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【二十四節気短編・立春】 立春の子

1 奇妙な噺

 立春。読んで字の如く春が立つと申しますか……。暦の上では春の初めとされていますがね、季節は冬の真っただ中だが、もう寒いのなんの。今年の立春は天候に恵まれず、尚の事寒さが増しました。
 一応は二月四日頃とされちゃあいますが、何でも、星周りやらなんやら、ちょいと小難しい法則やらでそうじゃない日もあるとされてます。
 常人が知ろうものなら趣味の領域ですし、ワシなんかのような、大して興味もない凡人が知る必要など更々無くて構わねぇ。だって、カレンダーや新聞見ればすぐ分かる。もう書いてあるんだから。
 節分の翌日ってだけ、知ってればいいんですよ。
 本日お聞かせする話に、立春の成り立ちやら詳細やらは関係の無い話でございます。

 ワシがお聞かせしたい話はですね、ある爺さんの奇妙で心なしか切ない不思議体験の話。
 奇妙な不思議体験が起きるのが立春ってだけで、どうでもいい前振りを長々とお聞かせした次第ですが。
 ん? 真冬に怪談話なんて止めてくれ、余計寒くなるって?
 いやいや、言ったでしょ、奇妙な不思議体験・・・・・・・・って。
 怪談話ってのは、大体は死んだ連中が怨霊とやらになって、復讐やら仲間づくりなんかに励んで人を襲うってもんばかりでしょ? けどこの話は怪談じゃあないんだよ。

 その奇妙な事が起きるのは、何を隠そうその爺さんの家でのことだ。
 何か曰く付きの特別な家なんじゃあって?
 いやいや全然。まあ、それなりに先祖代々伝わる日本家屋の造りだが。
 上り框あって、艶のある木の床で、台所あって、和室、仏間、居間、そんで二階って。何をどうって事もない、その辺にある普通の家だ。
 二階の部屋だって、年頃の学生が、好きな女優やアイドルの写真張ったり、勉強机にゃ参考書や教科書や筆記用具なんかも棚にしまわれ、整理されて、勉強もちゃんとしていた雰囲気は出てますがね。
 どうしても目立っちまうのが漫画やら雑誌やらラジオにプラモデルとか。
 どの家でもよく目にする光景だ。
 ”一体、将来何になりたいのやら”って、そう親が思っちまうようなもんばかり。 
 けど、もう勉強部屋として使われてないから殆どが物置き替わりだ。

 おっと、話が脱線しちまったな。……ん? 時代背景?
 こりゃ失敬。怪談やら奇妙やら、日本家屋にワシのこんな話し方だから江戸や明治時代が印象的と思っちまっただろうが、そうじゃない。平成の田舎での話だよ。だから、二階の部屋にある物は不自然じゃないぞ。

 さて舞台も季節もそんなところだ。長居前置きもさておき、極寒の降雪時期に起こる話をさせてもらおうか。

 爺さんは妻に先立たれ、一人息子はとうに都会へ出て行った。もう嫁を拵え子供も二人いる。とりあえずは毎年年末に帰ってきて、正月の二日目ぐらいに帰っちまう。
 もっと頻繁に帰ってきて欲しいのは誰しもが思う事だが、そいつぁ仕方ねぇ話だわな。世知辛く気忙しい世の中だ。向こうは向こうで忙しいってんだから、どれだけ吠えた所で虚しいだけよ。

 爺さんは孫に会えるのは年末年始と、極稀にお盆の時期に息子が孫を連れて帰ってくるぐらいだった。けど爺さんにはもう一人会える子供がいるんだ。
 隠し子じゃねぇし、近所の子って訳でもねぇ。
 爺さんの家には、毎年、立春の時だけ姿を出す奴がいる。
 そいつは狐とか狸が化けてる訳じゃない。犬や猫も飼ってねぇし、猪とか鼬は、この時期冬眠して出てこないから違う。
 子供だよ。正真正銘人間の、男児が現れるんだ。年齢は四歳ぐらいに見えるけど正確には分からない。

 怪談だって? いいや、しつこいようだけど怪談じゃねぇよ。
 その男児だって悪さする訳じゃねぇし、映画やテレビみたいに誇張した怖い見た目でもねぇし、行動だってしねぇし、いきなり現れて脅かすって事もねぇ。
 呼ばれて振り向いたら、その辺のチビっ子みたいに笑ってこっち見る。追いかけるとどっかに隠れてすぐ消える。近寄ってもくるし、現代の子供がしそうな話はしないけど、ちゃんと話はできる。とはいえ、幼児の話し方に変わりはないがな。爺さんの事は『じぃじ』と呼んだ。

 爺さんは奇妙であっても、子供だから我が子のように気遣っちまう。だから、その日は部屋の暖もいつもよりしっかり管理してるんだ。
 寒い時だから爺さんは電気ストーブを点けちゃいるが、火鉢ん中の炭にも火を起こしてる。昔っから火鉢に炭火起こして暖をとる習慣が根付いちまってるからだろうな。

 爺さんも年齢が年齢だ。子供を追っかけまわすってのも足腰が悪いからそうそう続かねぇ。そういう時は、子供を逆にコイコイって手招きして火鉢まで来させて一緒に温まるんだとか。
 そん時、ついつい触れようとするが、どういう訳か手がある距離から近づけなくなる。見えない何かで止められてるような、そんな感覚だったそうだ。
 人間らしい接し方は出来ねぇし、一緒に飯食う事も出来ねぇし、どう考えても奇妙な存在ってのは分かってるが、爺さんには居てくれるだけで嬉しいった仕方なかった。
 それに、子供は笑った顔が可愛いのなんの、奇妙で不思議な子だけど、爺さんは子供を我が子のように可愛がった。

 爺さんの住む家であの年頃の子供が死んだなんて話題はない。座敷童の類かもしれねぇが、立春の時しか現れねぇ座敷童がいるかどうかなんて、皆目見当もつかねぇ。それに、立春の間は嬉しくっても、けして爺さんが金持ちになったとかって話はねぇから、座敷童かどうかは悩ましい話だ。
 爺さんがもうちょい若けりゃ、どうして立春にしか現れないんだとか、幽霊か将又はたまた狐か狸がばけてんのかって知りたいと思っただろうが。もう老いれちまい、定期的に通う病院じゃ、医者に薬をもらうような身体になっちまってる。
 あと何回、あの子に会えるか分かんねぇけど、生きてるうちは我が子のように接してやりたいと思ってたんだとさ。

 不意に、爺さんは思う事があるんだ。
 まあ、老人が一人暮らしで大事な存在が現れたってなったら考える事は至極当然な話だ。
 自分の死後、そいつはどうなるんだ? ってな。
 息子夫婦は都会で幸せに暮らしてるだろうから、人気のない田舎の家には住まない筈だろうから。

 ――とまあ、湿っぽい締めになっちまったし、オチというオチもない話だが、奇妙っちゃあ奇妙だろ?
 ん? 爺さんはどうなって、子供はどうなったかって?
 そいつぁ、内緒って事にしようじゃねぇか。
 知らねぇ方が色々考えれるだろ?
 あとはそっちで妄想膨らまして、いい感じの美談で締めくくってくれりゃ、案外、その通りになるかもしれねぇだろ。

2 ある男性の苦悩

 それは何気なくインターネットで見つけた動画だった。
 落語のように語るけど、ただただ癖のあるだけの話し方で、怪談話のような内容だった。
 けど、俺はその話に妙な親近感が沸いた。

 俺の家は田舎の日本家屋。噺にあったような部屋の造りで、特に二階は正しくそのままだった。
 中学生になってから二階を俺の部屋として使わせてくれるようになって、好きなアイドルや女優のポスターを張り、夜中にラジオを聴いたり、戦艦のプラモデルも作って今でも実家に置いてあるはずだ。部屋の片付けも何もせずにそのまま放置してきたから恐らく殆ど変わってない。
 もう還暦を迎えた親父は足が悪くて階段を上がるのも大変だから上がらないだろうし、俺が大学に入学して一人暮らしを始めて以降二階に上がる人はいない。
 きっと今もあの時のままなのだろう。

 噺の中で一番気がかりだったのは、節分の翌日から現れる少年だ。

 俺は昔から二月の初め頃に起こる、子供が走るような足音だったり親父が俺以外の誰かと話す声だったりと、とにかく不気味で怖い体験をした。
 早く家を出たい一心は、小学四年生ぐらいには固まっていた。
 二月一日から二月十日ぐらいまでは、早く部屋の布団に潜って寝るか、友達の家に泊まる事に徹した。
 親父はまるで気にしてなかったが、もう俺はあの家に住みたくはなかった。いつか取り憑かれて殺されるんじゃないかと。
 その気持ちは嫁と子供が出来てかなり薄れたが、今親父が病気で入院しているから、実家の事を考えなければならない立場にいよいよ立たされた。

 あの奇妙な少年の声が未だに残っているのなら、俺はあの家に住みたいとは思わないだろう。
 噺手が語ったあの話が、親父から聞いたものか、親父がどこかで話した話が巡って噺手に渡ったか、ただ似ていただけか。どうあれ、あんな美談で纏められても、俺からすれば正直怪談話でしかない。

 けど、幼児とは別に、冷静に考えたら親父は……噺通りの思いかもしれない。
 俺は仕事の都合で年末年始しか実家に帰れない。お盆に帰れるのは、申し訳ないが、疲れてなかったから帰ろうと思っただけだ。

 一人息子の俺は、親不孝者なのかもしれない。
 本来ならたった一人の家族だった父親をこのままにしていい筈はないのだろう。あの少年を言い訳に俺は家を逃げるように出て行ったし、それを理由に帰ろうともしない。
 けどそれは帰らないでいい理由でしかない。

 親父にとってはあの少年も実の息子だろう。
 病院のベッドで寝ている時に寝言で少年と話している声を聞いた。
 息子の俺ではない。孫達でもない。
 たった一日だけの、親父を支えてくれるあの少年だった。

 本当に少年が座敷童なのか、親父に憑いた霊なのか。
 どうあれ、親父は少年と居る時間を夢見る程寂しい思いをさせてしまっている。
 一緒に住もうにも都会は嫌だと言い張り、実家を出ようとしない。当然だ、昔から住み慣れた家を手放すなんて嫌だろうし、還暦を迎えて新しい、しかもこんな都会に住もうとするなんて寂しさが増してしまう。

 色々考えると、悩みの種がどんどん増えていくけど、今まで俺がほったらかしにしてきた問題なのだから、いよいよ真剣に向き合う時が来たのかもしれない。
 ……おかしな話だけど、あの少年が恐くて逃げだしたようなものなのに、今度はあの少年が、まるで俺に現実を見せるかのように他人を利用して俺に現実を報せたのかもしれないと思えてならない。

 本当に、立春にしか現れない少年は、親父にとっての座敷童なのかと思えてしまう。

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