『Shenmue the Animation』ファーストインプレッション

2022年4月7日よりアニメ『Shenmue the Animation』が各種動画配信サービスで配信された。

本作はセガのゲーム『シェンムー』を原作としたシリーズ初のアニメーション作品。
原作となる『シェンムー 一章 横須賀』はドリームキャスト用に1999年12月に発売された古いゲームで、現在はPlayStation4でも遊ぶことができる。全11章に渡る物語は、未完のまま長らくシリーズが途絶えていたが、2019年には最新作『シェンムーⅢ』がリリースされ大きな話題を呼んだ。
主人公の高校生「芭月涼」はある日父親を謎の男「藍帝」に殺害される。涼は父の死の真相を知るべく、1986年の横須賀の街で藍帝の情報を追い求める、というのが本作の第一章のストーリーだ。
『シェンムー』は緻密なディティールで描かれる横須賀を舞台に、時間とともに流れていく街の景色や、住人の生活を3Dフィールド上に作り上げたゲームだった。決してテンポの良い作りのゲームではなかったが、だからこそ幅のあるゆったりしたプレイ感覚があり、それが魅力だった。
そんな「ゆったりした」ゲームがアニメになると一体どうなるのか。自分もゲーム版のいちファンとして、期待と不安があったなかでアニメ版第一話を観終えた。今回はその感想を簡単に書いてみる。

ゲームで省略された部分を描き、ゲーム的な部分を省略したアニメ版

結論から言うと『Shenmue the Animation』は思っていたよりもずっと面白かった。「シェンムー」をアニメにすると考えたとき、ストーリーを重視するためにゲーム的な部分を省いてテンポをよくするか、原作ゲームのプレイ感覚を伝えるために生活や日常を描いてゆったりしたものにするかという二択になるのだと思う。アニメ版は前者を取った。
そのうえで当時ゲームには都合上入りきらなかった部分や、新たなシーンがつけ足された。時間をかけてプレイし、涼や登場人物の関係性、街の姿を浮かび上がらせていくゲーム版とは異なり、アニメ版は短いシーンに必要な情報を入れ、それぞれのキャラクターや場所を印象付ける。
シェンムーは単にストーリーを進めるだけなら、まったく必要ない情報が大量に用意されたゲームだ。同じことをアニメでやるのは至難の業だろうと、素人考えながら自分も想像する。そもそも主人公である涼がとても淡泊で多くを語らないキャラクターなので、彼がどういう人物なのか、周りの人間とはどういう関係なのかすぐには理解しづらい。
あえて多くを語らず、プレイヤー自身が徐々に理解していく部分こそ「シェンムー」の良い点だというのは、自分も同意する。しかし少しだけおしゃべりで情緒深くなったアニメの涼は、ゲームから人格が変わってしまったわけではない。ゲーム版を知っていると違和感を覚える演出も無いではないし、一話のシーンが次々に進むので詰め込みすぎているのではないかとも思ったが、基本的な部分はゲームとそこまで差異はなく、「シェンムー」という題材をうまくアニメに落とし込んでいると感じた。
特に父の死後、涼の家に警察が訪れるという新しいシーンは、ゲームで不自然に感じた部分を解消している。ゲーム版ではそもそも警察に事件を届け出ておらず、それでいて街の人々は事件のことを知っているという状況だったのだ。
このほかにも舞台となる横須賀の描写はゲームで味わった街の雰囲気を上手く伝えていて、この点はアニメになって良かったと思える部分だった。

「原崎望」の印象の変化

『シェンムー』には涼に好意を寄せる「原﨑望」というキャラクターが登場する。向こう見ずな涼を陰から見守るキャラクターで、横須賀編のヒロイン的な存在だ。
ゲーム版では控えめな性格の印象だった原崎だが、アニメ版では明るい印象のキャラクターに変わった。声優が変わったこともその一因にあるとは思うが、ゲーム版よりもどういった感情を抱いているのかわかりやすく、その結果涼との距離感も縮まって見える。
彼女が初めて登場するのは、不良に絡まれる子供を庇おうとするシーンで、ゲーム・アニメどちらも共通して存在する。ゲーム版では彼女の芯の強さや正義感を表したシーンだったが、アニメ版ではそれに加えて、彼女が涼に対して以前から信頼を置いていることが表情や言葉から伝わるようになっている。一話全体を通してみて、原崎が涼を心配しているのはゲームと同じなのだが、そこからとる行動がアニメとゲームの最大の違いなのだと思った。
ゲーム版の原崎は「あなたを心配している」「無茶しないで」といったことをストレートに伝えてくる。対してアニメ版では自分が心配している姿は見せず元気づけようとしてくる。彼女の描かれ方が変わった結果、涼が原崎にとる態度も幾分柔和になった。もしかしたら今後、彼女の描写が今とは変わってくるのかも知れないが、少なくとも第一話の原崎はゲーム以上に印象に残る描かれ方をしていて、この変更は概ね好意的に受け止めた。

ゲームのアニメ化として優れた部分、そうでない部分

『Shenmue the Animation』はゲームをすでに遊んだプレイヤーか「おっ!」と感心させられるところと「うーん」と首を捻ってしまう箇所が次々に出てくる。
例えば感心した点は、涼と原﨑がラーメン屋で食事をした後、原﨑が「じゃあ私こっちだから」と言って涼とは反対方向に帰っていく。なんてことはない場面だが、ゲームの横須賀を知っているプレイヤーからすれば、原崎の言う「こっち」が例え描かれなくて実感としてわかる。これはシェンムーが街を緻密に作り上げたゲームだったからこそ実感できることだ。そして今回はアニメというメディアだからこそ、自分で操作するゲームとは異なる視点で新たな作中世界を見ることができた。
逆に納得しがたかったのが格闘シーンだ。
シェンムーは武術を大きな題材として扱っているが、無闇やたらに戦いをするゲームではない。こうした点はアニメ版でも配慮されたようで、格闘シーンばかりが続くものにはなっていない。
ただそれにしても格闘シーンの描写があっさりしすぎている。アニメ版で涼が歯が立たなかったり苦戦したのは父を殺した集団だけで、同世代の不良はほぼ一瞬のうちに倒してしまう。いくら涼の腕が立つとはいえ、少しも労せずに倒されてしまうと見ているこちらも拍子抜けしてしまう。
現段階では涼に対する相手の強さが弱と強しかないのだ。
第一話の後半、襲撃してきた暗殺者「チャイ」に涼は苦戦する。戦いの最中に思い起こした亡父の面影から「相手のことをよく見る」大切さを悟った涼は、逆転し辛くもチャイを退ける。相手をよく見ることは格闘ゲームの基本、ひいては現実の武術に通ずるであろう面白い部分なのだが、この場面も早く終わってしまいとても勿体無く感じた。
「シェンムー」がバトルものになり過ぎることを期待してはいないが、あまりにあっけないとそれはそれで見応えがないと感じる。

ここまで色々と書いてみたが、自分は第一話「霹靂」を見てから、第二話『彼誰』がとても気になっている。
もともと「シェンムー」を知らない人がこのアニメをどのくらい観るのかはわからないが、アニメから「シェンムー」を知るという可能性ができたことは喜ばしいことだと自分は思う。
そしてそのようにして知った人がどんな感想を持っているのか聞いてみたいと自分は思う。

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