【短編】 星空とバス停
○ バス停の夢
”そいつ”を見たのはその夜が初めてじゃなかった。今晩で十日目。連続して十日じゃなく、一日か二日置いてそいつは海の見える道路沿い、T字路の突き当りにあるバス停に座って海を眺めていた。
そいつを見るのはいつも星が空一面に散りばめられて輝く夜だった。不思議なのは、いつも新月なのに満月の時のように風景の輪郭が分かる程明るく、真夏なのだが微かに涼しい。
夜の光景はいつも俺がそいつの後ろ姿を眺めている光景ばかり。
夢だというのはいつも気付いている。
誰だって思う事だ。毎回毎回、同じ星空の下で同じ光景だし、一月の間に十回も。
夢以外の何ものでもない。
なんでこの光景を見続けるのか、全然分からない。
心地よい感じはするけど、疑問ばかりでモヤモヤが消えないから心の底から気持ち良くは思えない。
そのモヤモヤも、どこか、胸が締め付けられるような時がさざ波のように、ゆっくり来て、すぐに引いて、しばらくして寄せてくる。そんな気持ちも混ざっている。
本心じゃあ、そのモヤモヤの真相を知りたいと思うし、”知らなければならない”っていう気にもなる。
正直言って、訳が分からない状態だった。けどそんな思いも十八日目にして変化が起きた。
1 夜空の夢
オウスケは十七歳の夏休みに不思議な経験をした。それは、端的に言うなら『空を眺めている』というものだった。
ただ熱中症で呆然となった頭でとった無意識の行動からくるものではない。そして、空も夕方から夜にかけてである。
夕陽が水平線に沈み、暮れなずんだ空の色合いが薄紫から群青、そして暗くなると、次第に夜空に散りばめられたように星が見え、月もないのに満月程に明るくて懐中電灯がいらない。そんな夜空の光景を。
家に帰った記憶も、夕食を食べた記憶も、風呂に入った記憶も、布団に入った記憶も何もない。
突然場面が変わる、ドラマや映画のような場面変更、まさしくその現象だった。
オウスケはその場面になるといつも星空を眺めている。
気持ちはいつも落ち着いている。翌日の予定すら思い出す余地がなく、家で何をしていたかを思い出そうという気も起きない。
余計な思考が働かず、純粋に星空の光景と向き合えた。だからだろう、星空を飽きずに眺めれたのである。
気持ちも溶け込んでいるようで、夢の世界のようであった。
ふと、何の前触れも無く正気に戻ると、自室の布団の中で眠っていた。服は前日の夕方まで着ていたものと違い、脱衣所に行くと服と下着は籠の中に入っている。
その時までは忘れていた記憶も次第に思い出され、帰宅、夕食、入浴、夜のテレビ番組で何を観たかまで、全て蘇る。
こんな状態が終業式から何度も起きている。
両親に相談すると笑われると察し、病院へ行くのも気が引けるオウスケの頭が導き出した答えは、”オカルト好きの友達に相談してみる”であった。
2 解決策・祈願
「お前、水子の霊に憑かれてんじゃねぇのか?」友達のヒロトは言った。
夢に出るバス停はオウスケの近所にあり、近くでは有名な怪談話がある。
怪談話にストーリー性はない。ただ、海で亡くなった人達が現れて生きてる人間を海に引きずり込んで仲間にしようというものだ。
死者の時代設定も幅広く、古くは戦時中の幽霊から、新しいのは数年前に事故で亡くなった人の幽霊までだ。
オウスケはしっくりこなかった。
もし幽霊が自分を仲間にしようとするなら、あんな心地の良い光景を見せる理由がまるで分らない。だがこうも考えられる、存分に堪能させてから浜辺の光景に変わり、やがては海に引きずり込むのだと。
考えると怖くなったオウスケは、ヒロトに解決策を聞いた。
正解かどうか分からないが、同じ地域にある地元では有名な神社と寺にそれぞれ赴き、『私に憑いてる水子の霊よ、離れてください』と祈るだけの、至ってシンプルなものだった。
賽銭金額は五十円以上と、財布には微々たる苦痛を与える金額までなぜか指定されている。
こんな細かい設定までなされているが、誰がそんなことを言い出したかオウスケは疑問を抱くも、背に腹は代えられず、やらないよりかはマシだと決行した。
神社と寺は居住地域の地図の端から端と離れていて、行くのは面倒だったが、これで解決するというならオウスケにとっては苦ではなかった。
祈願の事しか頭になく無我夢中で自転車をこいで突き進んだのは心情の表れであった。
(私に憑いてる水子の霊よ、離れてください!)
ヒロトに言われたとおりの言葉を必死に心の中で叫ぶ。一人称が”俺”ではなく”私”となっているのは、それほど気が気でないからであった。
ヒロトに言われた解決策を無事に終えるも、まるで手応えのようなものを感じない。
夏の夜のホラー特番だと憑き物が成仏したら気分的に解放された感覚に陥るらしいが、オウスケにそれはなかった。
合唱する蝉の雑音。
肌を焼くほどに刺激的な日差し。
まとわりついて離れない熱気。
『解放される』なんて言葉に不釣り合いな、眉間に皺を寄せるほど鬱陶しい、いつもの真夏日の環境。なんの変化も感じられなかった。
だけどこの祈願は効果を発揮したのか、その日と翌日は”星空のバス停の夢”へと行かなかった。
まるで解決に手応えがなく釈然としないオウスケだが、それはそれで万事解決とばかりに、引き続き夏休みを堪能した。
しかし三日目の夜、再びその場へオウスケは訪れた。やはり気持ちは星空の光景に惹きつけられる。
翌朝正気に戻ってようやく祈願巡りは無駄だと分かると、賽銭の無駄遣いを悔やみつつ、どうやったら解決できるかと悩んだ。
3 謎の青年
八月十日になり、オウスケも【星空のバス停現象】には慣れた。この呼称はオウスケが勝手につけたものである。
正確な数をオウスケは把握していないが、すでに十回はこえている。
体調不良も取り憑かれた間隔も、それ以外の変化もないのだから、水子の霊という怪談も違うのだろうと判断した。恐怖も薄れたので祈願をする気も完全に失せている。
とはいえ、【星空のバス停現象】が起きている理由は不明のままだ。
八月十四日、この日、星空のバス停現象に異変が起きた。異変といってもオウスケが”少し動けた”くらいである。
”少し動けた”といっても単純な、何かに気付いて振り返るだけだった。
バス停の椅子に腰かけていたオウスケは、何かに気付いて振り返った。すると、視線の先にオウスケと同じ年頃の青年が、じっとオウスケを見ていた。
雰囲気は不気味というより、友達が突然現れて自分を見ている感覚。
どこか懐かしいようだからまるで怖くない。 ただ、じっと見ていると、心の奥で何かを失ったような空虚な感覚が襲い、切ない気持ちが胸の奥を支配した。
ふと、オウスケの目に涙が溜まり、何かを思い出し、涙が零れると同時にその人物の名前も口から零れた。
その名をオウスケは知らない。ただ、相手も同様に涙を零し、オウスケに向かって名前を呼んだ。
しかしオウスケはその名を知らない。はずなのだが、あっさりと自身の中にしみ込んだ。
互いに初対面だ。だけど互いに相手の事を知っている。
謎の青年が駆け寄って来た時、オウスケは目を覚ました。
いつも見る自室の天井を眺めていると、夢で昂ぶった感情が沈むのを感じる。
ふと、自分は涙を零していたと気付いた。次第に消えていく余韻の最中、あの青年の事を思い出そうとするも、何もかもを忘れていた。
どうしてあそこまで嬉しくありながらも、切なく胸が締め付けられるような感覚に囚われたのかがまるで分らない。
星空のバス停現象に進展はあったものの、謎は増える一方で一つも解決しない。
八月十五日。本日は夏祭りだが、オウスケの心境は泣ける映画を観た後のような、切なく虚しいものであった。
できる事なら、祭りを友達と堪能したいから星空のバス停現象が起きないことを願うのみであった。
○ 夢の真相
そいつと目が合った時、俺はようやく思い出せた。
俺は、『リョウタ』とはまぎれもない親友だった。
夏休み、初めて会ってから五分経たずにすぐ仲良くなり、夏休みはいつも一緒だった。
海へ行った。
釣りもした。
花火もして祭りにも行った。
たった一度の夏休みを謳歌した俺とリョウタだったが、夏休みの最終日、リョウタは家族と買い物に行って事故に遭い家族共々亡くなった。
俺の中からリョウタと過ごした楽しい思い出だけが残り、未来が途絶えた。
また会う約束まで交わして叶わずじまいで終わった。
俺の中でリョウタの残像だけが残り、声が残り、俺を苦しめた。
恨む相手はいない。なぜなら相手も死んだからだ。
俺は喪失感が拭えないまま高校を卒業し、新しい友達も作り、月日が経って恋人も作り、やがて三児の父となった。
順風満帆ではないものの、どうにかこうにか妻と子供達を養い、子供達も大人になって働いた。
孫も出来た。
職場も無事に定年退職してから畑仕事をしながら何気なく日々を過ごした。
いつの年も、時々リョウタの事を思い出してしまい、老人の今では思い出す頻度も増えた。
最近、物忘れがひどくなったものの……いや、今では残す必要があるのかさえ分からない記憶が剥がれ、今まで忘れていたリョウタとの夏祭りの細かい記憶が鮮明となった。
「流星群って、流れ星が大量に流れる時とお盆が重なったら、あの世の空間が開いて、会いたい奴に会えるんだって」
そうリョウタは言った。
その年に流行った、死者が生き返る映画の影響で考えた話だってことはすぐに分かった。
何年経っても流星群とお盆が会う日はこない。
そんな条件が無くてもいいから、俺は一度でいいからリョウタと会い、他愛ない話でもいいからしたい。
そんな時 にバス停の夢を見た。お盆の近い夏休みの時期。
すでに俺は寝たきりで余命幾ばくもない。
あの光景を見て、光景が消え、また見た。これの繰り返しだが、眼前の青年が振り返ろうとした時、俺は願った。
――リョウタに会いたい!
青年が振り返った時、その姿はまぎれもなくリョウタであった。
俺は喜び駆け寄った。だけど光景が消えた。
久しぶりに目を覚ますと、子供夫婦と孫達が集まって賑わっている。当然俺は起きれないが、声を聞くだけで、賑やかな音を聞くだけで心が落ち着けた。
今晩の祭りの話を孫達がしているのを聞いて、今日が八月十五日だと分かる。
俺は、もう一度あの光景に行きたい。
もうそのまま死んでもいい。
だから、もう一度リョウタと会いたい。
願うと再び目を閉じた。賑やかな声が、音が、遠のいていった。
目を開けると、夜空の星々が全て流れている。不思議なことに星が流れてはまた現れ、流れてはまた現れを繰り返して。
「ユウイチ」
俺を呼ぶ声が聞こえた。
あのバス停には、あの夏祭りの時の服装をしているリョウタがいた。
「早く行こうぜ」
近づいて抱きしめたい気持ちにかられ、俺は走った。
もう戻れなくてもいい、このまま死んでもいい。その一心だった。
リョウタの傍まで行くと、
「わるい、ちょっとごたついて遅れた」
あの日に俺も戻っている。だから抱き着くなんて恥ずかしい事は出来なかった。
「行こうぜ。早くしないと祭りが終わるぞ」
またリョウタと揃って走れた。
そのまま俺が目を覚ますことは、もうなかった。
6 同じ夢を
あの夢は何だったのか分からず、オウスケは悩み続けている。
夏祭りにあの現象が起きた。律儀にオウスケが祭りを楽しんで帰宅し、布団に入った後にだが。
とても沢山の星が流れている夜空であった。
オウスケは前日に夢で出会った青年と仲良く祭りへ向かうところで目を覚ました。
ひどく切ない心境だったのか、目を覚ましても余韻のように涙が流れていた。
あれ以降、あの夢を見ることはなかった。
結局、あれが何だったのかは分からずじまいだが、ヒロト解釈では新種の水子霊説を唱え続けている。
水子の霊に新種があるかどうかと謎に思いつつも、オウスケは気にするのを止めた。
たいした盛り上がりを見せない不思議体験をした夏休みを終え、いよいよ二学期が始まる。
この新学期はオウスケにとって最高に気分が良い日になった。
新学期早々、転校してきた奴と意気投合し、ヒロトと一緒に仲良くなったからである。
転校生はオウスケの家の近くに引っ越してきたため、帰り道は同じだった。
二人があのバス停の前に差し掛かると、転校生は急に立ち止まった。
「どうした?」
「いや、こないだから妙な夢見て、こんなバス停で友達と会ったような変な夢なんだけど」
また謎が増えた。
でも今はそんな些細な怪奇現象が、共通する奇妙な会話のネタでしかなく、二人は盛り上がって帰宅した。
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