念願の"Minolta α-7000"を入手します。
今になって思い返せば、オートフォーカスも遅く
被写体によっては合焦に迷い、フォーカスリングが
行ったり来たりする精度でした。
それでも、それまでは"OlympusOM-1"という
ピントも露出も完全マニュアル機に慣れ親しんだ自分です。
それがいきなり「ピントも露出も自動!」なんですよ。
「杉作!日本の夜明けじゃ!」頭巾をかぶり言ったとか言わないとか??
 
そうしているとある事実が発覚します。
今までに比べあまり考えることをせずの撮影です。
なにせ、ピントも露出もカメラ任せにできるのですから。
結果、撮影スピードが速くなり、フィルム代がかさんでゆきます。
DPEは自分でするにせよ、100ft缶から巻き取るにせよ、
36枚撮影が終了するごとに裏ブタを開け、
フィルム交換を繰り返します。
 
OM-1では手動一でコマずつ、フィルムを巻き上げていましたが
α-7000のモーターによる自動巻き上げも
フィルム消費に拍車を掛けました。
いまでは考えられませんよね、そんな時代でした。
そんな時、祖父の形見の"ContaxⅡA"と35/50/135のレンズのセットを祖母から手渡されました、、、、、


これを機に 、
その後社会人となりある程度の収入を得るようになると、
やっぱ"Nikon"だ!"Canon"はレンズを変えても色が変わらない!
いや舶来品のハッセルだ!ライカだ!
ツアイス、フォクトレンダー、ホースマン。
ジナーだ!リンホフだ!
シュナイダーだ!ローデンシュトック!
フジノン、コダック、コマーシャルコンゴーだ。
と、カメラ&レンズの沼にずぶずぶとはまり込んでゆきます。
 
なんていうじいさまの与太話はさておき、
皆様もカメラを趣味としていると忘れられないことの
一つや二つおありになりませんか?
 


4,カメラを趣味にしていて忘れられないこと。 
 
正直いろいろありますね。 
その中でも思うことは、
撮影するためには被写体をファインダー超しにみるとき
構図を考えるのですが、仕上がったプリントを見ると納得する
出来ではないのです。
なぜだ?なんでだ?
撮影するときは自分の考えた主題に神経が集中しています。
そこばかりを見ているから頭の中の構図では
主題が構図の中心を占めています。
意識の大半で主題が強調されているのです。
 
ですが、
ネガを見ると主題が小さかったり大きすぎたりなのです。
自己満足構図の典型ですね。
落ち込むことの連続です。
 
その落ち込みから自身の視神経を引っ張り上げたくて
あらゆる写真、絵画、焼き物、などを片っ端から鑑賞しました。
そこで、黄金比率とか、フォーカルポイントとか
視線誘導、バランス、配色などを覚えます。
そのうえ、似合わない文学や評論、哲学、その他もジャンルにとらわれずあらゆる書物も読み 被写体と対峙した際に自身を見つめる「思考する」行為を身に付けました。 

そのような日々を過ごしていると、様々な分野の方と出会います。
そのころに伺ったお話は今でもある意味財産になっていますね。
 
 5,忘れられない景色。 
 
写真の撮影対象は無限ともいえます。 
風景、行事、人物、植物、野鳥、食べ物、家族、テーブルフォト。
休日はお気に入りのカメラを下げてのお出掛け。
通勤、通学時はいつも鞄にカメラを忍ばせていたり。
写真を通し行動範囲とその目的が広がってゆきます。
 
山岳部に所属していたことは先述差し上げました。
そんな時先輩から、「歩荷(ボッカ)のバイトあるけどいかないか?」
「荷揚げ後は飲み放題・食い放題。ベースキャンプから
他の山に行っても自由、期間は2週間。
雇い主が満足できる仕事ができなければ
約束の2週間は延長され未定になる。
逆に3日間で満足できたとしても、2週間は山にこもる。
ギャラは2週間分を保証、延長分の支払いも問題なし。」
 
季節は12月、厳冬期の冬山です。
歩荷というのは山行時に雇い主の荷物を運ぶ要員です。
自身のスキルと体力、荷扱いを請け負う荷揚げのプロですね。
 
雇い主は著名な山岳写真家でした。
彼は大判カメラを使い、厳しくも、美しく、雄大な、
国内・国外の山々の写真を撮影するあこがれの写真家でした。
 
使用するカメラは一眼レフのような35mmではありません。
組み立て式の大判カメラです。
フィルムはシート状になっています。
シート状のフィルムを専用のフォルダーに入れカメラに取り付けます。
普通のカメラのように、一枚撮影したらフィルムを巻き上げ 
次の一枚を撮影する。そうではありません。
一枚撮影するごとにフィルムを装填しなおします。
 
構図はピントグラスを使って決めます。
ピントグラスに映る景色は上下左右すべてが逆像です。
 
大判カメラは主にフィルムサイズにより2種類に分かれます。
一つは4×5(シノゴ=4インチ×5インチのフィルムサイズ)
他方は8×10(バイテン=8インチ×10インチのフィルムサイズ)
フィルムを収納するフォルダーは、
4×5サイズは一枚のフォルダーの表裏に一枚ずつ。
8×10サイズのフォルダーには一枚のフィルムを装填します。
4×5サイズで100枚撮影するには50枚のフォルダーが必要です。
 
自分たちが運び上げる荷物は、テント・食料・調理器具・備品。
 
そのほかに、頑丈なアルミケースに入ったフィルムフォルダー。
 
カメラ・レンズ・三脚・露出計などは、
写真家も自ら背負い、アシスタントさんと共に運び上げます。
一流の山岳写真家は、一流の登山家でもあると知りました。
 
自分が担当した荷物の重量も半端なく
優に80kgは超えていたでしょう。
 
当時の自分は身長174cm、体重47kgでした。
いまでは考えられないですけれど。
 
それでも山に行けて、バイト代まで頂ける。
何よりも著名な写真家の撮影を目の前で学べる!
荷物にはおののきましたけれど、断る理由はありません。
 
荷物の重さにアゴを出しながらも3日かけて
ベースキャンプ地への荷揚げを無事に終えました。
 
ベースでの初日は雄大な冬山の景色を見ながら写真家の話を伺い
鍋をつつき、酒を呑み(高校生でしたけれど時効ですね)ましたね。
 
翌日は日の出前、撮影開始です。
寒い寒い!
寒さは体に震えがくるのではなく、空気が痛いんです。
熱い風呂につかると、熱いんではなく痛い。
あの感覚に似ています。それも、逆です。
 
自分は先輩と日の出に染まりゆく山を見ていました。
雪の肌に陽が差し込みだし、徐々に色を変え始めます。
そんな風景を見ていると、訳もなく涙が流れてきますよ。
人間を超越した自然の偉大さ。
人間よりはるかに大きな何かの存在を感じます。
自分は無神論者ですが「先輩、神様ってきっといますよね。」
ミッション系の学校に通っていたからかもしれません。
(もっとも同級生に寺坊主の倅いましたけど)
 
自分でもその神々しさをフィルムに焼き付けたくて
胸に下げたOM-1を持ち、立ち上がりました。
そのときです。
 
「立ちあがるんじゃない!」
写真家の大声です。
「君が動くと、空気が動いて景色が変わる!」
彼のカメラから、自分は後ろに位置し、
優に100メートルは離れていました。
視界のはるか外にいたんですね。不思議でした。
 
彼は全身で張り詰めた大気を感じ取っていたんです。
 
すっげー!!
17歳の自分は、プロの仕事を目の当たりにしました。
 
いつもニコニコしている写真家でしたが
その時のオーラは半端ないものでしたね。
 
三脚にカメラを立て、レリーズを握り
撮影の一瞬をまつのですが、撮影しない日もありました。
彼曰く「今日は空気が悪い」のだそうです。
 
時には「歩荷君、今日の空気は良いから撮ってみるかい?」
お許しを頂き、大型カメラを拝借し、写真家とならべ、
「いまだよ!」彼の声に合わせてレリーズを切ります。
出来上がった一枚は、同じタイミング、同じレンズ、
同じ構図、同じフィルム、同じ絞り、同じシャッター速度でも。
全く違うんですね。
 
彼の一枚には物語が写りこんでいます。
一枚の写真から、語り掛ける何かがあります。
大げさに言えば、見る側に人生の物語を思わせてくれます。
 
それに比べ、自分の写真はただ冬山が写っているだけでした。
当たり前と言えば、当たり前すぎますが。
 
あの2週間で観た雄大な冬山の景色はもちろんですが、
カメラを構える写真家の姿も点景となっていました。
 
忘れられない景色ですね。
 
 
6,フィルムカメラの魅力とアナログ人気の秘密? 
 
いまは写真と言えばデジタル全盛ですけれども、 
自分はあえて、フィルムカメラにこだわっています。
それは、何故なんだろう?と自問自答してみますね。
ここからは、かなり偏った思いになるかもしれません。
横丁の偏屈ジイサマのつぶやきとして、ご容赦くださいな。
“Olympus Pen W”からはじまった門前の小僧も半世紀以上の時を経て
り~~~~~っぱなアナログ写真じいさまになりました。
 
自分はまず、カメラという機械が好きなんだと思います。
日本の高度成長期時代に培われた加工技術、
人間工学に基ついた操作性、それを殺さないデザイン。
何よりも「金属製」であること。
 
今のデジタルカメラでも、マグネシウム合金製とか、
一体成型のアルミ合金製だとかは確かにあります。
それでも、直接手に触れる部分の多くは樹脂で覆われています。
なんか、魅力を感じないんですよね。
 
自分は製造業に携わっておりました。
設計、デザイン、加工、表面仕上げ、積算、など、
一通りの知識と方法を理解もし技術もあります。
対象は、金属・木工・樹脂など多岐にわたりました。
 
そんな会社員人生を歩んでまいりましたが、
最近の車にせよ、カメラにせよ、家電にせよ。
「この車のデザイナーさん、車運転できるの?」
「このカメラのデザイナーさん、写真撮ったことある?」
「この洗濯機のデザイナーさん、身長の低い人いるのわかってる?」
などと、感じてしまうことが多々あります。
 
現代の製品はデザイン優先とメーカーの加工技術発表会みたいで
車にせよ、カメラにせよ、家電にせよ、
人間が生活の中で使う道具としての根本が見えないように思います。
 
それにくらべりゃ昔のカメラはよお、
よっ、ご隠居さん!
なんて言葉が聞こえてきそうですが。
 
「カメラは写真を撮影する道具」
 
昔のカメラはその根本から出発し、
デザイン、加工技術を開発し完成形の一台へ盛り込んでいました。
 
Nikonのデザインを担当したジウジアーローさんは
それまで写真撮影にあまり興味を持たなかったけれど
デザイン依頼を承諾したとき、写真と、カメラについて
かなり勉強をされたという逸話を聞いたことがあります。
 
そんな当時の開発陣達と、より良い写真を撮影する製品を
より多くの方々に広めたい、セールス担当者。
 
道具の根本を理解されていたと感じます。
 
「黒革病」という言葉があります。
カメラオタク用語です。
フィルムカメラ=金属製表面仕上げは、
普通クロームメッキ仕上げが基本です。
それとは別に黒色塗装仕上げが存在します。
これは一説にはプロカメラマンを対象にした製品だとか。
価格もクローム仕上げに比べ3割程度高価です。
 
この3割が、
一般コンシューマーには越えがたいハードルなのです。
 
自分よりひと世代上の方々は、
ベトナム戦争当時、
クローム仕上げのカメラは光を反射し狙撃の目標になった。
一方、黒色塗装のカメラは反射がないから安全だった。
 
報道カメラマンが携える塗装が剥げ、
真鍮の生地が見えるカメラには
事件現場の声が聞こえる。
 
などなど。
そのような伝説ともいえる逸話を語られます。
 
じっさい、使い込まれ、塗装が剥げ真鍮の垣間見える個体には
道具としての魂が宿っているとも感じます。
 
いや、カメラとしての基本。
写真を撮影するだけであれば
クローム製品でも問題はないのですけれどね。
 
ジイサマはいったい何が言いたいの??
ですよね。
歳とると回りくどくっていけないねえ。
 
往年のフィルムカメラには、
使い込むにしたがって自分の視神経が籠るというか
道具としての愛着がわきます。
 
耐久消費財。
かつてのカメラはその言葉の象徴でもありました。
購入時は高価でも長く使える機械で、道具であり財産でもありました。
 
今のカメラはどうでしょう。
確かに良く写ります。
撮影は極端に言えば何も考えなくても
良い写真が撮れるのでしょう。
 
でも、そのカメラを、
三年も、五年も、十年も使い込みますか。
半年もすれば最新機種が発表され
性能的にも、価格的にも価値は大幅にダウンします。
 
ジイサマは今のカメラを
家電製品と位置付けています。
「電池がないと動かないなんてエのは、写真機じゃねえ」
 
メーカーの技術開発陣の切磋琢磨する姿は否定しません。
かつて自分もその世界に居りましたので。
 
最近は音楽においても
若者が昔のレコードを購入しているとか。
カセットテープで新曲を発表するアーチストもいるとか。
 
若者のアナログ回帰の声も聞こえます。
 
フィルムカメラは、完全にアナログの世界です。
 
レコードも、カセットテープも、フィルムも、
自分の身を削りながら役割を果たすのです。
 
再現される音や、映像は
デジタルにはない「アタタカミ」を我々に提供してくれます。
 
そのようなところが、デジタルにはない
フィルムカメラの魅力と、アナログ人気の要因ではないかと思います。

7,これからアナログ沼へ入られる方へ。 

我ながらとんでもないタイトルをつけてしまいました。 
でも、ご安心ください。
この沼にはもしかしたら「金の斧」が沈んでいるかもしれませんよ。
それを引き上げるのはあなたかも?
 
アナログカメラの魅力は何といっても
「手間がかかる!」この一言です。
フィルムを買い、パッケージをあけ、カメラの裏ブタを開け
パーフォレーションをしっかりギアに絡ませ、
裏ブタを閉じ、最初の一枚まで、巻き上げ。
 
フィルムをカメラに装填するだけでも、
これだけの手間がかかります。
 
この後は、構図を決め、
シャッター速度と絞りを、
自分の表現に合わせて選択し。
 
ピント合わせをし。
ここで初めてシャッターを切ります。
 
うわっ、メンドクサソー!
スマホのほうがはるかに簡単!
 
写真を撮影するだけであれば、そうですね。
 
では、なぜあなたはフィルムカメラに興味を持たれたのですか?
 
なんか、旧いカメラ提げる友達見てると
人と違ってかっこよさそうだから。
 
昔、
親御さんの若いころの写真や
自分を撮影してくれた、フィルムカメラの写真。
そのアルバム見てると今の写真と何かが違う。
 
人それぞれですね。
 
でも、フィルムカメラは
手間がかかるけれど、
満足して撮れた一枚の価値に重みがあるように思います。
 
その手間を楽しめることがフィルムカメラの魅力なのですね。
 
唐突ですがあなたは、自転車には乗れますか?
 
最初に乗った時のことを思い出せますか?
 
左右に補助輪があってそれでもおっかなびっくり。
ブレーキをかけ忘れて壁や柵にぶつかったり。
 
ある程度慣れてくると、補助輪は、片方だけになって。
調子ついていると、バランス崩して、転びませんでした?
 
補助輪なしになってからはもっと悲惨?でしたね?!
転んでひざ小僧すりむいたりしませんでしたか?
 
でも、いつの間にか、自由自在に乗りこなせましたね。
 
写真もおなじです。
カメラとフィルムという道具を使いますけれど
経験を積んで慣れるに従うと
いつの間にか、自由自在に、使いこなせるようになります。
 
 
じいさまを、カメラ小僧から、いっぱしのオタクに
育て上げて?下さった、祖父の友人は。
 
「このレンズは、僕の手の中に入っています。
あらゆる距離、絞りでどんな像を結ぶか。
どんなボケ方をするか。
すべてわかっています。」
 
彼の撮影したネガを見ながら、
「この7番目のこま、よいですね」
そう言いかけると
「いや、その2こま後、9こま目が、もうちょっといいかも
絞り1/3変えたから」詳細にみるとその場の空気感が伝わるようで確かにそうでした。
 
まあ彼はオタク気質の塊でしたから。
 
アナログカメラは、機材自体が、愛するに足りる?
使い込めば込むほど、自分の意思を、
フィルム上に再現できる道具です。
 
デジタル撮影ですと、
あっ、これ失敗した!
さーくじょ!削除!
 
フィルムカメラは、残念ながら、これができません。
失敗は失敗として、残酷ですが
ネガとしてあなたの前に「こんにちは!」とお見えになります。
 
その繰り返しが、復習となり、反省となり
上達への道が開けてくるようです。
 
手間がかかるからこそ、考えて、悩むかもしれませんね。
 
そうして、いつかは、
物語のある一枚を
撮影できるようになれるかもしれませんね。
 
余談ですが:
こんな、じいさまでも時々頼まれ仕事で、撮影をします。
 
そんな時は、じつは、フルサイズのデジカメを持ち出すのです。
でも、カメラにスイッチや、ボタンが、たくさんあって。
勝手にレンズが動いたり。
バシャ、バシャ、バシャと連写したり。
だれか、師匠を、御紹介願えませんか。
 
 
 
 

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