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【長編】奇しき世界・三話 異界喫茶(後編)

1 テラス席の老人


 斐斗が考察を始めて間もなく、岡部は斐斗が気にしていた老人とは会わないのかと訊かれ、今の今まで忘れていたのに気づいた。
 岡部も斐斗の気にする老人を観察したい思いから、二人は揃って老人のいるテラス席へ向かった。

「あの、少し宜しいでしょうか?」
 声を掛けてからも、どのように話を切り出そうか迷っていた。しかしそんな思考も無駄に終わる言葉が老人から帰って来た。
「あなた方もこの川を? 落ち着きますよ。一緒にどうぞ」

 老人は奇跡に巻き込まれた街の住民ではなく、この奇跡の中で存在する人物だと確信を得た。つまり、昨日斐斗を見て老人は微笑んだのではなく、この川の光景か、もしくは奇跡の期限終了間際に何か変化が起きて微笑んだと読める。また、老人が姿を消したのは、この奇跡と深い関係のある存在だからだとも。

「すいません。あの川は何の川ですか?」
「ははは、おかしな事を。あれは――――です。昔からある川だから、何? と聞かれても困る」
 川の名前がまるで聞き取れない。奇跡内ではこういった現象は時々あり、理由は様々である。

「ちなみに……ここは何処ですか? 昨日来たばかりでよく分からなくて」
「ここはフランスだよ」

 一気に混乱が加速した。それでも何も知らない老人は続けた。

「ところで最近、よく日本人が現れては消えを繰り返しますが、あんたらもその類かい?」
 老人の言葉に斐斗も岡部も混乱の連続であった。突然フランスに飛ばされ、その飛ばされた場所でも日本人の出現と消失現象が起きていると教えられる始末。加えて奇妙な事は、老人の見た目はまぎれもなく日本人顔だということ。

「あの、日系の方ですか?」自然な会話を意識して装った。
「いんや、ワシは純粋なフランス人だよ。何しにここへ来たかは知らないが、あんた、フランス語が上手いな」

 なぜ老人は疑いもせず淡々と笑顔で話してくれるか謎でしかなかった。

 老人は奇跡の中の住人だと思っていたが、話をしているとフランス在住の純フランス人男性と思われる。
 川の事を知っている所から、テラスから見える風景はフランスのどこかと考えるほかない。
 時差を考えると日本で午後二時過ぎ。フランスとの時差は七時間経過して、現在では夜の筈。だけど風景は夕方少し前、白昼だ。

 何もかもが統一されていない狂いが生じている。
 次々生まれる謎を気にしていてはキリが無いと割り切り、斐斗は別の話に切り替えた。

「少しおかしなことを訪ねても宜しいでしょうか?」
「ん? なんだ?」
「いえ、単なる偶然だと思うのですが、つい先日、貴方と同じ見た目の男性がここに座って川を眺めてたんです。そして何かを見て微笑んだのですよ」
「おお、何やら奇妙な偶然だな。その男性はどうなったんだ?」
「どうもしません。微笑んですぐに消え、どういう訳かいつもの、この風景に戻ります。短時間の未来を見たようだと、俺は勝手に決めつけてるのですが」

 傍から聞いていた岡部は、斐斗の嘘と妄想がこれほど見事な話を作り上げているのに、黙ったまま感服した。

「未来予知。……ワシもそういった超能力やオカルトは好きだよ。もしかして、あんたは超能力者かい?」
「滅相もない。俺も生まれて初めての不思議体験でして、そういった力に憧れた時もあるには違いありませんがね」

 いけしゃあしゃあと嘘が発せられた。斐斗は昔から父と同じリバースライターが使用できる事や奇跡と干渉する境遇が嫌で、岡部に何度も愚痴っていた。

「……笑ってたなら、ハッピーエンドがいいな」
「話づらければ無理に話さなくても」
「いや、大した事じゃないさ。この川向うの町に娘が嫁ぎに行ってしまってな。一人娘でとても大事に育てた子なんだ。いつも帰ってくる時は孫を連れてあそこから大声で呼んでくれる」
 指さす方向は、コンビニではなく川の光景であった。
「もう近々帰ってくる頃だと思ってね。何となくだが虫の知らせとばかりに体がついついここへ来てしまうんだ」
「近所なら会いに行けばいいのでは? もしくは一緒に暮らすとか」
 老人は頭を左右に振った。
「戦争の影響でね、あいつが亡くなったから、”私”は行けないんだ。それに、”息子”夫婦の邪魔になるのは嫌だし、家は俺が居なきゃならない。”姪”も嫁ぎ先が決まるまで居なきゃならないからね」

 説明に脈絡が無い。まるで数人の説明を取って付け、一人の台詞にまとめたような話だ。

「最後に一つ聞いても宜しいでしょうか?」
「何だい?」
「ここはどこですか?」

 老人は、ポルトガルと答えた。


 席へ戻った斐斗に、すかさず岡部は訊いた。
「どういうこった。まるで話になってなかったぞ」

 この奇跡の原因が老人にあると仮説を立てていた斐斗も、さすがにあそこまで話にならないとなると手の打ちようがない。
 これ以上迷っても仕方なく、かといって時間も無いので考察し続けなければならない。

「すいません」
 店員を呼び、同じ珈琲を一杯注文した。次いでに岡部にも珈琲のおかわりを訊いたら、今度はデザートのセットメニューを見だしていた。危機的状況ながらも出費が嵩む心配に、ため息が漏れた。

 数分後、それぞれの商品がテーブルに並んだ。

「斐斗」
 岡部はフォークを揺らしながら向けた。
「俺は親父さんに世話になったし、お前も息子のように思っている。だから解決できずにこのまま一緒に消えてもいいと思っている。しかしだ」接続後部分が声高に強調された。「このサンドイッチとチーズケーキは絶対食べてから死にたい。いいな、何が何でもワシはこれを全部平らげてからでないと成仏できん。必死になってワシが食べ終わるまで持ちこたえらせろよ」

 この期に及んでまで『食』への執着を示されて頭が痛くなった。しかもよっぽど味わって食べているのであろう、食べる速度が遅い。このこのままだと完食まで二十分はかかると思われる。

「消えないために考えますんで、岡部さんは黙ってゆっくり食べてください。それと、俺も死ぬ気はありませんので」
 岡部は笑顔で残りのサンドイッチを食べ始めた。

2 考察・斐斗の思考


 さて、一つ一つ整理していこう。
 まず喫茶店内部の変化と客が消えていく現象。本来奇跡が起きるとすればだれか特定の人物、もしくは領域内に入った者全員。しかしこの喫茶店では内部に入った者も店外を通行する一般人も気づきはしない。気付いているのは、才能型の俺、静奇界住人の岡部さん、そして老人……か。

 あの老人はやはり奇妙だ。フランス在住で同じように奇妙な体験をしているなら、不安や恐怖を声や表情に表すのが当然だ。なのに表情は穏やかで警戒心も感じられない。即決で才能型でないと断定したが、もし老人が才能型と考えるならどうだ? 何か意図があるのだろうが、ただテラス席から川を眺め、昨日の笑みが願望成就の証だとすれば、こんな奇跡は早く終わらせればいいだけの事。

 ……――いや待て待て待て。老人が才能型はやっぱり無い、序盤で確信したのが正しいし、仮説すら立てる必要もない。才能型なら奇跡が解けた時点で姿はそこに残る。けど昨日は無かった。よって、この奇跡の登場人物として老人がキャスティングされたのが老人に対する結論だ。

 けどこの変化と無関係ではない。理由は店内の内装と老人の雰囲気が妙に合ってる事、外の景観と老人が上げたこの場所が、とりあえずはヨーロッパと仮説が立つな。大まかなに場所名を告げた時点、この雰囲気、光景、老人の発言が西洋の田舎を連想させているのだろう。

 この奇跡が土着型でも才能型でもないなら現象型しか考えられん。けどここまで異例づくめだと何かしら別の原因もあると思われる。まあ、それは置いておこう。恐らくそれ以上は複雑にしすぎてしまい時間を無駄に消費してしまう。
 あと、気になるとすれば、内装も雰囲気も変わっているが喫茶店としての機能は疎かになっていない。むしろ現世と同じクオリティを維持している。つまり幻覚に等しいのか?……なら、記憶の投影……か? 

 ふぅ……。”異例”にばかり気を取られすぎて余計な事を考えてる。少し視点を変えてみるか……。

 そもそも、なぜ店内外で人に気付かれも、驚きもされない? 一人か二人、何かしら反応があってもいい筈だが。ここまで反応が乏しいなら、店内に消えた人はどうなった? 神隠しのように消えるには現世でのニュースが無さすぎる。もしこれが強力な奇跡で、消えた人を静奇界にでも送ろうものなら、奇跡の範囲も変化も乏しすぎる。もっと極端に、従業員も客も大々的に影響する筈だ。

 待てよ。そもそも奇跡の範囲が見事に喫茶店の敷地内で治まっているのが気になる。土着型でもない限り、ここまできっちり治まるなどあり得るのか? いや、実際治まっているから何か条件がある筈だ。

 『敷地』という概念に拘(こだわ)った。もしくは店内の何かがテラス席まで広まった。
 どうにか敷地内で治まっているのは、この中にいる人間達の思考がテラス席までが喫茶店の敷地と認識し、奇跡もそれに反応したのだろう。
 けど、認識は区切りを決めるだけで、才能型の仕業でもない限りあそこまで広がらない。店内で治まるものだ。

 原因となる、テラス席まで広がる何か……。香り……光……風……音……――音楽? そういえば、気にしてなかったが、この店に流れてる音楽、なぜこんなに籠った風に聴こえる? あと、波があるような……。まさか――。

3 現象を起こしたモノ


 斐斗は考察を止め、周囲を見回した。
「ん、どうした?」
「いえ、気になる事が……」
 今まで気にも留めていなかった、店内に響く音楽に集中した。
 流れる曲はピアノとギター演奏のジャズ。曲名は分からない。音が籠っているようで、どことなく音程に波がある。昭和の光景を映す番組で使用される挿入歌の印象に近い癖のある音楽だ。

「岡部さん店内に流れるこの曲、何か分かりますか?」
「ワシに分かるわけないだろ」
 予想はしていた返答だった。
「ただ、アレか? 古いモノに拘ってるってやつだろうな。『蓄音機』だろ、これ」
 予想だにしなかった情報を収穫出来た。
「え?」
「お前の年代は名前ぐらいは聞いた事あるだろ。それに昔を懐かしむテレビ番組で放送されたりするんじゃないか? ああ、斐斗はそんな番組を観ないんだったな。この籠った感じだけど味がある音。昭和の映像とマッチする感じの音。蓄音機ってのはそんなんだ。まあ、最近じゃあ蓄音機の音もネットで調べりゃいくらでもあって、なんっか綺麗に聴こえすぎる。本物はまあ、こんな感じだぞ」

 静奇界の住人でここまで詳しい者は少ない。しかし、岡部は現世に存在する物が好きな人種である為、こういった『昔ながら』という情報に詳しい。尚、そういった知識は、現世に訪れて食事するのに仕入れた情報の”おまけ要素”が強い。

 偶然にも糸口となる情報を聞いた斐斗は、ネットと聞き、一つの仮説が浮かんだ。すぐさまスマホを取り出して動画を検索した。

「何か見つかったか?」チーズケーキを一口食べた。すでにサンドイッチは完食済みである。
「いや、待ってください……」
 言いつつ、スマホの音量を周りの迷惑にならないまで下げ、動画を選んでは再生、すぐに別の動画を探しては再生を繰り返した。
「………………――あった」
 五度目の再生で何かを見つけ、知りたそうに前屈みでスマホを除く岡部に見せた。

「奇跡内でも普通に動画検索が出来て助かりましたよ」
「なんだこれ?」
「動画サイトで配信されてる、ジャズソングのライブ配信です。再生すればずっと音楽が流れてる」
「それがどうした?」
「俺の行きつけの喫茶店にも似たような曲が流れてるのを思い出しました。向こうはラジオ放送か、CDか、何かダウンロードして流してるか。喫茶店事情はさっぱりですが。それは別として、今流れてる曲、探した曲と一致します」

 それは、ライブ配信を蓄音機で流している事になる。

「ようやくこの現象型奇跡の正体が分かりましたよ」
「現象型? 土着型みたいだが……」
「後で説明します。先にこの奇跡を解消しないとグズグズしてたら俺たちが消されかねない」

 斐斗はカウンター席の傍らに置いてある蓄音機の元へ向かった。
 岡部の席からでも、背中越しに斐斗がリバースライターを使用したのは分かった。
 横一文字を右手で引いた途端、喫茶店全体の光景が波打つように揺れた。そして次第に激しさを増し、周りのあらゆるものの輪郭がグチャグチャに混ざり、見ているだけで気分が悪くなる。

 やがて緩やかな波長に治まると、揺らめいているがウッドハウスの光景でない事が伺えた。

 店内の変化が終わる前に斐斗が席に戻ると、一仕事終えたかのように珈琲を一口飲んだ。
 間もなく、店内は元に戻り、放送されるBGMも蓄音機ではなくなった。

4 解決のきっかけ


「けどよく気付いたな。これが土着型じゃないって」
 元に戻った喫茶店で岡部は組織への報告の為、理由を訊いた。

「それには確信がありました。土着型は神社仏閣、墓地や廃れて放置された建造物とか、長い年月そこに存在し続けた土地に起きやすい。
 けどこんな街中の一角に過ぎない喫茶店で土着型が起きるなら、もっと複雑で現実離れした風景の場所に変化するし、店内外の人間にもっと影響を及ぼしてもおかしくない。
 確信はあったけど、昨日念のために土地の歴史をネットで調べたら、大昔は長屋、やがて色々建ったり潰れて、八年前にここがオープン。
 土着にはなれないのは明白でした」
「気付いたきっかけは、お前がこの店を知らなかったからか?」
「ええ。俺も行きつけにしようとした喫茶店を探してた時期があったから、この辺も通ったのは覚えてますよ」

 なるほど。と呟きながら岡部は口元を摩った。

「解決に至ったきっかけは? やっぱり音楽が気になったのか?」
「いえ、むしろ音楽は気にも留めてなかった。一番は老人の話です」
「けど、あれも下手すりゃ才能型の可能性もあったろ。懐かしの風景を見たいがために。ってやつで」
「話の節々で食い違いや突拍子もない展開の連続、才能型の可能性は完全に無いと確信しました。ただ、最初の段階で老人は奇跡を起こした人物でないと気付きましたよ」
「どこでだ?」
「老人のいる場所を言った時」

 初めフランス、後でポルトガルと言い、結果的には老人は妙だと結論付けれる要素だったが、どうして最初の言葉がおかしいか、岡部は気になった。

「岡部さんは静奇界の人だから分からないかもしれませんが、普通、現在地を訊かれ、”日本”と国名を答えるなんて、冗談が通用する身内にしか言いません」

 岡部は納得した。
 今、自分の居る場所を訊かれて答えるなら、細かい地名を答える筈。
 『日本』と国名を答えるのでも、『東京』と都道府県名を答えもしない。たとえ都道府県名を答えても、続く地名も答えるのが一般的である。

「老人は日系の血筋でもないのに東洋人顔。現在地を国名で答え、娘を待ってるのに近くの町に住んでると語る。戦争の話もするが、そこからは滅茶苦茶な設定。そして声の聞こえない所がちょくちょくありました。
 これらを踏まえると、幾人かの記憶、もしくは映画か小説の内容を所々切り抜いて貼り付けたような、支離滅裂だが雰囲気だけを重視した印象だった。奇跡を起こしたのが人間なら、それなりにシナリオは整理できてるから才能型でもない。
 ここまでくればこんな滅茶苦茶な舞台設定を作り上げた『モノ』を探ればいいだけ。岡部さんの意見ですぐに分かりました」
「――蓄音機。けど、他にも古い物は幾つかあるだろ」

 ウッドハウスの喫茶店には、蝋燭に火を点して使用するランプ、小さな絵画、木製の彫刻品、金属の置物などがあった。

「ええ。けどテラス席まで範囲のある奇跡を起こせるのは、音か光か匂いか、そういった外にまで届くモノでないと変化を及ぼす影響が起きない。
 それを踏まえると、置物類は無いし、ランプの明かりは弱すぎる。昼間の時間帯ならなおさら日光の方が強すぎます。珈琲を作る道具かとも思いましたが、もっと外にも届きやすい音楽が効果的だと。老人と話してる最中も、薄っすらと聴こえたのを思い出しました。
 そこから疑いを広めると、流れる音楽がライブ配信のもので、それが蓄音機から流れてた。あそこまで昔ながらの雰囲気を再現していた空間で、インターネットで流れる曲をそのまま使用するのは不自然だ。
 そんな芸当ができるモノが奇跡を起こした対象と考えるのが自然ですよ」

「なるほど。……見事な推察だ。結果として、蓄音機の経験した記憶の断片を繋ぎ合わせた現象ってところか」

 斐斗は、「ええ」と答え、ひと仕事終えた労いとばかりに、残りの珈琲をゆっくり飲み干した。

5 店を出て


 二人が喫茶店を出ると、斐斗は何かに気付いて左方向に目をやった。
「どうした?」
「いや……なんか」
 誰かに見られている、というより、奇跡が起きたような異変を感じた。しかし見回しても目ぼしい変化は見えず、僅かな異変も感じなくなった。
「なんか見つけたか?」
 岡部が気付いてすらいないので、気のせいだと思い込んだ。
「いや、何でもないです」


 二人の背を遠くで見送る人物がいた。その者は”ある力”を用いて二人を眺めている。斐斗が気付いた時に目は合っているものの、その者の力は斐斗に”気付かれない状態”であった。

 その者はある計画を静奇界の者にも斐斗にも気づかれること無く、水面下で虎視眈々と準備していた。

 今日、喫茶店の奇跡を引き起こした原因は蓄音機であったが、その切っ掛けとなったのは紛れもなくこの人物の仕業であった。

 斐斗と岡部はまだ知る由も無い。この人物が企てる異変の片鱗にすらも。

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