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執筆活動で僕がかなり苦労した話・2

 今回は第二回目苦労話になります。一回目は、執筆中で苦労した話でしたが、二回目は自作をどんなところに応募したか、月日が経つごとに応募環境がどう様変わりしたか、何をして何を思い現在はどうしているか。

 執筆以外の外側での苦労話を三つお伝え致します。

コンテストでの精神的負担

 現在、無料投稿サイトに小説を掲載し、閲覧してもらい、サイトで行われるコンテスト応募や書籍化など、PC一つ、家の中で全てが進行出来る時代になりました。(←ちょっと誇張が過ぎる……かな(;一_一))

 僕が現在お世話になっている小説投稿サイトに初めて掲載したのが、2018年の終わり頃です。今では長編小説を執筆しつつ、短編小説を執筆してコンテストに挑戦し続けるスタイルになっています。(落選し続けてますが(/ω\))

 ですがそれまでは、毎年どこかで募集されているコンテストに応募する日々でした。しかも僕は、ライトノベル・シリアス・大人向け・プロアマ問わず参加、のコンテストを狙っていました。そしてさらに、十数年前はA4用紙に印刷し、郵便局へ赴き、恥ずかしくて全身の体温を高めながら応募先へ送っていました。

 ある年、web投稿が出来る事を知った僕は、それで応募する事に決めてそのコンテストの応募を重点的に攻めました。『もう、郵便局で恥ずかしい思いをしたくない』『家族に内緒で百数十枚もある用紙印刷をこっそり行うのは嫌だ』そんなストレスはweb投稿で消えました。

 しかし新たな問題が浮上します。それは、開催頻度の少なさです。

 先に記した通り、僕はシリアスな大人向けのラノベを狙っています。そしてweb投稿を知り、たまたまそのサイトでは合致しただけであり、運が良いのですが、当時、そこで応募できるのは年に一回だったのです。

 なら、その一回の為に全力を。と、思われる方が多いと思います。ですが、それに応募する方々も皆同じように最終選考を通過して書籍化やアニメ化を狙っている人達ばかり。執筆を始めて数年の僕より、もっと巧みな文章や突飛な世界観を作り上げる猛者たちも当然含まれています。

 年一回。まるで難関大学の受験に受けるのはこんな感覚なんだろうと思いました。(違うかもしれませんし、それ以上かもしれません)僕はバイトをしながら執筆し、応募したけど落選し続けました。最初の二年は一心不乱でしたが、このままでは何も解決しないと思い、他に大人向けラノベ・web投稿できるサイトを探しました。

 時代は変わるとはこのことです。web投稿アリ、選評アリ、大人向けアリ、年二回の募集など、そんなところもあったのです。僕はそっちにも応募して、これで三作を別々のサイトで応募しました。

 テンションの上がった一年目は、新作と修正しまくった落選作品で挑戦できましたが二年目以降、執筆のペースが上がらず、結局その年では二作品しかできませんでした。ですが、どうあがこうが、どう頑張ろうが、全て一次通過すらしませんでした。

 冷静に考えてみれば、一つのサイトに数作応募すれば良かったとも思えますが……まあ、どうあれ、結果は同じだったと今では思ってます。

 無料投稿サイトでは、掲載後に閲覧してくださる方がいるので、安心感とストレスは軽減されました。コンテストに落選し続けるのは未だ継続中ですが……(;一_一)、いずれ自作が日の目を見る事を夢に、書き続けてはいます。

周りの目が気になるも、我慢の連続

 作家を目指した人なら経験があると思いますが、『自分は作家を目指している』と、何人の人に教えましたか?

 僕は二十代の頃は、口を割らなそうな人極少数人に話しただけで、後は将来やりたいことがあると言い続け、このことを黙秘し続けています。それを続けながら何度もコンテストに落選し、日の目を見ない日々を送っていると、当然聞かれるのは、将来お前は何をしたいんだ? という質問です。

 いっそ口を割って全てを話したい。これだけ苦労しているんだと話したい。

 ですが、それを話すと、中には応援する人もいるでしょうが、馬鹿にしたり話のネタにされたりすると予想がつきます。そういう事をする人たちの日々の言動や態度などを考えると、どういう加減で言うかが想像できます。

 思い込みすぎ。と言われればそうかもしれませんし、言ってしまえばもっと楽に生活出来たかもしれませんが、そんな心の余裕はありませんでした。

 口外すれば最後。それが頭の中で封印の暗示になっています。どれだけ根が良かろうが、強面でも優しい人でも、馬鹿にして話のネタにする場面を想像すると、きっと自分はその人たちを許しはしないだろうと。怨恨をそこら中で生んでしまう心境でした。

 話せない。分かってもらえない。そんな思いを抱え、ずっと執筆し続けなければならないのです。

 自分がどれだけ苦労し、努力しても中々日の目を見ない芸能人や俳優や、別の仕事の方々の気持ちが、なんとなくですが分かる気がします。

言葉を知らなければならない

 先に記した内容の後にこの見出し文を読むと、『誰かに反論するための言葉を知らなければならない』と、思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではございません(`・ω・´)ゞ

 好きなアニメやドラマなどを観ていると、台詞の中に、ことわざ・有名作品の台詞の引用・熟語類・名言・歴史などが含まれます。これらが含まれていると、知的なキャラクターの印象が凄く変わります。

 要は、台詞にこれらのネタが含まれているといないとでは、どれだけ知的なキャラや博識な人物を描いていても、~風でしかないのです。

 キャラクターが登場する時に肩書だけ立派でも、話し方や発想がしょぼいと、まるでキャラクターが引き立たず、何か違うな? と疑問を抱いてしまいます。そんな状態でかなりの知的キャラが登場するアニメなどを観ると、自分の実力の無さを痛感します。(というより、痛感し続けています。現在も( ;∀;))

 本当に言葉を覚えるのは重要です。ですが無理矢理博識になろうとしても、日本には言葉の量がかなりあるため、全てを覚えるのはなかなか無理がありますし、百歩譲ってかなりの量の言葉を覚えられたとして、その言葉が必要な時に必要な場所で出るかは不明です。

 だから、少しずつ、毎日誰かの文章を読むか聞き、小さなことわざ辞典のようなものを数ページ見るようにしています。とにかく、何もしないよりかは、大したことじゃなくても何かした方が、自分の中で言葉が身に付くと信じてやっています。

 大した作家になれなくても、これをしなければ作家の”さ”の時にもならないと思って続けてます。

まとめ

 思い出すだけで溜息が出そうな過去話に涙がでそうです。(;´Д`)

 執筆活動を続け、改めて思う事は、僕の諦めの悪さは中々のものだという事です。だけど、芸能人の中には十何年、二十何年と下積みのような事を続け、ようやく日の目を見た方々の話を聞くと、僕にも希望がまだまだあると、元気が出てきます。

 では次回、最後の三回目です。また、馬鹿野郎の苦労話にお付き合い戴ける事を楽しみにしております。

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