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【長編】奇しい世界・四話 気忙しい十月(1/3)

1 黒い存在

 十月十二日。十月に入ってからというもの、奇跡絡みの依頼や相談が相次いだ。

「それで、その黒い“何か”はどんな見た目だ?」
 応接室で対話する清川夏澄も相次ぐ相談者の一人であった。
 相談に訪れた理由は、『奇妙な現象に遭遇したら相談するように』という忠告に従っただけであった。内容は、物陰から夏澄を覗き見る『黒い何か』に追われるというものであった。

「見た目はよく分かりません。とにかく”黒い何か”です」
 あまりにも漠然とした表現に、斐斗は頭を痛めた。
「それは、黒いズボン、黒い服にパーカーを深く被った不審者やストーカーじゃないのか?」
「そんな当たり前の事、私だってちゃんと判別はできます。振り返って見てもそういった服を着た人に見えなかったし、人、っていうより……なんか『黒い何か』がいるみたいな感じです。火でもないし、影って感じかなぁとも思うし。――あ、念のため証拠動画はバッチリと録画してます」

 まさかここまで行動力があり、実行に移す女性だとは思っていなかった斐斗は、素直に感心した。方法は、家のベランダにカメラを録画しながらセットし、”黒いなにか”が付いて来てきたら、カメラの録画範囲である歩道を通って撮ったという。
 動画を観ると、歩道を歩く夏澄が映し出され、約二十秒後、縦長に黒い、影のようなものがスーッと横切った。

「確かに、『黒い何か』だな」
「でしょ。なんか怨霊みたいで怖くって。お祓いとか行った方がいいですか?」
 返答より先に小さなため息が返された。
「俺は今まで廃墟やら墓やらに行ったが、怨霊や悪霊に出会った事も見たこともない。この正体は間違いなく俺の専門分野の存在だ。まあ、君が恐怖のあまり、お祓いで余計な出費を重ねるというならそちらの判断に委ねるよ」

 カメラを夏澄に返した。

「冗談です。怒らないで下さいよ」
「怒ってない。もしそう見えたなら申し訳ない。実はここ最近、奇跡絡みの案件が増えてな、似たり寄ったりが多くて整理が追い付かない」
 夏澄はお茶を一口飲んだ。
「一応……、周りに話せないのは未だに不思議ですが、仮に話せたとして、私にそんな堂々と打ち明けて良いもんなんですか?」
「聞ける内は体質が奇跡に干渉している証拠だ。君がどんな奇跡に絡まれているかは不明なままだが、無事で変化が無いなら大丈夫だと分かる。それにこんなゴタゴタしてる時に急変していないと知れるのも一安心で助かる」
「この黒いのが私本来の奇跡とは違うって千堂さんが断言できるのって、同様の問題を抱えた人がいるって事ですか?」
「まあな。そっちはそっちで急に黒いのが消えたらしい。また何かあったら相談してくれとは言ってるが、どうやらターゲットを君に向けたのかもしれない」

 今の話で、ストーカーに巻き込まれているような不安と恐怖心が強まったが、同時に疑問が浮かんだ。

「――あれ? また同じことが起きたら連絡って、一般人が奇跡の干渉から離れたらその出来事は忘れるんですよねぇ。だったら話せるのっておかしくないですか?」
「それは、この奇跡がまだ選んだ人間に影響を及ぼす可能性が残されている証拠だ。何を目的とし、何を望んでの事かは分からんが、君と同じ現象を経験している人達に何かしらのマーキングを施してるのかもしれない」
「じゃあ、今、”私”って決めてますけど、もしかしたら、そのマーキングされてる人の前に今この時にも現れてるかもしれないんじゃないですか?」
「勘が良いな」
 褒められて、夏澄は少し照れた。
「俺も同じように考えたが、君より以前の五人は、誰かに黒いのが出たら、他の人に現れたこの存在は消えてる結果ある」

 まさか自分を入れて六名が同じ体験をしていると分かり、夏澄は照れた嬉しさが虚しさを覚えた。

「よって、今のターゲットは君になったということ。さらに、これが才能型の仕業だという事も分かった」
「どうしてですか?」
「土着型、現象型は、奇跡の範囲が広く、場所を定着させて発生するのが基本だ、大まかにだがな。才能型は、使用する対象がどうあれ、一度の使用は一人と決まってる。叶斗のヘブンが良い例だ。あれも複数同時には使用できないからな。本件は”黒い存在”を出現させてからの追跡、しかも一名のみだ。有無を言わさず才能型確定だ」
「なら、もし今までと違う現れ方とかしたらどうしましょう」
「俺や、レンギョウさんが偶然いれば助けられるが、そうでなければこの家に来い。とりあえずは毎日誰か家に居る筈だからな」
「え、千堂さんの家、結界とかあるんですか?」
「さっきも言ったが、霊媒関係とは無縁だ」考え込みながら言葉を選んだ。「……まあ、……結界というより、力で対抗と言えばいいか……。とにかく、家に来い。絶対だぞ」

 何が何やら分からないまま、夏澄は了承した。

2 耀壱と夏澄の計画


 夏澄の相談を受けて一週間後の正午過ぎ――。

「あれ? 斐斗君?」
 雑貨屋で仕事に必要な道具を探していた斐斗は、声を聞いて驚いた。声の主がこんな所にいるとは思っていなかったからである。
 冴木陽葵(さえきひなた)。斐斗が大学時代に同級生だった女性である。十代の時から同年代の女性とは一線を画して穏やかで冷静な印象を維持している。話し方も丁寧で、斐斗は出会った時から彼女の事は大人びて見えていた。

「どうして君がここへ?」
 陽葵は手荷物の紙袋を持ち上げてみせた。
「斐斗君、夏に泊りに来たでしょ。あの時色々お世話になったからそのお礼に」

 勿論、奇跡関連の仕事である。とはいえ、斐斗自身、お礼をされる程なにかをしたわけではない。風呂掃除、食器洗い、夜食購入しか思い出せなかった。

「相変わらずマメだな。本当にそれで来て、偶然の再会?」
「何か疑う余地でもありました?」
 陽葵は穏やかな笑みを絶やさず優しく聞いた。優しく聞こえるのは、高すぎない声量か、声質が関係してだと思われる。
「……いや、君と偶然会う時は大抵、叶斗か耀壱が関係していたりするからな」
「じゃあ、聞いてみてはどうですか?」

 斐斗は陽葵の表情から嘘を読み取ろうとしたが、視線、仕草から嘘が伺えなかった。
 陽葵は昔から何事も平然とやって退ける女性であり、軽い嘘も平気で突き通せる。

 今回もその類だと感じたが、斐斗は無駄に追及しなかった。

「止めとく。何がどうという事でもないからな」
 必要な品を手に取るとレジへ向かった。
 会計を済ませると二人は店を出た。

 この再会は斐斗の直感通り、耀壱が一枚かんでいた。それは、夏澄が黒い何かに追われている相談を終え、帰宅途中のコンビニで耀壱と再会した時に遡る。


「え、千堂さんって彼女いるの!?」
 同い年だけど叶斗と違い、雰囲気から耀壱に対してはすぐに友人のように話が出来た。
 再会した二人は、夏澄の相談から世間話、そして恋愛話と話が弾み、対象として斐斗が選ばれた。
 昼食をまだ済ませていない耀壱の要望により、ファミリーレストランで二人は話した。

「んー……。まあ、斐斗兄は絶対違うって言い張ってんだけどね。あれは誰がどうみても付き合ってる二人にしか見えないね。叶斗は”絶対”って断言してる」
「え、なんでそんなに否定してるの? 性格最悪とか、顔があの、その……」
言っていいか戸惑いつつ、小声で「ブス?」と訊いた。
 耀壱は真顔で、顔の前で手を振って否定した。

「雰囲気も声も穏やかで、話し方は丁寧だし、性格も全然嫌じゃないよ。僕も、あ、その人陽葵さんって言うんだけど、陽葵さんと話したけど優しい、絵に描いたような姉ちゃんみたいな人。顔は……」
 見た目の近い女優の名を上げ、その系統の顔立ちだと説明した。
「え、全然ブスじゃないじゃん。どうして付き合わないの?」

 店員が料理を運んで来て、耀壱は話に夢中だった意識が、ステーキ定食に向いた。一緒に運ばれた夏澄注文のケーキセットに、夏澄も意識が持っていかれたものの、「いただきます」と耀壱が言って食べる時に戻った。

「いや、説明説明」
 耀壱は、手を前に出して『待って』と合図して口の中に含んだステーキを咀嚼して、水を飲んで流し込んだ。
「本気かどうか分かんないけど、斐斗兄は陽葵さんを巻き込みたくないとか言って、積極的に付き合う気がないと思う。夏澄ちゃんも斐斗兄見て、女に執着する人に見えないでしょ」

 短期間の記憶と、夏澄の二十七年間生きてきた経験・情報と照らし合わせても、斐斗が女性関係にだらしない人間ではなく、下手をすれば何かで死にかけたとしてもすんなり受け止めて死んでいくような性格だと、彼女なりに確信的な分析を下した。

「見えない。一途で惚れた女は絶対手放さない系は叶斗さんだね」
 耀壱は指さして「そうそうそうそう――」と言って何度も頷いた。
「いやぁ、夏澄ちゃんは見る目があるねぇ」
 感心とは他所に、夏澄の想いは別に働いた。

「――いやいやいやいや、なに呑気に言ってんの」
「へ?」フォークで指したステーキを口に運ぶ途中で止めた。
「もっと積極的に二人を会わせないとダメじゃん。私達が二十七で、千堂さんもっと上でしょ。何歳?」
「えっと、三十一にもうすぐなる」
「早く付き合わせないと!」興奮しているが周りの目を気にして声量は低い。「――なにより陽葵さんが可哀想よ。五十嵐君、二人を付き合わせたくないの?」
「付き合うって、どうやって斐斗兄動かすんだよ。待ち合わせても仕事入ったらそっち優先の仕事人間だよ。あと、恋愛とか関心なさそうだし」
「陽葵さんから会いに来てもらう……とか」
 興奮してズケズケ言うものの、面識のない年上の女性に対し、流石に失礼だと意識が働いた。
「――あ、迷惑でしかないし、私面識ないのに何言ってんだろ」

 しかし、耀壱が閃くには十分だった。

「良い事思いついた」
「え?」
「前に仕事で陽葵さんとこに斐斗兄が泊まったから、それを口実に会うネタ広げて会いに来てもらう」
 説明に、夏澄はさらに驚いた。
「ええ! 付き合ってもないのに女性の部屋に泊まりに行ってるの!?」
「陽葵さん的には気にしてないみたい。結構向こうはその気かも」表情はにやけている。
「それ、良い切っ掛けがあればイチコロじゃん。両想いなのに付き合う切っ掛けがないから言い出せない、初心な男女の恋愛物語だよ! ラブロマンス!」

 こんな男女が現実にいると思えない夏澄は、まさかそんな例が存在するとは思えず興奮が修まらない。それどころか恋愛成就を願って止まないでいる。
 耀壱は早速メールで陽葵に事情を説明した。

「今仕事中だと思うから返信遅いと思うよ」
 中々進展しない現状にもどかしさを感じつつも、二人は後回しにしていた食事を再開した。

「……ところでさ、五十嵐君ってなんで千堂さんの事を斐斗兄って呼ぶの?」
「ん? えーと……まあ、成り行きかな。深くは覚えてないけど、高校ん時から言ってた気がする。尊敬かなんかだったとは思うけど」
「へ? 結構重要な理由とかあるんじゃないんだ」
「そんなもんでしょ。実際、兄貴みたいなもんだし。あ、でも叶斗は同級生で友達としか見れないな」

 先ほどまでの熱量はどこへ行ったと言わんばかりに、二人の会話はコロコロと変わった。

3 奇跡不干渉体質

 本の匂いと仄かな木の香りが、僅かに開いている窓から流れ込む”涼しい”と表現するしかない、匂いを感じない微風と混ざる空気、やや肌寒い体感温度、ほんのりと薄暗いが丁度良い日陰程の明るさ。気分が落ち着く静かな印象が程よく居心地良い。
 陽葵は斐斗が応接室に来るまで、ソファに腰かけて部屋の雰囲気を堪能していた。
 応接室の扉が開くと、珈琲の香ばしい匂いが他の匂いに勝るのを実感する。

「寒かったら窓閉めようか?」
「大丈夫。ここに来るまでそこそこ暑かったから、丁度いい気持ちかな」
 陽葵は受け皿を持って胸の高さまで上げ、カップの取っ手を摘まむように持ち、ゆっくりと一口飲んだ。
「斐斗君の淹れる珈琲久しぶり。また上手くなった?」
 斐斗は陽葵のように丁寧に飲もうとせず、取っ手を持って一口飲んだ。
「上手いもなにも、いつも淹れてるから何かしらの上達はあるんじゃないか? まあ、無料動画で観たのを見様見真似だけど」

 陽葵は微笑んで返すと、改めて応接室を眺めた。

「ほんと、斐斗君が作る空間は穏やかで精神的に安心して長居できるね。昔からこういうの上手いと思ってたけど、なにかコツとかあるの?」
「そんなものはないよ。単に無駄なモノを置きたくないのと明るすぎるのが嫌いなだけだ。一応、親父の書斎に手を加えてこうなっただけで、まだまだ捨てようと思えばもっと閑散とした殺風景な部屋になる。耀壱が本を残してほしいとごねるから三分の一程残し、後は平祐さん。ああ、美野里さんの旦那さんなんだが、観葉植物好きで部屋に合いそうなのを置いてくれただけ。俺が仕上げたというより、周りの意見でこうなった」
「それも、斐斗君が話してくれる奇跡ってのに関係してるかもしれないね」
「こんなアットホームな奇跡なら大歓迎だ。危険な思いをする必要はないからな」

 陽葵は珈琲をまた一口飲んだ。

 冴木陽葵は奇跡の事を斐斗の説明だけでしか理解が出来ない。それは、陽葵自身の体質が関係しているからである。

【奇跡不干渉体質】
 極々稀に、奇跡が干渉出来ない体質を持つ者が現れる。その確率を組合連中がたたき出した統計上、数十年に一人とされている。
 この体質を持ち得た者は、たとえ危険な土着型の土地へ行ったとしても、なんの影響も及ぼさない。

「……ねえ、さっき来しなに語ってくれた奇跡の話の続き、お願いできない?」
「さっきは気晴らし程度だぞ。君からしたら俺は単なる妄想癖のあるアラサーにしか見えんだろ」
「けど聞いてて楽しい。斐斗君が語ってくれるあなたの仕事の世界って、私が逆立ちしても、世界がひっくり返えっても見る事も感じる事も出来ない世界の話だから。まあ、そんな奇想天外な出来事に向かって、必死に考えて解決の糸口を探している貴方に対しては、興味本位で聞くのは不謹慎なんだけどね」

 若干の呆れた表情を斐斗は浮かべ、一呼吸置いて表情を戻した。

「けどもう殆ど話したぞ。昔の話って言っても何を話して何を話してないか覚えてないし……」
「今受け持ってる仕事とかはないの? 未解決でも面白そうだし」
 丁度、四つの仕事をかけ持っている。
「陽葵は奇跡の話を聞くタイミングを見計らって来てるのか? 今四つの案件が同時に発生中だ。正直、考える事が多くて頭が痛いよ」
「聞きたい。斐斗君が頭を痛める話なんて面白そう」
 斐斗は珈琲を一口飲んで息を吐いてから語った。

 まず話したのは、夏澄を追っている黒い存在についての話から語った。
 この話は才能型の力がある人物の犯行だと分かるが、動機と方法かがまるで分からない。しかし解決の手段がないわけではなく、その一つとして夏澄にはいざという時は千堂家に訪れるように言っている。
「どうしてここへ来たら解決できるの?」
 斐斗が解決に至る原因と理由を教えると、それは以前話した力を使用するを判明し、「ああ、そう言う事」と陽葵は呟いた。

 二つ目の話は、あるアパートの大家しか見えない鏡の話。
 その鏡はある部屋の窓を見ると、その場所からでは見えない外の風景が色々と見えるとされる。その部屋に入っても何一つ変わった事はないのだが、その部屋に住んだ人は一年を待たずして部屋を明け渡している。
「それ、ホラー番組でお馴染みの心霊話?」
「いや、部屋を借りた人はこれといって怯えも恐怖もせず、どことなく清々しい雰囲気で引っ越したそうだ。一応ネットでもアパートの心霊話を調べても心霊の話は一つもなかった」
 陽葵は何か考えつつも、残りの話を求めた。

「あとは語るには情報が少なすぎるものだ。退屈でしかない」
 それでも。と、求められた。
「……仕方ない。一つは端的に言えば“見られてる”案件だ」
「見られてるって、物陰からこっそり……と? 清川さんの話に関係するの?」
「いや、全くの別件だろ。これは俺も見られた感覚に陥ったときが何度かある。俺が感じたのは先月後半辺りから、組合の連中もこの件に関する情報が集まって現在捜索中なんだとか。これだけで、なんの変化も進展もない」
「それだけ聞くと、水面下で何か企ててる途中って感じね」
「かもしれん。が、何か起きない事を願うよ。あと一つはこの件と同じで調査中案件だが、一時的に記憶を無くすらしい。無くなる期間は、まあ、一分以内の出来事だと知らされてる」
「らしい? って、斐斗君は調べてないの?」
「一応、現段階で入った情報を教えられた状態だからな。頭の片隅にでも留めて、こっちはこっちで調べてくれと。やれやれだ、他にも細かな案件があるのにざっとしてる」

 眉間に皺の寄る斐斗に反し、陽葵は喜んで見える。

「でも不思議ね」
「嬉しそうだな。何がだ?」
「話を聞いていても、普通の人間の職場の社員みたいで。なんだろうね。
 “普通”って枠からはみ出た存在や現象って、素直に怖いとか変だとか、捉え方次第で楽しかったり嬉しかったり。滅多に遭遇しないマイノリティな存在だから稀少で尊いと思える。
 けどそこに『現代社会同様の在り方に収まる』と、なんだか不思議なものが不思議でなくなってしまう。
 極々普通の一般人代表から見ると、起きてる現象があまりにも奇想天外すぎるのに、貴方はそれをちゃんと調べて解決してる。私は一切手出しも干渉も出来ない世界を、当たり前のように受け止めて対処しているのは不思議だなって」
「そんな夢のあるもんじゃない。生まれた場所がこんな奇想天外な世界と干渉する所で、たまたま俺はこの役を担う側だっただけだ。それに、正直命がけでもある。見当違いの考察をし、間違った選択をすると自分か、誰かの命を落としかねない。どれだけ普通の生活を望んだか分からない。そんな状況だけどそれなりに裕福で充実はしているのが未だに妙な気分でもある」
「それが出来るだけ最高よ。多分、普通であれ異質であれ、誰だって苦労し、努力し、選択していかなきゃ裕福で充実なんて難しいもの。自身の想いや物事の受け取り方次第で、同等の豊かさだって幸福と捉える人もいれば不幸と嘆く人もいるんだから」

 陽葵は何かを悟ったような事を時々口にする。それは、彼女自身の生き様から言葉となって発せられる。しかし、奇跡不干渉体質の彼女の言葉が、斐斗の頭の中でグチャグチャに絡んだ問題の糸を、解して整理しやすくした。
 何かを閃き、しばらく陽葵との会話を中断した。

 最中、買い物へ出かけていた広沢一家が帰宅した。

「あー、ひなたおねぇちゃんだぁ」
 真鳳の声を合図に、凰太郎が陽葵の元へ、続いて真鳳が駆けてしがみ付いた。
「こら真鳳、凰太郎。お客さんだぞ」
 広沢平祐と美野里は双子に注意し、斐斗はそれでも離れようとしない二人に言った。
「真鳳、凰太郎、こんど出張に行く時に土産がいらないならそのままでいるんだ」
 見事食べ物でつられた双子は、すぐさま離れて、斐斗に向かって渾身の「いーやー」の叫びをぶつけた。
「冴木さん、今丁度和菓子買って来たの、一緒に食べませんか?」美野里が訊いた。
「いえ、偶然斐斗君と出会って珈琲をよばれただけですので」
「でもついでですし、皆で食べませんか?」
 美野里に続いて真鳳と凰太郎は「たーべーよー」と駄々をこねられた。双子の願いに負けた陽葵は”御呼ばれ”する運びとなった。

 陽葵の合意を得た双子は斐斗に向かい、陽葵の隣で食べていいか確認した。
 双子に続いて陽葵にもお願いされた斐斗は、ため息交じりの了承を下した。

4 次ぎしたら

 夜七時。耀壱が帰宅して自室へ向かう途中、階段から降りてきた斐斗とばったり会った。

「ただいま」
「おう。……一つ訊くが」
 耀壱は何を聞かれるか想像がつき、必死に本心を隠した。
「――何?」
「陽葵に何か言っただろ」

 鋭く予想を射抜かれたが、必死に惚けた。

「なんの話?」表情にも声にも無理がある。
「安心しろ、怒ってない。むしろ面倒な仕事が一つ解決しそうだ」
 耀壱から安堵の息が漏れ、緊張が解けた。
「ほんと? 良かったぁ。斐斗兄が怒ったらどうしようって思って――」
「やっぱりお前だったんだな」

 耀壱は見事に騙されたことに気づき、声も思考も止まった。

「陽葵の偶然か、お前か、叶斗か、広沢夫妻か。今日、彼女と再会した理由を考えてみたが、その四つの可能性しかなかった。が、まあ、こうも簡単に犯人が現れてくれるとは思わなかった」
「――ま、まあ待ってよ。僕だって一応陽葵さんに“する”“しない”の確認は……」
「とって当然だ。彼女もそこまで誰かの戯れに乗るほど軽率じゃない。言ったろ、別に怒ってないって」
 またも緊張が解れて深いため息が漏れた。
「驚かさないでよ」
「驚かされたのはこっちだけどな」
「で? 陽葵さんと良い感じになれた?」

 もう、表情から斐斗と陽葵が付き合う事を望んでいるのが手に取るように分かる。

「世間話だけだ。後は皆でお茶して終了。残念だが、彼女との会話で仕事を解決する糸口が見つかっただけだ」
「えー、なんで付き合おうとしないの? 傍から見てもいい恋人同士に見えるし」
「そんな単純な問題じゃないんだよ。これに懲りたらこんな真似はするな。今日は進展があったから許すが、次やったら説教だ」

 耀壱は何も言い返せなかった。しかし、こうなる事は想定しており、彼の中でも、ここにはいない夏澄の中にも、『諦める』の選択肢は現れていなかった。

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