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「桑港vs羅府 日本街比較論」の巻

 大通りにそびえるちょっと怪しげな建造物(2007年1月14日撮影)。これは、サンフランシスコの日本町(ジャパン・タウン)のシンボルの櫓だ。
 サンフランシスコは、筆者が学部生時代に、始めてアメリカ本土に来たときの上陸地点。興奮冷めやらぬ状態で、トロリーバスやバートに乗り、ガイドブック片手に名所巡りをした。ケーブルカーは運休中で、乗れなかったのは残念だったが、「また来れるだろう」と、それほど惜しいとも思わなかった。筆者の44日間に及ぶアメリカ旅行は始まったばかりで、まだハイな状態が続いていたこともあるだろう。実際には、次に乗る機会は、出張で来ることになる20年後のことだった。しかし、そのさらに数年後に、その気になればいつでも乗れる距離に引っ越すことになるとは、夢にも思わなかった。
 仕事で、旅行で、日本国内を除いて50を軽く超える都市を巡ったと思うが、サンフランシスコは大好きな町のひとつだ(リベラルと称するゴリゴリの左翼が多いのと、サンフランシスコ・ジャイアンツは気に食わないが)。何度行っても、観光気分を味わえて楽しいのだが、恥ずかしながらこの日まで、ジャパン・タウンには行ったことがなかった。
 特に感激をしたわけではないのだが、ふと、当時住んでいたロサンゼルスにある日本街「リトル・トーキョー」と比べてみた。
 負けている。サンフランシスコの方が、日本人街らしいじゃないか!
 確かに、リトル・トーキョーと同じで、このあたりに日本人、日系人が集中して住んでいる訳ではない。物件も、日本人・日系人のものばかりではない。広さはリトル・トーキョーよりも狭い。通りを歩いた感じでは、決してここが日本情緒を感じるという訳でもないのだが、町並みを日本らしく見せようとする気持ちが伝わってくる。リトル・トーキョーにはその努力が感じられない。うまく説明できないのだが…。
 筆者の偏見かも知れないが、そもそも日本人街は、日本人観光客が行くところではないのだ。だからよそ行きの顔が必要なのだ。リトル・トーキョーで一番気に食わないのは、日本人観光客向けのエロビデオ屋が目抜き通りに堂々と出店していることだ。今もあるのだろうか。こういうのを野放しにしていることが、その、うまく説明のできないやる気のなさなのだ。
 ちょっとリトル・トーキョーの話をさせてほしい。
 一部の店は、日本の名残りを漂わせているが、それは本当に日本人街であったころの名残りなどではなく、勘違いをして日本の香りを求めにやってきた、非日本人相手に商売をするために存在しているのだ。キツイ言い方をすると。だいたい、何度もいろんなところで書いたのだが、日本の総領事館がこの地を見放して、自分たちにだけ都合がよくて、利用者に不便なところに引っ越してしまったから、その時点でリトル・トーキョーは、少なくとも日本の街ではなくなったのだ。
 そして2009年、さらにショックなことが起こった。
 ミツワの撤退である。
 石鹸の会社ではない。あの一世を風靡した「ヤオハン」破綻後の受け皿として作られた会社で、日本食を中心にしたスーパーマーケットだ。現在の日本人村になっているトーランスにも大型店舗があるが、そのミツワがリトル・トーキョーから撤退し、後には、「99ランチマーケット」という中華系マーケットが入居するというのだ。いよいよ、リトル・トーキョーは崩壊するのだろうか。
 つまり、誰もリトル・トーキョーを守ろうとする気などない。領事館さえ見捨てたのだ。全米日系人博物館も仏教寺院もあるし、日本風の建物もあるし、ま、いっかということなのだろう。

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 実際、この写真(2009年2月20日撮影)の Family Mart(日本のファミマとは無関係。すでに本当のファミマがカリフォルニアに進出していたが、大丈夫だったのだろうか)を経営しているのが、日系人か、日本人か、アメ人か、第三国人かは知らないが、目抜き通りでエロビデオを売ることを、地域の人々が認めてしまっているあたりが、もはや誰もこの街を守ろうとしていない証拠だと、筆者は思うのだ。
 アメリカのポルノは、丸出しである。しかし、日本のように、子供の本を売る店で、『プレイボーイ』や『ペントハウス』は買えない。空港の売店などでも、子供の手の届かないところにエロ系の本はあるし、立ち読みもできないようになっている。AVなどを売る店も、筆者が知る限りでは、裏通りにあるのが普通で、こんな目立つところに、日本語とはいえ思いっきりPRしている例は知らない。少なくとも、歴史的ないわれがあり、観光客が立ち寄るところに、こんな店はあってはいけない。もうなくなっていることを切に祈る。
 このコンビニもどきの店は、日系ホテルの真向かいにあり、周辺は飲食店も多く、そういうビジネスに色気が出る気持ちはわかる。だが、日本で禁じられているものを日本人相手に販売することは、犯罪の幇助だ。しかも、である。ここが日本を象徴する街なのであれば、商店会が結束して何らかの規制があってしかるべきだと思うのだ。
 閑話休題。
 実はサンフランシスコと同様、リトル・トーキョーも大きな櫓がランドマークになっている。LAの方はその名を冠した寿司屋の持ち物。サンフランシスコは、下の写真(2007年1月14日撮影)をよく見れば、冒頭の写真の正体わかるが、日本町と表記がある。その下にあるのは日本でもおなじみのファミレス。まぁ寿司屋の方が日本らしいが、町全体の雰囲気では、サンフランシスコの方が日本を感じてしまう。都ホテルがあった(こちらも今は経営が変わったとか)のも同じだが、サンフランシスコの方は、同ホテルからモールになっており、それがせせこましくてまた日本らしい。並んでいる和食レストランや小物屋なども、らしくてよい。LAにそういった場所がない訳ではないのだが、何だか取ってつけたような感じがする。偏見と言われればそれまでだが。

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 サンフランシスコの方は、ストリート名の表示板に、カタカナがあるのが微笑ましく、誇らしい。サンフランシスコではあの有名なチャイナタウンでも、LAのしけたチャイナタウンでも、支那人街には漢語で通りの名前が併記されている。意外なことに、リトル・トーキョーにはこれすらない。

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 上の写真(2007年1月14日撮影)には、右下に行灯のようなものが写っているが、通りの街頭も、サンフランシスコの方は日本風を意識している。そういった、情緒を維持する努力がいじらしい。リトル・トーキョーは、そういう「気持ち」が乏しく感じるのだ。バナーや街の案内などは確かにあるのだが、それは、コリアタウンでも見られるものだ。
 日系人の祭りは、リトル・トーキョーの2世ウィークが有名だが、その規模は、サンフランシスコの桜まつりとは比べ物にならない(どちらもビデオでしか見たことないが)。
 ロサンゼルスの方がはるかに日本人・日系人は多いのに、この差は何だろうと考えてしまう。LA日本人・日系人の結束力のなさ、ということなのだろうか。

拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「こっちのほうが本格的」(2007年03月11日 10:51付)、「日本街の恥」(2009年03月14日01:20付)に加筆修正した。

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