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教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第19章 沖縄県の政治(上)①

1.沖縄県政の始まり

【解説】
 この箇所を読んでいると、仲原は、琉球処分から沖縄戦の前までの60年間の進歩を強調しながら、なぜか、戦後の話を混ぜ込んでしまっている。確かに、こういう箇所が散見されることが、この副読本の継続を止める口実になったのかも知れない。非常に残念なことだ。
 しかし仲原は、手放しで沖縄県政の進歩を喜んでいるわけではなく、この箇所の末で、問題点が多々あったことを示唆している。仲原は、誠実に歴史を教えようとしている。だからこそ筆者は、この本を復刻したいと思ったのだ。
 前半部分は、仲原が指摘する60年間に合わせて大きく筆を入れたが、なるべくその記述を生かすようにしたつもりだ。

【本文】
 沖縄県の歴史は、明治12(1879)年から始まりました。その時から明治、大正、昭和と年月が流れ、戦火がこの島を覆うまでの60年ほどの間に、沖縄県の社会は大いに進歩し、大多数の県民は幸福になりました。それは、はっきりと断言できます。
 沖縄県になる前には、農民には移動の自由も、職業選択の自由もありませんでした。しかし明治になってから県民は、日本全国はおろか、ハワイや北米、遠く南米の果てにまでも行って活躍しています。
 小学校は、県内のどんな田舎にも作られました。男も女も字を知らない者はほとんどいなくなり、能力さえあれば、家柄に関係なく学問をすることができるようにもなりました。
 大日本帝国憲法の下で、江戸時代には本土でも認められていなかった権利も認められ、議会に代表者をおくるようにもなりました。
 明治になって、四民平等により、身分の差別はなくなり、服装や家屋にまであった細かい制限も撤廃されました。納税も平等になりました。王国時代は、農民だけが搾取される不平等な社会でしたが、すべての国民が各人の財産と収入に応じて公平に分担する原則になりました。
 電信、電話、電燈、水道などが県内に広がり、人力車、自転車、馬車、電車、バス、トラック、自動車、軽便鉄道、汽船、発動機船なども少しずつ普及して、交通も便利になりました。新聞、雑誌、書物、演劇、映画のような教養、娯楽も人々の間に広がりました。
 もっとも、その進歩や発達は、常に順調に進んだものではなく、停滞や失敗もありました。私たちは、県政の出発点から、その歩みを見ていきましょう。明治40年頃ごろを境に、沖縄県政は前後にわけられます。前期は、政府や県庁の命令によって行政が行われた官治の時代で、後期は、県会、市町村会が誕生した後の、県民による自治の時代です。

【原文】
第十九章 沖繩県の政治(上)
一、県政のあらまし
 明治十二年(一八七九)から沖繩県の歴史ははじまります。明治、大正、昭和とつづく沖繩県時代のすえ(一九四〇)ごろから、六〇年前をふりかえって見ると、いかに社会が進歩し、大多数の人が幸福になったか、はっきりわかります。
 六〇年前は、農民は移動の自由も、職業の自由もありませんでした。
 六〇年後には、彼等は、日本全国はおろか、世界のどんなとおい所までも行っています。
 小学校は、どんな田舎にもたてられ、男も女も字を知らない者はほとんどありません。能力さえあれば、最高の学問もできます。
 国民はすべて信仰の自由をもっており、政治がわるければ、これを批判し、こうげきする権利があります。県会、市会、町村会がひらかれ、政治のそうだんをします。国会議員は国会に出ています。
 人は法律の前には平等であり、租税はすべての国民が各人の財産と収入におうじて、公平にぶんたんする原則になっています。
このようなことは、六〇年前の封建時代にはまったくなかったことです。
 技術の方面でも、人力車、自転車、馬車、電車、バス、トラック、自動車、軽便鉄道がつぎつぎにつたわり、汽船、発動機船、電信、電話、電燈、水道というようなものができました。
 服装、家屋というようなものにまで、六〇年前にはこまかいせいげんがあったが、そんなせいげんは、もちろんなくなっています。
 新聞、雑誌、書物、演劇、映画、というような教養、娯楽もたいへん便利になりました。
 しかし、その進歩、発達のはやさは、けっして、まんぞくすべきものではありません。
 又それは、いつも順調にすすんだものでもなく、又すこしの故障もなく、あやまちもなくすすんだものでもありません。今われわれは、明治十二年の出発点にもどって、そのあゆみをしらべて見ましょう。
 県の政治は、明治四十年ごろをさかいとして、前後の二期にわかれます。
 前期は、政府及び県庁の命令による政治をした官治時代で、後期は、議会(県会、市町村会)が出来て、県民の自発的活動を主とした自治時代です。

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