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小学校教科書が歪めた国史① 神話と伝承の時代~民族のロマンを「おとぎ話」に貶めた罪

 平成12年4月以降に小学校で使用されていた、歴史分野の教科書を俎上に、教科書がどのように日本の国史を歪めているかを検証しました。
 昨今の教科書検定の劣化と恐るべき偏向を考えれば、現行教科書の内容も、さほど変わっているとは思えません。一昔前のものでも、読者の参考になると考え、そのまま収録しています。
 この恐るべき内容の偏向教科書で学んだ子供たちも今は30代。そろそろ自分の子供が学校で初めて歴史を学ぶ年齢になります。親として、子供が何を学ばされているかを知ることは非常に重要です。これを読んだ後で、子供さんの教科書や資料の内容を、そして、配布物の中身を確認してみてください。教育権は保護者にあります。基準は学習指導要領です。そこから逸脱しているものがあったら、学校長に、教育委員会に、そして、文科省に訴えてください。そういう地道な活動が、教室から反日という罪を駆逐していく第一歩になると思います。
 他人事のように自国の歴史を見る「日本史」ではなく、私たちの祖先の歩みを主観的に見る「国史」を取り戻すことを目指していきたいと思います。

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 神話を取り扱うべきことは、学習指導要領にも明記されています。しかしその扱いは非常に軽いものです。神話は歴史的事実ではないからだ、という声が聞こえてきそうです。もちろん、100%歴史的事実だというつもりはありません。しかし、神話には往々にして事実の裏付けがあることも無視してはならないのです。
 旧約聖書の神話に、「ノアの方舟」という有名な物語があります。神の怒りによって地が見えなくなるほどの大洪水が起こったという話は、神への信仰を促すための作り話ではなく、実際にメソポタミア地方を襲った大洪水をモチーフにしていたことが、古文書や古い地層の研究により、明らかになっています。作家の井沢元彦氏は、卑弥呼が死んだ年に皆既日食があったことを指摘し、「卑弥呼」=太陽神(天照大神)説を唱えています。もちろんこちらは証明できないことですが、このようなモチーフを探す「推理」こそが、神話には必要なのです。
 神話を歴史に直結させることはできませんが、ノアの方舟のように、何かがあったから、神話が生まれた可能性は高いのです。そして神話には民族のロマンを感じさせる魅力があります。「国生み神話」や「天の岩戸」、「八股の大蛇」や「神武東遷」の物語は、日本国家の黎明期において、皇室がイニシアティヴを確立する間の、様々な事実をモチーフにしていることでしょう。
 しかし教科書における神話扱いはお粗末なものです。
 大阪書籍版は奈良時代のところで、「ヤマトタケルノミコト」の物語を素っ気なく書いた後、「朝廷は、天皇家に伝わる話を中心に、神の子孫が天皇となって国を統一していくという話をつくりました。ヤマトタケルノミコトの話もその一部です」と、神話はつくり話であると、ことさらに強調しています。これでは民族のロマンが単なる「おとぎ話」になってしまい、歴史における神話の重要性はわかりません。
 その一方で、学習指導要領が大和時代以前の人物で取り上げている「卑弥呼」については、『三国志』のなかの「魏書」にある「烏丸鮮卑東夷伝倭人条」(俗に言う「魏志倭人伝」)を引用して大きく取り扱っています。文献資料に登場する女王は確かに重要です。しかし、「倭」、「邪馬台国」、「卑弥呼」など、当時の支那人が、中華思想という差別意識の下に、勝手に名付けた呼称を、何の注釈もなしに用いることには疑問を禁じ得ません。そもそも、当時我が国には文字がなかったのですから、これらの呼称は外交使節が口で発音した「音」に対して、先方が勝手に悪意をこめた文字を当てはめたに過ぎないのです。それなのに執筆者は、「わ」、「やまたいこく」、「ひみこ」と、当時の発音を無視して、その漢字を今日の読み方で読ませるだけで、お茶を濁しているのです。
 歴史教育の目的とは、愛国心を涵養し、祖国と自分に誇りを持たせ、国民としてのアイデンティティを確立するところにあるはずです。しかし教科書は民族の誇りを伝える神話や伝承を軽視して考古学(縄文時代・弥生時代)から説き始め、さらには差別意識丸出しの中華思想をそのまま鵜呑みにさせて、子供をミスリードしているのです。

※各社教科書の記述は、平成12(2000)年度版によります。
連載第93回/平成12年3月15日掲載


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