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【長編】奇しい世界・四話 気忙しい十月(2/3)

1 語り・荒沢雄三

 硝子窓が鏡に変わったのに気付いたのは二か月ぐらい前です。

 元々あの“小窓”には……、なんでしょう……こういうのも変ですけど、違和感がありました。変な事言ってますよね、硝子窓に違和感って何だ? みたいな。けど、何か分からない違和感みたいなのは元からありました。

 え? いつ違和感に……って? そうですねぇ。言われてみれば明確な日数は分かりませんが、結構前からです。僕があのアパートの管理人になって、もう十七年ですから、その数年、いや、もう少し早いかな? 約十五年ぐらいと思っていただけましたら。

 うちは先ほどお聞きになられたような、いわく付きのアパートではありませんし、あの近辺で凄惨な事件も事故もありません。平凡で長閑な所です。

 窓硝子の場所? えっと……、三階の三〇一号室の一番階段側の窓です。はい、台所に備えた小窓です。異変に気付くまでは単なる四角い小窓ですよ。何の変哲もありません。一応、格子はしています。

 どの家もそうなんですが、通路側に面してる小窓などは格子をしていて外から入れないようにはしています。異常者ってああいった窓を壊してでも入ってきますでしょ。うちのアパートって一人暮らしの学生さんとか、単身赴任で利用する方とかもいらっしゃいますし。

 窓が鏡になってようやくおかしいと確信したんです。しかも変わった映り方しますし。
 変わってる部分は主に背景ですかね。一応、僕がその鏡を見た時、僕自体はちゃんと映ってました。どこも変わりなくです。けど、背景は全くの別物。最初に見た時は海に面した所じゃないのに海が見える所だったり、翌日に見たら川沿いだったりです。

 相談しようにも僕以外誰も見えてないっていうし、偶然テレビで都市伝説の番組やってて、しかも怪しい鏡のネタで。どうにもこうにも怖くて怖くて。そしたら、ひと月ほど前ですかね、五十嵐君が千堂さんの事を教えてくれて、地獄に仏と思っております。
 怖い事に巻き込んでしまって居たたまれないのですが、どうか、解決して頂けないでしょうか。

 え? 三〇一号室ですか? あ、はい。今は誰も住んでいません。……あ、そういえば、あの部屋は誰が借りても一年待たずに引っ越す事が多い部屋ですね。僕も一年以上住んでる人を見たことはありません。

 ああいえ、初めに言ったようにあの部屋でもアパート近辺でも、流血沙汰や警察沙汰のような事件も事故もありませんので。あの部屋の住人は何かしらの事情で出て行ったものばかりです。

 僕も人をよく見てるから、何かあった人とかは大体表情で分かりますけど、あの部屋の人は特にこれといった問題が原因で出て行った様子はありませんね。むしろ気持ちよさそうでしたよ。

 あ、そうですか。では後日、宜しくお願い致します。

2 変化の起きない奇妙な部屋

「もしもし斐斗兄、何?」
 荒沢雄三の話を聞いた斐斗は、依頼者を紹介した耀壱に電話をかけた。

 十月六日午後十二時二十分。コンビニで購入した菓子パンとアイスコーヒーを食しながら、道路沿いの噴水広場にあるベンチに座っている。
 この広場ではダンス練習に励んでいる若者や、数人で集まってゲームをしたりただただ話に花を咲かせている者達の集まる場でありもする。しかし今日は斐斗にとって運が良い事に、人は少なく騒がしくもない。

「ああ、お前に紹介された人の事だが、お前今どこにいるんだ?」
「今? えー…………一応、琵琶湖前」
 琵琶湖前といっても範囲が広すぎる。斐斗は場所の詳細を聞くのを止めた。
「取材か何かか?」

 耀壱は小説を書いている。そのように斐斗は客人に説明はするが、詳細は小説や記事のWeb投稿と、ソーシャルワークだと聞かされている。どんな小説を書き、どういう繋がりがあるか分からないが、それで生計がたてられているから斐斗は深く追及しない。

 理由は、ネット界隈の知識が疎く、説明を受けても理解できない。そして、聞く気も失せている。

「まあ、そんなところ。あと仲間と打ち合わせ。荒沢さんと話出来た?」
「ああ。今から現場を見に行くが、その前にお前にいくつか訊こうと思ってな。まず、どうやって知り合った?」
「えっと、会ったのは居酒屋。友達の親戚みたいで、偶然出会って三人で飲んで話して盛り上がって――」

 なぜ他人とすぐに仲良くなれるのか。耀壱を凄いと思える取柄の一つである。

「何日か後に街中で会って、お互い暇だったから喫茶店に行って話した」
「いきなり問題の部屋の話をか?」
「まさか。色々雑談した流れで怖い話になって。時期的にも夏だったし、それで。で、僕が前に叶斗と行った心霊スポットの話して、そしたら荒沢さんが話してくれたんだ。一応、別の日だけど僕もその三〇一号室には行ってみたよ」
「お前から見てどうだった?」
「別に、普通。居住者もいないから部屋にも入ったけど、やっぱり普通。荒沢さんは窓がどっかの河川の風景を映してるって言ってたけど見えなかったし、どうにも出来ないから斐斗兄を紹介したんだ。半信半疑そうだったから、そっちに行くか心配だったけど」

(それで約一か月経って俺の所に、か……)「そうならそうと俺に直接言え」

「だって、そっちはそっちで仕事忙しそうだったし、こっちもこっちで投稿時期迫ってて忙しかったし」

 荒沢雄三が千堂宅に来訪した時、インターホンを鳴らさずに家の前をウロウロしていた。斐斗の力への疑いと、奇妙な話を受け入れてくれるかの不安からであった。そこへ買い物帰りの斐斗と出会った。
 荒沢雄三の挙動不審な来訪は耀壱に話さないでいた。

「荒沢さん本人からは、アパートやその周辺で長年凄惨な事件事故は無いと言ってたが、お前はあの近辺の情報を知ってるか?」
「特に何も。一応簡単に僕も調べたけど、全くと言っていい程何もない。ただ、何かのホラー特番か映画か何かの舞台でアパートは使われたってのは聞いたけど」

 心霊や怨霊界隈に詳しい者が見れば、何かがいると言いそうな話ではあるが、撮影をして何かを引き寄せたにしても、個人の視覚認識に影響を及ぼすとは考えにくい。元々ある力が作用したなら考えやすいが、それでも発生している奇跡があまりにも突拍子すぎる。なにより情報が足りない。
 斐斗は耀壱との電話を切り、一気にコーヒーを飲んで荒沢のいるアパートへ向かった。


 夕方、蜩の鳴き声が、残暑厳しい昼間の鬱蒼とした空気を変化させるかの如く耳に心地よく、薄茜色に染まった午後五時の町並みはさらに際立たせた。
 まだ長袖は必要ないものの、若干涼しく感じる気候が秋の訪れを感じさせる帰り道。謎を解く糸口すら見つからない斐斗は、清々しい雰囲気すら堪能できないでいた。

 荒沢雄三の話にある三〇一号室へ行き、何度も件の窓を調べ、夕方まで一人部屋に籠って様子を眺めていた斐斗であったが、一向に窓は変化を見せず、かといって自身の身体に変化が起きたかといっても特にそれはない。しかし雄三は窓からどこかの雄大な山が映し出されていると主張した。

 雄三にしか変化を見せない鏡の窓。変化のない三〇一号室。

 斐斗は暫く三〇一号室に出入りする志を告げた。期間は問題解決か、次の居住者が見つかるまでを条件に。尚、問題解決料は家賃替わりとして全額免除となった。とはいえ、ガス、水道、電気が通さない。『居住』を目的ではなく、文字通り『部屋を借りる』であった。


「へぇ~、斐斗兄にも分かんない事あるんだ」
 五日後、滋賀から帰宅した耀壱は斐斗に三〇一号室の現在の状況を聞いた。
 応接室のソファに座り、斐斗はホットコーヒーを一口飲んだ。耀壱も飲んでいるが、斐斗はブラックで耀壱は砂糖とミルク多めで、ほぼカフェオレである。

「分からん事だらけだ。今回の件だけじゃない、殆どの奇跡絡みの問題全てな。お前は俺がなんでも分かる奴だと思うか?」
 耀壱は無邪気な笑顔を向けて頷いた。それをされると斐斗は何も言い返せなくなり、溜息を吐いてまたコーヒーを飲んだ。

「なんも反応ないんだったら、レンギョウさんに聞いてみたら?」
「別件で忙しいらしい。来年まで会えないと聞いた」
「じゃあ、陽葵さんとかは?」
「なぜ陽葵が出てくる。却下だ」

 耀壱は何気ない表情でありながらもジッと斐斗を見た。その視線を感じた斐斗は訝し気な眼で耀壱を見返した。

「――なんだその目は」
「斐斗兄、陽葵さんと付き合ってるんだよね」
「付き合ってない!」語気が強い。「お前はどこでそう思ったんだ」
「いいじゃん陽葵さん。美人だし清楚系全開だし、なんか会話のネタも雰囲気も今じゃ滅多にいないぐらいの良い人じゃん。斐斗兄と話してる時、傍から見てて”ベストカップル”通り越して”ベスト夫婦”に見えるし」
「だからと言って陽葵を巻き込んでどうする。奇跡が反応しない場所に輪をかけて反応しなくなるだろ」
「だって、斐斗兄の話だと、その部屋で生活してた人が数か月で出て行っだんだろ? しかもいい感じで。だったらいっそ、部屋借りて陽葵さんと一緒に住んで、奇跡起きたと同時に結婚式でいいじゃん。俺気にしないよ、陽葵さんと一緒に居ても。美野里さんがいる感覚と同じだと思えばいいし――」

 耀壱の話が止まらず、斐斗は手の平を耀壱に向けた。

「待て待て待て待て。展開が早すぎだ。どうして付き合ってすらおらん奴とすぐ結婚だ? 俺の事よりお前の結婚相手の事を考えろ」

 反論するも、耀壱の提案に一筋の光明を見つけ、真剣に考える素振りを表した。

「どしたの?」
「ん? 陽葵は関係ないが、あの部屋を借りて生活は考えてなかったと思ってな?」
 なにやら呟きながら斐斗は今後どう行動するかを思考してまとめていた

 最中、「……陽葵さんは?」と、耀壱が訊くと、「呼ばん! しつこいぞ!」と、怒鳴られた。
 耀壱が頬を膨らせて不貞腐れていると、斐斗は即行動に移そうと部屋の入り口へ向かった。

 ドアノブに手を掛けた斐斗は、振り返って人差指を立てて念押した。
「いいか、絶対陽葵に連絡するなよ」
「しないよ。しないけど、こんなチャンス滅多に――」
「――不必要なチャンスだ」
 強く念押され、斐斗は部屋を出た。

3 一人暮らしについて、それぞれの意見

 十月十一日。問題の部屋を借りて五日が経った。

 何かの用事で立ち寄ったり、素泊まりのように泊まったりする程度の部屋なので、水道、電気料金は払うものの、雄三と相談して家賃は半額で決まった。
 斐斗は昼から夕方、もしくは夕方から朝までとアパートで過ごす。一度、丸一日過ごす時もある。
 この日も特に変わったところはなく終了して帰宅した。

 翌日午前八時半。耀壱から事情を聞いたであろう叶斗が顔を出しに来た。斐斗は一晩この部屋で泊っていた。

「へ~。兄貴、仕事の為に部屋借りたりすんだ」
「条件付きだ。一年以内で、もし次借りたい人が現れたら即退去。殆ど素泊まり状態だから電気水道代のみ払って、家賃も半額。格安だけど食う物は家かコンビニかスーパーの弁当」
「真面目だなぁ。もっとツレとか読んで酒飲んだり、部屋で色々したらいいのに。せっかくの一人暮らしなんだから。ってか、陽葵さん呼んで一緒に住めばいいじゃん」

 立て続けに冴木陽葵の名前が挙がると、耀壱と叶斗は結託して何かを企んでいると考えてしまう。

「お前らなぁ。どうして揃いも揃って彼女を巻き込もうとする」
「その言い方、俺と耀壱が結託してるみたいに言うなよ。あいつはなんやかんやでしつこいから兄貴もイラついてんだろうけどさ。俺はもっと直球でシンプルだぜ」
「なんだ?」
「この部屋で子供作れよ」

 直球すぎて、ただ付き合ってほしいと願う耀壱がかわいらしく思える。

「――やかましいわ!」
「だってよぉ。こんな最適な場所活用しないなんて勿体ないだろ。まあ、兄貴がそうしないでも、陽葵さんをほったらかしってのはどうかと思うぜ」
「うるさい。お前、彼女が巻き込まれたらどうなるか分かってるのか」
「考えすぎだって。陽葵さんに何かあったとして、最悪事故死だろ。そんなん、一般人だって起こりえる話だろ」
「俺と一緒にいるとその危険度が増すんだぞ」

 叶斗は面倒くさくなりながら頭を掻いた。

「それ、兄貴の一方的な意見だろ? 陽葵さんはどうしたいか訊いたのか?」
「聞く必要はない」

 いよいよ呆れて物も言えないと抱いた叶斗は、溜息をもらし、「帰るわ」と言って玄関へ向かった。

「おい叶斗」
「んあ?」靴を履き終えて振り返った。
「余計な事はするなよ」
「暇じゃねぇんだよ。するかんなもん」
 少し苛立ちを露にして部屋を出ていった。
 その日はそれ以上何も起きず、斐斗は帰った。

 一週間後、この日は岡部が部屋へ訪ねてきた。

 インターホンが鳴り、斐斗が玄関のドアを開けると笑顔の岡部に何気ないといった表情を向けた。
「……へ? 中へ入れてくれんのか?」
「――なんで岡部さんが来るんですか?」

 すかさず訊くも、岡部は強引にでも中へ入ろうとした。斐斗も勢いに対抗することなくあっさりと中へ入れた。

「いやいやいや、斐斗が一人暮らしするって聞いたんでな。こりゃ、見に来るしかないだろうと思って」
「俺もう三十ですよ。それに、しっかりした一人暮らしじゃなく、仕事で」
 岡部は床に並べられた資料を見た。
「仕事で借りた部屋で仕事か? 真面目かお前は。こういう時は好きな女連れて、嬉し恥ずかしの同居生活に洒落込むもんだろ」
「なんですかその表現。女は関係ないとして、仕事は仕方ないでしょ。そっちから、こまごまとしたもんを押し付けてくるんですから」

 岡部は胡坐を掻き、資料を眺めていると、斐斗は冷蔵庫から出したペットボトルのオレンジジュースを傍に置いた。自分はアイスティである。

「……んん! やっぱり現世のもんは何もかも美味いな。それはそうと、この部屋の問題、解決出来そうか?」
 頭を左右に振られ、出来ない意志が示された。
「全くですよ。どうして大家さんしか見えなくて、居住者が一年以内に明け渡すか。何かしら変化が起きれば、それなりに考察の余地はあるんですが、それが全く無い。害もないから、このまま何も見つからなかったらそのままにしとこうかなとも考えてますよ。そっちではどう考えてるんですか?」
「へ? ……ああ」

 聞いていなかったかのような反応だったが、指摘した所で岡部は直さないだろうと思い、なにも言わなかった。

「お前の判断に任せるとさ。一応、こっちでも大した変化が示されてないからな。それよりも他の現象の方が面倒でな」

 夏澄の誰かに追跡されてる件。
 誰かに見られている件。
 一時的な記憶が無くなる件。
 今、斐斗が思いつくのはこの三つであった。しかし岡部からは別の問題が告げられた。

「その現象に巻き込まれた人間は、別の空間に行ってしまうんだ。それこそ、ワシとお前が喫茶店で経験したような風にな」
 喫茶店の奇跡は、結果として蓄音機辿って来た歴史が現象型奇跡として投影されたものである。
「じゃあ、また何かの投影?」
「と、思ったんだが、起きるのは同時多発だったり、そうでなかったり。だけどそこかしこで起きてるから、喫茶店とは別の問題だろ」
「そんな別場所で連続して起きるって事は、現象型か才能型?」
「多分な。そんで、体験した人間の話によれば、……あー、ほら、ファンタジー系のアニメとか漫画とかであるだろ。ドア開けたら全く別の空間みたいなやつ」

 斐斗が思いついたのは、ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』であった。

「興奮して体験したのを語ると、数時間後に忘れてしまう。何を意図するものか、まるで分からんのよ」
 また面倒な問題が増え、斐斗は腕組み中の右手で頭を抱えた。
「なあ斐斗。お前のリバースライターをな、面倒事に使ったら、問答無用で奇跡解消するような進化を遂げれないのか?」
「出来る訳ないでしょ。出来たらとっくにしてますし、大昔から引き継がれ続けてるのに進化しないんだから、しないんですよ」

 声量がやや大きいのは、苛立っている証拠。
 岡部は危機を察し、オレンジジュースを一気に飲み干して立ち上がった。

「じゃあ、これでワシは帰るけどな、また詳細が分かったら報せに来るわ。お前は今ある問題だけ専念しろよ」
 声に出すことすら面倒な斐斗は、左手を揺らして岡部を見送った。

 空のペットボトルが置かれ、岡部が退出して玄関のドアが閉まると、斐斗は深い溜息を吐いた。
 なぜこうも仕事が頻発するのか分からないが、一応纏めようと思い、帰りに雑貨屋へ寄って資料整理用の道具を揃えようと考えた。

4 双方に変化

 翌日、千堂家の自室で目覚めた斐斗は、昨日偶然再会した陽葵の言っていた言葉を頭の中で反芻した。

『同等の豊かさだって幸福と捉える人もいれば不幸と嘆く人もいるんだから』

 この言葉を彼女から聞いた時、アパートの件を解決できるキーワードだと直感した。それは、部屋を借りた人達が、何かしらの出来事が起こり、それを幸福に近づけるための試練か何かだと捉えたから。と思考した。
 しかし目覚めてから、あまりに無理があると思い、なぜあの時にこの言葉がキーワードとなったか不思議に思った。

 目覚めても暫く茫然と天井を眺めていると、スマホが振動し、画面を見ると叶斗からの電話であった。
 先日、あんな言い合いをしたのに、叶斗から連絡が来るなんて珍しかった。いつもなら斐斗が話しかけて仲直りするのだが。

「あ、兄貴。起きてる?」
「なんだ朝早くに。珍しい」
 午前七時半の電話。朝が苦手な叶斗が電話するのには、それなりの理由があるのだと思われる。
「悪(わり)ぃな。ちょい前から大会近いんで朝早いんだわ。んな事より、前に話した件、いつ解決出来そう?」

 以前、神社の一件後、偶然夏澄と喫茶店で会った時、叶斗が斐斗に相談してきた奇跡の話である。それは、斐斗が受け持っている記憶を無くす件と類似していて、同時進行で調べている。

「まだ掛かる。結構色んな問題抱えてんだぞ。急いでるのか?」
「一応、仲間内の問題だから気になって」
「だったらこの前アパート来た時に聞けよ。こんな朝早くにわざわざ――」
「アパート? 何の事だ?」

 叶斗の反応に、斐斗はしっかりと目が覚めた。

「は? お前この前俺が借りてるアパートに来て……」
「あ? 兄貴一人暮らし始めたのか? つーか、さっきも言ったけど、俺は大会近いから色々忙しいんだよ。兄貴の一人暮らしなんか知るか。ってか、陽葵さんでも呼ぶのか?」
「どうしてそこで陽葵が」
「いいじゃん。実家は大所帯だから別居場所作って本命と一緒もいいじゃん。俺は応援するぜ」
「飛躍する――」
「悪ぃ、時間がねぇから切るわ」

 言ってすぐ、叶斗は電話を切った。

“なぜ、叶斗はアパートの事を覚えてない?”

 胸の内から妙な昂りを感じつつ、斐斗は朝の支度にとりかかった。
 歯を磨き、朝食を広沢一家と取っていると、インターホンが鳴り響いた。
 美野里が出迎えると、相手は岡部であった。

 斐斗は叶斗の事を思いつつ、岡部は関係ないだろうと思い、応接室へ案内した。
 開口一番、昨日アパートへ来た事を尋ねた。

「は? お前、一人暮らしでも始めたのか?」
 美野里が運んできた麦茶を飲むと、顔をニヤつかせた。
「ああ、そういう事か」
 いやな予感しかしない。
「こんな大所帯で女連れ込む訳にはいかんもんな。ワシはいいと思うぞ」

 なぜこうも同じ反応ばかりされるのか不思議でない。もしや、“自分の見ていない所で、叶斗は岡部に教育を受けているのでは?”と、斐斗は疑念を抱くほどだった。

「違います」即答した。「昨日、岡部さんが例のアパートに訪ねてきて、今抱えてる案件以外の、前に俺たちが遭遇した別の世界へ行くような奇跡が頻発しているって話、してたじゃないですか」
「お前誰から聞いた!? それを話しに来たんだけどな」

 解決の糸口となる要因を得たと感じた。
 斐斗の中で、色んな情報と考察できる可能性とが浮かんで混ざり、思考が興奮しているかの如く、脳が平常時より熱を帯びている感じがする。
 こんな事では真っ当な整理が出来ないと思い、要件を済ませた岡部を見送ると、珈琲を淹れて思考を落ち着かせ、整理した。


 午後二時。アパートへ訪れた斐斗は、リビングからキッチンの小窓の方を向いた。
 これから解決に当たろうとするも、誰もいない所で話すのは、独り言が激しい危険人物な気がして仕方なかった。
 仄かな羞恥から顔が熱くなりつつも、小窓が人であるように無理やり思い込んで語った。

「ようやく分かった。この部屋の奇跡は、居住者へ切っ掛けを与えるものだと。
 ”お前”は居住者の思考を数日かけて読み取り、適した人物を登場させ、もしくは現象を起こし、人生を前向きに進めようとする。
 その影響は部屋を出た後も余韻のように続き、元居住者が幸福に至る選択を示して選ばせる。甘やかすのではなく、前向きな選択だ。それが些細な争いを招いても、心的に負担がのしかかるような選択であっても。
 お前は未来を見据え、元居住者が望む希望へ繋げる存在だ」

 自らの考察を語り終え、右手を構え、リバースライターを発動しようとした時、どうもしっくりとしない感覚に襲われた。

(……なんだ? 違う気が……)

『ピーンポーン……』突然、インターホンが鳴った。

 さっきの独り言を聞かれていたのかもしれない、と思いつつ、斐斗はそそくさとドアの鍵を開けた。

「こんにちは。斐斗君」
 そこには穏やかな表情の陽葵がいた。


 ――同時刻。斐斗の知らない所で、もう一つの案件が進展を迎えた。

 仕事休みの夏澄は、買い物の帰りにコンビニに立ち寄って女性誌を立ち読みしていた。すると、不意に視線を感じ、窓の外を見ると、自分を付けていた”黒いなにか”が、道路を挟んで向かいに佇んでいた。よく見ると、両目が点いているのがはっきりと分かる。

 恐怖のあまり、全身に寒気が走って鳥肌が立つ夏澄は、更なる変化を目の当たりにした。
 黒いなにかが、走行車に関係なく道路を渡り始めたのだ。

“このままだとすぐに捕まってしまう”

 直感した夏澄は、雑誌を戻し、足早にコンビニを出た。

『――この家に来い。――とにかく、家に来い』

 斐斗の言葉を信じ、夏澄は、千堂家へ向かった。

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