INI・許豊凡と話して「私、フェミニストでよかったな」と思えた日
こんにちは、りーちぇ(別名:助けて❗)です。
2024年3月17日、日曜日。この日は、私にとって歴史的な日になりました。
初めてINIのオフライントーク会へ参加し、許豊凡(シュウ・フェンファン)さんとお会いできたから。
さらに、それだけではなく、「私、フェミニストでよかったな」と心から思えた日だからです。
今回は、そんなトーク会での出来事や、参加するまでに考えたこと、参加したあとに感じたことなどをしたためてみることにしました。
※前置きが長いので、当日の話だけ読みたい方は〈6.「豊凡が私のロールモデルです」〉までお進みください。
1.許豊凡が“推し”になるまで
グローバルボーイズグループ「INI」(アイエヌアイ)は、オーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN season2」通称「日プ2」で誕生した11人組のアイドルグループです。
最早“あるある”となりつつある流れですが、同シリーズの日プ3の放送期間に情報収集を目的として日プ2を視聴し、そこからINIのコンテンツにも触れるようになった、という経緯があります。
ちなみに男性アイドルに興味を持ったのは初めてです。そのあたりの詳しい話は、またいつか。
もともと気になっていたメンバーは豊凡ではありませんでした。
ところがYouTubeの動画を観ているうちに、知性に溢れ、芸術を愛す豊凡の魅力に気付きました。
音楽や映画の趣味に自分と近いものを感じる一方で、私には到底敵わないスキルや経験を、豊凡はたくさん持っています。
アイドルとしてデビューするまでに積み重ねてきた努力や決断。程よくエッジの効いた歌声としなやかなダンス。
親近感と憧れが入り乱れるうちに、いつしか豊凡は私の“推し”になっていました。
2.ところで、フェミニズムとは一体なんなのか
さて、そんな私は“ヲタク”であると同時に、フェミニズムを支持する“フェミニスト”でもあります。
すでに200年ほど歴史を遡ることができるフェミニズムは、日々変化を続け、さまざまな事象や人々を巻き込みながら、複雑化しています。
そのため、いまやフェミニズムを定義することはそう簡単ではないのですが、ここでは「私にとってのフェミニズムとは何か」「なぜ私がフェミニストを名乗っているのか」について簡単に説明しておきましょう。
私にとってフェミニズムとは、「あらゆる人を対象として、性別にまつわる差別を解消していくための運動」のことです。
誤解されやすい点なので補足しておくと、性的な表現を禁止することや男性を貶めることは、私にとってのフェミニズムとは異なるあり方です。
フェミニストとひとくちに言っても、人によってさまざまなあり方が存在しており、ひとくくりにジャッジされるべきではないと、私は考えています。
だからこそ、さまざまなあり方のなかの一例として、私自身がフェミニストを名乗り、「こんなやつもいるよ」と示していくことを大切にしています。
3.トーク会への恐怖心
私自身についてもう1つ、説明しておきたいことがあります。それは、もともとは「トーク会なんて行きたくない」と思っていたこと。
私にとって、そもそもアイドルを“推す”こと自体、加害や暴力と隣り合わせで、葛藤をともなう行為です。
ましてや直接対面して会話をするとなると、さらにお互いが傷つく・傷つけるリスクは高まります。
誠実な会話(対話)は、お互いが時間や労力をかけてやっと実現できるようなものなのに、トーク会は数十秒しか時間が与えられません。
ヲタクが悪いとかアイドルが悪いとかではなく、システム上、誤解や加害を避けるのが困難な状況だと思います。
(とはいえ、豊凡はそれを最小限にしようと尽力されていて尊敬します)
これは決して、トーク会を楽しんでいる人々を批判したいわけではありません。
単に私が、自分の臆病さやプライドの高さゆえに、「自分はトーク会には向いていない」「トーク会に参加するのは怖い」と感じていたという話です。
しかし、ある理由から、私はだんだんと「豊凡と話してみたい」と考えるようになりました。
4.許豊凡と、ジェンダーニュートラル
私がトーク会へ応募した理由をひとことで表すなら、「ひとりのフェミニストとして、豊凡に感謝を伝えたくなったから」です。
パフォーマンスやカルチャーに惹かれて豊凡について知るうちに、ジェンダーにもとづく固定観念や異性愛規範をずらそうとする言動がたびたびあることに気付きました。
以下にいくつか引用します。
こうした豊凡の言動を知った私は、どうしても感謝を伝えたいと思うようになったのです。
そして最大の決め手となったのが、実際に過去のオフライントーク会に参加した方の、こちらのポストでした。
“日本”の“男性”の“アイドル”が、ジェンダーニュートラルな姿勢を持ち、はっきりと言葉にしていることが、私にとっては衝撃的でした。
業界の構造からして、そんなことはほとんど期待できないと思っていたのが正直なところです。
もちろん、豊凡は自らをフェミニストと名乗っているわけではありませんし、私が勝手にフェミニストとみなすこともできません。
でもきっと、私と豊凡はどこか共通した願いや目的を持っていて、“連帯”できる部分があるはずだと感じるようになりました。
5.“フェミニストとして”感謝を伝えるために
今回、ただ感謝を伝えるというだけでなく、フェミニストとして感謝を伝えるということが、私にとっては重要な要素でした。
正直なところ、日本の芸能界はまだ、性差別に反対する姿勢を示すには困難がともなう環境だと思います。
そんななかでも、自分にできる範囲から少しずつでも反差別を発信していこうとする豊凡に、「あなたのやってきたことを知って救われている人間がここに、たしかに存在している」「あなたのやってきたことには絶対に意味がある」ということを伝えたい。
それがきっと、お互いにとってプラスになるのではないかと(勝手ながら)考えるようになり、トーク会へ応募してみることにしました。
そして届いた、オフライントーク会【当選】の通知。
とはいえ、懸念すべき点は他にもありました。
15秒ほどの短時間で、どうやってこの紆余曲折を経て大きくなりすぎた思いを表現すれば良いか、ということです。
また、他の人たちも近くにいる場でフェミニズムと結びつけられることが、もしかしたら豊凡が活動を続けていく上で不利にはたらいてしまうかもしれない、ということも気にしていました。
でもやっぱり、短時間で私の価値観やバックグラウンドを伝えるためには、フェミニストという言葉が必要なのではないか……。
当選から2週間ほど、手帳に伝えたい言葉を書き溜め、服装や名札も含めてどこにどうやってどんなメッセージを込めるかを、考え続けました。
トーク会前日、関東会場の様子についてのレポートをみていると、思っていたより距離が近そうなこと、名札をしっかりと見てもらえることがわかりました。
ならば、と思い、名札には「I’m a FEMINIST」と書き加えることにしました。(ファンネームである“MINI”の部分をハイライトしてみました)
夜には緊張でふたたびトーク会への恐怖心が蘇ってきましたが、とにかく「ありがとう」の5文字を言えれば成功ということにしよう、とみずからに言い聞かせ、当日を迎えました。
6.「豊凡が私のロールモデルです」
時間通りに会場へ辿り着き、受付をして列に並びました。
列に並んでいる全員が緊張と興奮に包まれた、不思議な空間。
名札は忘れないように早めにつけていましたが、念のため「FEMINIST」の文字が見えないように上着を抱えて隠していました。
結局話す内容は、「豊凡が私のロールモデルです、いつもありがとう」と言うことに決めていました。
前例のない環境の中でも、誠実かつ聡明に、少しずつ進んでいくための行動を起こしているあなたのようにありたい、という意味を込めて。
もしも、この言葉とセットで名札から私がフェミニストであることが伝われば、おおむね私の思いが理解してもらえるであろうという算段です。
2つ前の方が話されているとき、私の立ち位置からちょうど豊凡の姿が見えました。
あ、ほんものだ。
そうこうしているうちに順番は巡り、私は豊凡の前に手を振りながら進み出ました。
「りーちぇ!こんにちは〜」
豊凡は優しい笑顔で、机に手をついて身を乗り出しながら挨拶をしてくれました。
「あの、私、豊凡がロールモデルです」
笑顔を作れていたか、充分に大きな声で話せていたか定かではありません。
「ほんと?」
と返してくれる豊凡の微笑みを見ながら、ちゃんと聞こえていただろうか、あぁ次は何を言う予定だったかな……と少しパニックになり、間が空いてしまいました。
7.「あ、フェミニストなんだね」
そのとき、私の名札を見つめていた豊凡がつぶやいたのです。
「あ、フェミニストなんだね」
その顔は、変わらず微笑みを浮かべていました。
気づいてくれた。伝わった。まさか。嬉しい……!!
フェミニストであることを認識してもらい、しかもあちらから言及してくれた。微笑みながら。
フェミニストを名乗るときといえば、たいてい相手の顔には疑問や困惑が浮かんでいることがほとんどなのに。
「はい……いつも優しく……その、ありがとう……」
喉から感謝の言葉を絞り出せた頃には、目が潤み、私の顔はくしゃくしゃになる寸前でした。
おそらく「そろそろお時間です」と言っているスタッフの方の声が耳に入り、緊張と興奮でシャットアウトされていた五感が戻ってきました。
反射的に、とにかく遅延して迷惑をかけてはいけない!という考えで頭がいっぱいになり、豊凡に背を向けてそそくさと出口へ向かいます。
「あ……!ありがとう!が、頑張ろう!頑張ろうね!」
後ろから豊凡が声をかけてくれて、振り向く。
「頑張りましょう……!!ありがとう!!」
思わず笑顔になって、拳を差し出しながら、あらためてお礼を言うことができました。
焦ってすぐに背を向けてしまった私にもう一度声をかけてくれたのは、時間をいっぱいまで使えるようにと考えた豊凡からの配慮だったのでしょう。
「頑張ろうね」のひとことには、この刹那にかけるべき言葉を吟味して、一生懸命に自分の気持ちを伝えようとしてくれた、豊凡の誠実さがこもっていました。
8.「私、フェミニストでよかったな」
涙目のまま会場を離れて、近くの商業施設で起こったことをできる限り書きとめ、晩ごはんにフォーを食べて帰りました。
フェミニストとして豊凡に感謝を伝えるという夢を叶え、しみじみと噛み締める達成感。
そして、ふと「私、フェミニストでよかったな」と思いました。
だって“フェミニストである私”を、豊凡が応援してくれたんだもの。
悲しいことですが、フェミニストを名乗っているかどうかに関わらず、差別に反対するということは、たいてい苦しさや難しさ、孤独感を伴うものです。
だからこそ、共感し合えるもの同士でその気持ちを(つらくない範囲で)表明することが大切だと私は考えています。
共感できる豊凡の誠実な言動があったから、私は今日もやっていける。
だから私のしたことも、豊凡が自分の考えてきたこと・やってきたことを「よかった」と思うための材料になっているといいな、と思っています。
豊凡は私にとって、生まれた場所も、性別も、職業も、立場もぜんぜん違う、初めて会った人。
でもあの日、豊凡と私の人生がほんの一瞬だけ交差して、そのほんの一瞬に連帯と呼べるものが生まれた気がしました。
だから、2024年3月17日は、私にとって歴史的な日です。
今も私は、「フェミニストでよかったなあ」と、幸せを噛みしめています。
これからも胸を張って、フェミニストとして、生きていきます。
このnoteが、誰かが愛を深めたり行動を起こしたりするきっかけとして役に立てば本望です。
私が他のMINIの方のレポートに背中を押されたように。
ここまで読んでくださったあなたも、あたたかいつながりの中で、幸せに、健やかに、生きていけますように。
私は祈り続けます。
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