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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ブレディみかこ

出版社 ‏ : ‎ 新潮社

人種も貧富の差もごちゃまぜの元底辺中学校に通い始めたぼく。人種差別丸出しの移民の子、アフリカからきたばかりの少女やジェンダーに悩むサッカー小僧……。まるで世界の縮図のようなこの学校では、いろいろあって当たり前、でも、みんなぼくの大切な友だちなんだ――。優等生のぼくとパンクな母ちゃんは、ともに考え、ともに悩み、毎日を乗り越えていく。最後はホロリと涙のこぼれる感動のリアルストーリー。

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「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ。」「楽じゃないものがどうしていいの?」「楽ばっかりしていると、無知になるから」
多様性はうんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う。


法は世の中をうまく回していくためのものだから、必ずしも正しいわけじゃない。


その差別がいけない、っていう前に人を傷つけることはどんなことでもよくない


エンパシー:他人の感情や経験などを理解する能力


子育てには一つの村が必要=子どもは村全体で育てるものだという意味。


幼児たちの世界はなんとカラフルで自由だったことだろう。

保育園で「タンタンタンゴはパパふたり」を暗記して、先を争って朗読していた子どもたちはいまごろどうしているだろうか。いまでも天真爛漫に互いの家庭環境を語り合い、何の偏見もなく自分の家とは違う形を受け入れているだろうか


「僕は人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。…罰するのが好きなんだ」


学校は社会を映す鏡なので、常に生徒たちの間に格差は存在するものだ。でも、それが拡大するままに放置されている場所にはなんというかこう、勢いがない。陰気に硬直して、新しいものや楽しいことが生まれそうな感じがしない。それはすでに衰退がはじまっているということなんだと思う。

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自分が日本で生まれ育ち人種差別に無縁だった。

強いて言うなら、今から10年以上も前に海外に行ったとき、

年配の人に私を見ながら文句を言われ、

「あ、これは日本人に言っているな」と感じたくらいかな。

何言ってるかも分かんないし、気にもしなかったけど、

これがわかる言葉で目の前で言われたらと考えると

違う捉え方になっていたと思う。


ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーを読んで、

自分以外の人生を側で見守るような感覚になった。

特に印象に残っているエピソードは、

『そんなつもりで切り出した言葉ではなかった。むしろ、私が考えていたのは中国のことで、アフリカのことなんて考えていなかったのだ。久しぶりに思い切り地雷を踏んでしまった。』のところ。

今までの経験から相手はそう捉えたんだろうけど、

そんなつもりない人の言葉でもそう解釈されてしまうのは切ないね。


この本を読んでこんな出来事があるんだと思うことがたくさん出てきた。

自分がその立場だったらどうするだろうかと考えたけど、難しい問いばかりで、考えるきっかけをたくさんもらった。

大人になっても難しい問いなのに、子どもの頃にその問題に直面していたらどうしていたんだろう。

でも、人は色んな壁にぶち当たり、悩み、考え、行動し、成長すると思う。

こうやって本をきっかけに悩み、考えることで自分の思いを確認できて、

更にそんな状況があるということで寄り添うことができる。

また、この主人公には寄り添ってくれる母親の存在がいて、

きっと彼にとって大きかったと思う。

一緒に悩んでくれる人がいるってどれほど心強いか。

色んな問題を考えるきっかけをもらい、寄り添うことの大切さを知った本。


🌸:南天

花言葉「私の愛は増すばかり」「良い家庭」


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